一昨日、新春恒例の「歌会始の儀」が皇居・宮殿「松の間」で開かれました。今年のお題は「立」。天皇、皇后両陛下や皇族方に加え、国内外から寄せられた1万8399首から選ばれた入選者10人、選者らの歌が披露されました。
入選者の中で、福島県郡山市の郵便事業社員・金沢憲仁さんの作品は、光太郎の『智恵子抄』に関係するものでした。
安達太良の馬の背に立ちはつ秋の空の青さをふかく吸ひ込む
金沢さんのコメントです。
「(高村光太郎の)『智恵子抄』にうたわれたように、安達太良山の上には福島の本当の空がある。津波の影響や原発の問題がある中、福島のよさを知ってもらおうと歌を作りました」。
両陛下からは「ご苦労が多かったですね」とねぎらわれたそうです。
こういうところでも光太郎作品のオマージュがなされるのは嬉しいことですが、原発事故による「ほんとの空」の消失が題材であるわけで、手放しでは喜べません。複雑な気持です。
歌会始といえば、昭和39年(1964)、光太郎の実弟、豊周が「召人」として参加しています。「召人」は広く各分野で活躍し貢献している人々から選ばれ、今年は歌人の岡野弘彦氏でした。豊周は鋳金の分野で人間国宝でしたが、『露光集』(昭35=1960)、『歌ぶくろ』(同41=1966)、『おきなぐさ』(同44=1969)、『清虚集』(同48=1973)の四冊の歌集を上梓するなど、短歌の分野でも大きな足跡を残しています。血は争えませんね。
『露光集』 扉(左) 口絵(右)
短歌といえば、光太郎も明治末の『明星』時代から、晩年まで断続的に多くの短歌を作りました。いずれ、光太郎と短歌に関しても折を見てこのブログで書こうと思っています。
【今日は何の日・光太郎】1月18日
明治44年(1911)の今日、上野精養軒で開かれた雑誌『スバル』と『白樺』の関係者会合に出席しています。
明治44年(1911)の今日、上野精養軒で開かれた雑誌『スバル』と『白樺』の関係者会合に出席しています。