「道程」三題、その2です。
昨日の【今日は何の日・光太郎】でふれましたが、昭和20年(1945)の昨日、詩集『道程』再訂版が刊行されました。
文庫判の小さな詩集です。
オリジナルの詩集『道程』は、大正3年(1914)の刊行です(来年、2014年は詩集『道程』刊行100年、光太郎智恵子結婚100年ということになります。ちなみに今年、2013年は光太郎生誕130年です)。
その後、昭和15年(1940)には詩集『道程』改訂版が刊行されました。そして同20年の昨日、再訂版が刊行されたというわけです。
改訂版には、翌年刊行された詩集『智恵子抄』と重複する詩篇が多く、それらをすべて削除して再訂版が編まれています。そして削るだけでなく、昭和5年(1930)までの詩篇を収録しています。オリジナルの詩集『道程』と重なる詩篇は18篇。重ならないものが45篇。それでも『道程』の名を冠しています。これは『道程』と名付ければ売れる、というようなせこい考えではないでしょう。光太郎にとっては、自分の詩業をまとめたものは、自分の「道程」なんだという考えだと思います。
興味深いのは、昭和5年(1940)のものまでで止めていること。その後は戦争に関わる詩が多くなるのです。さらに戦時中には全篇戦争詩の『大いなる日に』、『記録』、そして年少者向けにこれも戦争詩を多く含む『をぢさんの詩』と三冊の戦意高揚の詩集を矢継ぎ早に出した光太郎ですが、この『道程』再訂版には戦争詩といえるものは含まれていません。光太郎の精神史を考える上で、非常に興味深い事項です。
さて、別件です。
昨年末に、岡山県赤磐市から御案内を戴きました。
赤磐市出身の詩人・永瀬清子(明39=1906~平7)は、光太郎や草野心平と交流があり、その著書、詩集『諸国の天女』の序文を光太郎に依頼しています。そんなわけで光太郎と書簡のやりとりがあって、全集未収録の光太郎から永瀬宛の書簡4通に関して御遺族の方から情報提供を頂き、「光太郎遺珠」に掲載させて頂きました。
赤磐市では永瀬の顕彰活動をいろいろと行っており、その一環のイベントです。期日がまだ先なので、もう少し後に御紹介しようと思っておりましたが、申し込みの締め切りが今月21日月曜日の当日消印有効でした。そこで慌てて御紹介する次第です。
当方、参上致します。岡山には他にも調査すべきポイントがあるもので、併せて行って参ります。
【今日は何の日・光太郎】1月16日
昭和31年(1956)の今日、雑誌『地上』掲載の丸山義二との対談「春を告げるバツケ」を行っています。
昭和31年(1956)の今日、雑誌『地上』掲載の丸山義二との対談「春を告げるバツケ」を行っています。