光太郎、上高地から下山(大正2年=1913 10月)してすぐ(同12月)、次の詩を発表します。
山
山の重さが私を攻め囲んだ
私は大地のそそり立つ力をこころに握りしめて
山に向かつた
山はみじろぎもしない
山は四方から森厳な静寂をこんこんと噴き出した
私は大地のそそり立つ力をこころに握りしめて
山に向かつた

山はみじろぎもしない
山は四方から森厳な静寂をこんこんと噴き出した
たまらない恐怖に
私の魂は満ちた
ととつ、とつ、ととつ、とつ、と
底の方から脈うち始めた私の全意識は
忽ちまつぱだかの山脈に押し返した
私の魂は満ちた
ととつ、とつ、ととつ、とつ、と
底の方から脈うち始めた私の全意識は
忽ちまつぱだかの山脈に押し返した
「無窮」の力をたたへろ
「無窮」の生命をたたへろ
私は山だ
私は空だ
又あの狂つた種牛だ
又あの流れる水だ
私の心は山脈のあらゆる隅隅をひたして
其処に満ちた
みちはじけた
「無窮」の生命をたたへろ
私は山だ
私は空だ
又あの狂つた種牛だ
又あの流れる水だ
私の心は山脈のあらゆる隅隅をひたして
其処に満ちた
みちはじけた
山はからだをのして波うち
際限のない虚空の中へはるかに
又ほがらかに
ひびき渡つた
秋の日光は一ぱいにかがやき
私は耳に天空のカの勝鬨をきいた
山にあふれた血と肉のよろこび!
底にほほゑむ自然の慈愛!
私はすべてを抱いた
涙がながれた
(『高村光太郎全集』第2巻)
際限のない虚空の中へはるかに
又ほがらかに
ひびき渡つた
秋の日光は一ぱいにかがやき
私は耳に天空のカの勝鬨をきいた
山にあふれた血と肉のよろこび!
底にほほゑむ自然の慈愛!
私はすべてを抱いた
涙がながれた
(『高村光太郎全集』第2巻)
智恵子との婚約を果たし、高揚した気分が伝わってきます。
上高地の夢のような日々は、光太郎にとって智恵子とのかけがえのない思い出となったようです。昭和16年(1941)に刊行された詩集『智恵子抄』には、上高地がらみの詩が三篇採られています。
まずは智恵子との幸福な日々を思い返した一篇。大正14年(1925)の作です。
狂奔する牛
ああ、あなたがそんなにおびえるのは
今のあれを見たのですね。
まるで通り魔のやうに、
この深山のまきの林をとどろかして、
この深い寂寞の境にあんな雪崩をまき起して、
今はもうどこかへ往つてしまつた
あの狂奔する牛の群を。
今のあれを見たのですね。
まるで通り魔のやうに、
この深山のまきの林をとどろかして、
この深い寂寞の境にあんな雪崩をまき起して、
今はもうどこかへ往つてしまつた

あの狂奔する牛の群を。
今日はもう止しませう、
画きかけてゐたあの穂高の三角の尾根に
もうテル ヴエルトの雲が出ました。
槍の氷を溶かして来る
あのセルリヤンの梓川に
もう山山がかぶさりました。
谷の白楊が遠く風になびいてゐます。
今日はもう画くのを止して
この人跡たえた神苑をけがさぬほどに
又好きな焚火をしませう。
天然がきれいに掃き清めたこの苔の上に
あなたもしづかにおすわりなさい。
画きかけてゐたあの穂高の三角の尾根に
もうテル ヴエルトの雲が出ました。
槍の氷を溶かして来る
あのセルリヤンの梓川に
もう山山がかぶさりました。
谷の白楊が遠く風になびいてゐます。
今日はもう画くのを止して
この人跡たえた神苑をけがさぬほどに
又好きな焚火をしませう。
天然がきれいに掃き清めたこの苔の上に
あなたもしづかにおすわりなさい。
あなたがそんなにおびえるのは
どつと逃げる牝牛の群を追ひかけて
ものおそろしくも息せき切つた、
血まみれの、若い、あの変貌した牡牛をみたからですね。
けれどこの神神しい山上に見たあの露骨な獣性を
いつかはあなたもあはれと思ふ時が来るでせう、
もつと多くの事をこの身に知つて、
いつかは静かな愛にほほゑみながら――
(『高村光太郎全集』第2巻)
どつと逃げる牝牛の群を追ひかけて
ものおそろしくも息せき切つた、
血まみれの、若い、あの変貌した牡牛をみたからですね。
けれどこの神神しい山上に見たあの露骨な獣性を
いつかはあなたもあはれと思ふ時が来るでせう、
もつと多くの事をこの身に知つて、
いつかは静かな愛にほほゑみながら――
(『高村光太郎全集』第2巻)
続いて、智恵子が歿する直前、昭和13年(1938)の10月に発表された一篇。
或る日の記
水墨の横ものを描きをへて
その乾くのを待ちながら立つてみて居る
上高地から見た前穂高の岩の幔幕
墨のにじんだ明神岳岳のピラミツド
作品は時空を滅する
私の顔に天上から霧がふきつけ
私の精神に些かの條件反射のあともない
その乾くのを待ちながら立つてみて居る
上高地から見た前穂高の岩の幔幕
墨のにじんだ明神岳岳のピラミツド

作品は時空を滅する
私の顔に天上から霧がふきつけ
私の精神に些かの條件反射のあともない
乾いた唐紙はたちまち風にふかれて
このお化屋敷の板の間に波をうつ
私はそれを巻いて小包につくらうとする
一切の苦難は心にめざめ
一切の悲歎は身うちにかへる
智恵子狂ひて既に六年
生活の試練鬢髪為に白い
私は手を休めて荷造りの新聞に見入る
そこにあるのは写真であつた
そそり立つ廬山に向つて無言に並ぶ野砲の列
(『高村光太郎全集』第2巻)
このお化屋敷の板の間に波をうつ
私はそれを巻いて小包につくらうとする
一切の苦難は心にめざめ
一切の悲歎は身うちにかへる
智恵子狂ひて既に六年
生活の試練鬢髪為に白い
私は手を休めて荷造りの新聞に見入る
そこにあるのは写真であつた
そそり立つ廬山に向つて無言に並ぶ野砲の列
(『高村光太郎全集』第2巻)

この前年には廬溝橋事件が起こり、日中戦争に突入しています。終末の三行はその辺りを指しています。
そ
して、智恵子の臨終を謳った絶唱。
して、智恵子の臨終を謳った絶唱。
レモン哀歌
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
(『高村光太郎全集』第2巻)

かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
(『高村光太郎全集』第2巻)
この「山巓」は上高地を指す、というのがもっぱらの解釈です。泣けますね。
しかし、厳しい見方をすれば、ここで上高地を連想しているのはあくまで光太郎であって、いまわの際の、しかも既に夢幻界の住人だった智恵子がどうだったかはわかりません。
以上、長々と上高地がらみで書きましたが、とりあえず終わります。
【今日は何の日・光太郎】1月14日
昭和25年(1950)の今日、盛岡少年刑務所で講演しました。
これを記念して毎年7月に同刑務所で高村光太郎祭が開かれています。
昭和25年(1950)の今日、盛岡少年刑務所で講演しました。
これを記念して毎年7月に同刑務所で高村光太郎祭が開かれています。