昨日、智恵子も関わった雑誌『青鞜』に関する朝日新聞の報道を御紹介しました。
 
今回、『青鞜』をまとめて入手、公開したのはNPO法人平塚らいてうの会さんです。
 
同会は、女性の自立、平和・協同・自然を愛したらいてうの志を受け継ぎ、その顕彰活動を行っている団体です。
 
本部は東京小石川ですが、同会が運営する「らいてうの家」という記念館が、長野県上田市にあります。
 
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上田といっても、旧真田町(かの真田家の故地です)だった区域で菅平に近い四阿(あずまや)高原という、雪深いところです。したがって11月中旬から4月中旬までは冬期間閉鎖の措置になっています。
 
当方、一昨年の秋にお邪魔いたしました。一昨年は『青鞜』創刊100周年という節目の年で、そのあたりに的を絞った展示-智恵子にもふれる-がなされていたためです。実は上田は当方父祖の地で、祖父母が存命中にはよく行っていました。ただ、父祖の地は同じ上田でも別所温泉に近い塩田平という地区で、少し離れています。
 
さて、千葉から自家用車で行くか、公共交通機関で行くか迷ったのですが、久しぶりにローカル列車の別所電鉄にも乗ってみたいなと思いましたので、結局公共交通機関を利用しました。らいてうの家に行くには上田駅から路線バスのつもりでした。ところが上田駅に着いて、バス停でいくら探しても四阿高原行きがありません。観光案内所で訊いたところ、やはり四阿高原方面のバスは存在しない、とのこと。仕方なくタクシーで行きましたが、山道を30分以上、かなりの料金でした。次に行く時は自家用車で行こうと思いました。
 
さて、ようやくたどり着くと、針葉樹の森に囲まれたコテージ風の小さな建物。エントランスには智恵子がデザインした『青鞜』創刊号の表紙を用いた大きなガラス絵。いい感じです。
 
光太郎顕彰活動をしている者である旨をお伝えすると、歓待していただきました。昨日も御紹介した折井美耶子氏はじめ、スタッフの方が細かく展示の説明をしてくださいました。らいてうの遺品、『青鞜』関連の資料の数々など、非常に興味深く拝見しました。今回入手された『青鞜』もこちらに収蔵されるのではないのでしょうか。
 
さらには、「私たちはこれからお昼ご飯なんですが、よろしかったらご一緒にどうぞ」と、ご馳走になってしまいました。秋と言うことで栗ご飯やら、郷土料理やら、非常にありがたくいただきました。
 
ここでしか手に入らない智恵子デザインの『青鞜』表紙絵をあしらったクリアファイル、一筆箋、それかららいてう関連の書籍を買い求め、その後は上田駅前に一泊。祖父母と伯父の墓参をし、別所温泉に浸かって帰りました。
 
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らいてうの家、交通の便は良くありませんが、非常にいいところです。すぐ近くにリゾートホテルもありますので、そちらを予約して行かれるのもいいかと思います。ぜひ足をお運び下さい。ただし、先述の通り11月中旬から4月中旬までは冬期間閉鎖。今は開いていません。また、東京本部の方でも、いろいろとイベント等を開催しています。
 
【今日は何の日・光太郎】1月11日

昭和20年(1945)の今日、光太郎の弟、道利が防空壕に転落した事故が元で歿しま