今朝の朝日新聞に、以下の記事が載りました。智恵子が表紙の絵を描いた雑誌『青鞜』に関するものです。 

雑誌「青鞜」の原本49冊、都内の古書店で発見

朝日新聞デジタル 1月9日(水)18時22分配信
 
【杉原里美】女性運動家の平塚らいてう(1886~1971)が1911年に創刊した雑誌「青鞜(せいとう)」の原本49冊が東京都内の古書店で見つかった。原形をとどめた原本が大量に見つかったのは初めてという。

 「元始、女性は太陽であった」で有名な「青鞜」は、与謝野晶子や伊藤野枝など当時の女性文化人が参画した文芸誌。1916年までに計52冊刊行された。

 創刊号は1千部が発行され、最盛期は3千部にのぼったが、完全な形の原本はなく、ほかの号も隅を裁断して合本したり、穴が開いたりした原本しか見つかっていなかった。NPO法人「平塚らいてうの会」が調査したところ、女性関連の雑誌を収集する都内の古書店で発見し、購入した。2010年にあった古書の入札会に出品されていたものを同店が落札したという。
 
ネット配信のものは抜粋でして、記事そのものはこちらです。
 
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記事中にあるNPO法人「平塚らいてうの会」の折井美耶子氏からいただいた年賀状に、この件が書かれていました。「復刻とは違う味わいがあります」とのこと。その通りでしょう。
 
それにしても『青鞜』ほどの有名な雑誌でさえ、ほぼ完全な形で残っていたものが今まで見つかっていなかったというのは少し意外でした。
 
NPO法人「平塚らいてうの会」は、長野県上田市で「らいてうの家」という記念館を運営なさっています。当方、一昨年にお伺いし、大変お世話になりました。そのあたり、明日、書いてみようかなと思っています。
 
ちなみに朝日新聞、今回の記事の隣には与謝野晶子の、全集等未収録を含む短歌103首の直筆原稿の発見の記事が載っています。数日前には夏目漱石の全集等未収録作品の発見も報じられました。漱石、晶子レベルでもまだ埋もれていた作品が見つかるのですね。
 
光太郎に関しても、当方、最近また埋もれていた書簡をけっこうたくさん入手しました。いずれ「光太郎遺珠」にて公表いたします。
 
【今日は何の日・光太郎】1月10日

昭和54年(1979)の今日、講談社から津村節子、高村規編『智恵子から光太郎へ』が講談社文庫ATの一冊として刊行されました。

智恵子晩年の紙絵写真50余葉、津村氏による智恵子評伝が掲載されています。
 
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