12/30のこのブログで御紹介しました園 子音(その しおん)監督作品の映画「希望の国」の原作本です。 
 2012/9/19 園子音著 リトルモア 2012/9/19 定価1500円+税

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「原作」といっても、映画と同時進行で執筆されたもののようで、著者は園氏ご自身。いわゆる映画の「メイキング」的な内容と、シナリオ風に描かれた園氏の脳裏に展開する物語の舞台「長島県大葉町」での出来事が混在するいっぷう変わった構成になっています。
 
帯に印刷されたコピーから。
 
約何万人が死んだ、苦しんだ。 文学なら、映画なら、正確に数え上げろ! たった一つの何かを無視するな!
 
映画『希望の国』原作“半ドキュメンタリー”小説 鬼才、園子音監督のもとに、福島の思いが集まり、やがて、原発事故に揺れる家族の物語が生起する。
 
「皆が想像できる単純な物語を更に深めたい」決意した園子音は福島に何度も何度も通う。描くべき人々は、すべてその道中にいた。小野泰彦も、智恵子も、洋一も、いずみも、鈴木健も、めい子も、ミツルも、ヨーコも、犬のペギーも、役所の志村も、加藤も、警官も、自衛官も……。みんな、福島から生まれた。これは映画『希望の国』をつくる、園子音という映画監督の物語――
 
大谷直子さん演じる主人公の妻・智恵子。認知症となり、あどけない童女のようという設定ですが、高村智恵子がある種のモデルです。さらに書籍によれば園氏の母君が実際に認知症ということで、そのイメージも投影されているそうです。
 
作中、「原発」を「戦争」に置き換え、もはやどうにもな003らない状況に陥りながら戦争推進の詩を書き続けた光太郎を批判する一節があります。その点に関してはグウの音も出ませんが、同じ項で、ある別の詩人を、戦争推進に必死で抵抗したと紹介しています。確かにその詩人は、一般には権力におもねる詩文を書いていないという評価が定着しているようですが、櫻本富雄著『日本文学報国会 大東戦争下の文学者たち』(平成7年=1995 青木書店)によれば、その詩人もちゃんと(?)戦争推進的な詩文を書いていますし、ある文学者大会で述べたそうした演説の内容もちゃんと残っています。もっとも光太郎のように積極的であったかは何とも言えませんが。
 
話がそれますが、ご寛恕の程。一部の文学者に関しては、戦時中に書かれた戦争推進的な内容の作品を抹殺し、全集等にもあえて収録しない、という風潮があります。それが当人の意志であったり、没後であれば熱心なファンの仕業(とあえて表現します)であったりします。結果、「誰々は戦争推進の作品を一切書いていない。すばらしい」ということになっているのです。それでいいのでしょうか?
 
我々光太郎顕彰者は、そうした方針は採らず、たとえとんでもない内容のものであっても無視せず、すべてを明らかにしようとしております。過ちは過ちとして隠蔽したりせず、それをどのようにカバーしていったのか、そういう点を明らかにすることこそ重要なのではないのでしょうか。
 
逆に戦時中の詩文をことさらに取り上げ、「これぞ大和魂の真骨頂」と賛美する愚か者がいるのにも困りものですが……。
 
【今日は何の日・光太郎】1月9日

昭和27年(1952)の今日、光太郎の住む花巻郊外、太田村山口の山小屋で、マイナス10.4℃を記録しました。
 
もっと寒い日もあったようですが、とりあえず、「今日」の出来事、ということで……。