昨日のこのブログ、普段より閲覧数が明らかに多かったのですが、理由がよくわかりません。
 
もしかしたら鉄道ネタだったので、いわゆる「鉄ちゃん」の皆さんが検索ワード的な部分からご来訪下さったのかな、と思い、今日は二匹目のドジョウを狙ってみます。
 
先月くらいでしたか、こんなものを手に入れました。
 
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古い絵葉書です。写っているのは花巻電鉄。光太郎がよく利用した路線です。
 
七年間の厳しい山小屋生活での一番の妙薬は、ある意味山の出で湯でした。花巻は温泉の宝庫です。光太郎は昭和20年(1945)6月、肺炎が恢復した後に西鉛温泉で一週間湯治したのを皮切りに、鉛温泉、大沢温泉、志戸平温泉、花巻温泉、台温泉など、花巻温泉郷と呼ばれる数々の温泉によく足を運んでいました。
 
そうした際や、花巻市街に用事があって出かける際などに使われたのが花巻電鉄です。花巻電鉄は花巻市街から花巻温泉方面への鉄道線(花巻温泉線)と、西鉛温泉行きの軌道線(鉛線)の二系統がありました。
 
山小屋のあった山口地区から最も近かった駅(といっても4㌔㍍ほどありました)が、軌道線の二ツ堰駅。ここから光太郎曰く「夢の話みたいな可愛らしい電車」(「花巻温泉」昭和三十一年 『全集』第十巻)に乗りました。実際、軌道線の車両は、なんと幅1㍍60㌢しかなかったそうです。
 
当方、「鉄ちゃん」ではありませんので、詳しいことはよくわかりませんが、絵葉書に写っている車両は「デハ3」というタイプで、現在、JR花巻駅近くに静態保存されています。見るからに縦長で、変わった形ですね。そこで「馬面電車」「ハーモニカ電車」などと呼ばれて親しまれていたそうです。
 
場所は大沢温泉。当方が花巻に行く際に定宿にしているところで、光太郎もよく宿泊しました。鉛線の駅があったとのことです。
 
そうそう、花巻電鉄といえば、こんなものも手に入っています。
 
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交通公社などが作成した正式な物ではなく、盛岡の旅館が配っていたもののようですが、東北本線、大船渡線など岩手県内を走っていた路線のポケット版時刻表です。「昭和24年9月15日改訂」とあり、もろに光太郎が太田村山口に住んでいた時期のものです。
 
最後のあたりに花巻電鉄も載っています。
 
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意外と本数が多いのに驚きました。花巻電鉄は昭和44年(1969)には廃線となり、現在は路線バスとなっていますが、花巻高村記念会の高橋氏に聞いた話では、高村山荘行き路線が廃止になるとのこと。ある意味、淋しい話ですね。
 
当方生活圏の千葉県銚子市にはわりと有名なローカル線、銚子電鉄が走っています。経営危機をいろいろな奇抜なアイディアで乗り越え、頑張っています。当方、「鉄ちゃん」ではありませんが、鉄道の旅は大好きです。がんばってほしいものです。
 
さて、本日も鉄道ネタ。閲覧数がどうなるか楽しみです(笑)。