当方の住む千葉県は、比較的温暖な地です。そんなわけで、北国の人には怒られてしまうかもしれませんが、今朝の寒さは尋常ではありませんでした。清冽な空気はすがすがしいのですが……。
 
光太郎は生涯、冬を愛した詩人でした。題名だけとっても、それと判る詩がたくさんあります。
 
「冬の詩」(一昨年でしたか、黒木メイサさん、松田龍平さん出演のユニクロのCMに使われていましたね)、「冬が来る」、「冬の朝のめざめ」、「冬が来た」、「冬の子供」、「冬の送別」、「鮮明な冬」、「冬の言葉」、「冬」、「雪の午後」、「深夜の雪」、「師走十日」、「吹雪の夜の独白」、「雪白く積めり」、「氷上戯技」、「堅冰いたる」……。
 
光太郎はあちこちで「夏の暑さには弱く、冬になると生き返る」的な発言をしていますし、年譜を概観すると、実際に夏場には文筆作品の発表が少なく、秋から冬に多いという傾向があります。ちゃんと統計を取ったわけではなく、ざっと見てのことですが(研究テーマに困っている方、こんなのはいかがですか?)。
 
さて、「冬」の詩を一つ。昭和2年(1927)、光太郎数え45歳の作品です。
 
  冬の奴
 
 冬の奴がかあんと響く嚏をすると、
 思はず誰でもはつとして、
 海の潮まで一度に透きとほる。
 なるほど冬の奴はにべもない顔をして、
 がらん洞な空のまん中へぎりぎりと、002
 狐色のゼムマイをまき上げる。
 冬の奴はしろじろとした算術の究理で、
 魂の弱さを追求し、追及し、
 どうにもかうにもならなくさせる。
 何気なく朝の新聞を読んでゐても、
 凍る爪さきに感ずるものは
 冬の奴の決心だ。
 ゆうべまでの心の風景なんか、
 てんで、皺くちやな蜃気楼。
 ああ、冬の奴がおれを打つ、おれを打つ。
 おれの面皮をはぐ。
 おれの身を棄てさせる。
 おれを粉粉にして雪でうづめる。
 冬の奴は、それから立てといふ。
 
 おれは、ようしと思ふ。
 
さて、寒さにめげず、「ようし」と思って活動しましょうか!