野田首相が衆議院の解散を表明しました。ここはそういうサイトではないので、詳しい論評は避けますが、「何だかなぁ……」という感はぬぐえません。


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明日からまた東日本大震災被災地の福島に出かけます。復興の進捗状況はどうなのか、この眼で見てきます。むろん、地元の皆さんは頑張っているのでしょうが、おおもとの国が政治空白では、せっかくの地元の努力の足を引っ張ることになるのではないかと思います。
 
たとえば自治体職員。友人の地方公務員から聞いたのですが、ひとたび選挙になると全然関係ない部署の職員までかり出されるとのこと。その間、本来の業務はどうしても遅滞するそうで、はっきり言って、被災地ではそれどころではないはず。もちろん、政府、日本という国としても同じ事ではないのでしょうか。
 
だからと言って、現状の永田町のままではどうにもなりません。また、政府と政治家の無能が暗殺とクーデター計画を連発させた戦前の日本のようになっても困ります。どこが政権をにぎるにしても、新体制が発足したら与野党一丸となって被災地の復興を最優先に進めてほしいものです。
 
そこで思い出したのが、大正13年(1924)5月に雑誌『女性』に載った智恵子の文章。「総選挙に誰れを選ぶか?」の問いに対するアンケートの回答です。『高村光太郎全集』別巻に収録されています。
 
  棄権 -総選挙に誰れを選ぶか?-
 
もしあったら……リンカーンのやうな政治家を選びませう。日本にだつて一人ぐらゐ、正しい事のために利害なんかを度外に置いて、大地にしつかりと誠実な根を持ち、まつすぐに光りに向つて、その力いつぱいの生活をする喬木のやうな政治家があつてもいゝだらうとおもひます。さういふ政治家なら有頂天になつて投票することでせうとおもひます。しかしうまくその時までに、私達がほんとに尊敬し信ずることの出来る政治家が出てくれなければ、棄権するよりほかないかとおもはれます。情実や術数の巣のやうな政党なんかてんでだめですね。
 
90年前の文章とは思えませんね。現在、街頭インタビューをしても同じような回答があるのではないかと思います。
 
今年は東日本大震災の翌年ですが、大正13年(1924)は奇しくも関東大震災の翌年です。ちなみにまだ普通選挙法も制定されていませんし、ましてや女性の選挙権は戦後にならないと与えられません。そうした時代に既にこういう事を言っていた智恵子の先進性をほめるべきなのか、90年前と変わらない日本の後進性を憂うべきなのか……。

さて、明日からモンデンモモさんのコンサートツアーにサポートスタッフとして帯同、被災地福島を回ってきます。