最近入手した昔の絵葉書です。

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恐らく明治、大正の頃のものでしょう。写っているのは日本郵船の「阿波丸」という船です。戦時中に米軍潜水艦に撃沈された有名な「阿波丸事件」の「阿波丸」とは別の船です。

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この船が何なのかというと、明治42年(1909)、光太郎が欧米留学から帰る時に乗った船なのです。留学の最終滞在地はパリでしたが、そちらから一旦ロンドンに渡り、阿波丸に乗り込みました。下船場所は神戸。光太郎の父・光雲が迎えに来ており、神戸からの汽車の中で、光太郎を中心に銅像を制作する会社を興す計画が語られましたが、光太郎は取り合いませんでした。
 
ところで、少し前に昭和17年(1942)の『海運報国』という雑誌に載った「海の思出」という少し長い光太郎の随筆を見つけました。今まで知られていなかった文章です。この中で、幼少年期の海の思い出-小学校の遠足で見た品川の海、14歳頃に一人旅で訪れた江の島、16歳で富士山頂から見た太平洋-、欧米留学で乗った船の思い出が語られています。
 
どうも今まで知られていた文章には載っていなかったと思われる事実がかなり語られており、現在、鋭意調査中です。秋に高村光太郎研究会という会合があるのですが、そこで発表を頼まれており、この件で発表するつもりで居ります。
 
そのためついこの前も国会図書館に調査に行きましたし、この絵はがきも購入しました。
 
後ほど調査した内容はこのブログでも紹介しましょう。