女川レポートの最終回です。
8月10日(金)、石巻の宿を出て、再び女川に向かいました。佐々木(貝)廣さんの御霊前に焼香と、女川港の現状を観るためです。
前日の女川・光太郎祭参加の際に、女川港も通りましたが、今日はバスを止め、歩きました。
一面、更地のようになっていますが、かつてはここが繁華街でした。そうといわれなければとても信じられないと思います。横倒しになったビルが三棟、そのままになっているのが名残です。今さらながらに津波の膨大な力に驚きました。
4基あった光太郎碑のうち、2基だけはかろうじて残っています。メインの大きな碑は仰向けに倒れています。公園だったこの一帯は地盤が1㍍以上沈下したということで、満潮時には海水が周りを覆い、近づけません。おそらく文学碑としては日本最大、といわれていただけに、かえって動かそうにも簡単には動かせないようです。
メインの碑の真下にあった短歌「海にして……」を活字で刻んだ小さい碑は無くなっています。
詩「霧の中の決意」を刻んだ碑は、ほぼ元の通り残っていました。
それとセットになっていた詩「よしきり鮫」を刻んだ碑も行方不明とのこと。北川先生曰く、「よしきり鮫だけに、海へ帰ったんでしょう」。
前日の光太郎祭の中で、女川町長・須田善明氏があらたに公園を作り、そこに今ある碑を設置し直す予定とおっしゃっていました。震災の爪痕を風化させないためにも、そうしてほしいものです。横倒しになったビルのうち、元の交番だった建物も残すという話が持ち上がっているようです。地元の人々にとっては、辛い記憶の残るモニュメントとなると思いますが、やはりこういうことも大事なことだと思います。
その後、仮設商店街に行きました。仮設住宅は当方の住まう千葉県香取市にも作られましたが、仮設商店街というのは初めてでした。
港の周辺は壊滅状態でしたが、仮設住宅や仮設商店街には人々のエネルギーが溢れ、改めて人間の素晴らしさを感じました。しかし、そこにいる人々は皆、多かれ少なかれ痛手を負っているわけで、でも、そこから立ち直り、進んでいこうとなさっているわけです。
我々一般庶民に出来ることは小さなことだと思いますが、被災地のためにできること、やらなければいけないこと、もう一度考えてみたいと思います。
話は変わりますが、今日は国会図書館に行ってきました。地下鉄丸ノ内線の国会議事堂前駅で降り、議事堂の裏を通って図書館に向かいつつ、議事堂の中で政争に明け暮れているセンセイ達を思い、腹が立ちました。もっと他にやるべき事があるんじゃないの? と。
おそらく一年後にまた女川を訪れることになると思います。一年後の女川がどうなっているのか、無論、復興していて欲しいと願っています。
以上、女川レポートを終わります。