今日は8月6日、広島原爆の日です。
 
光太郎が原爆に言及した文章を一篇思い出しましたので、紹介します。
 
昭和24年(1949)3月20日ナカヤジェネラル貿易会社刊行の、広島文理科大学助教授小倉豊文著『絶後の記録』海外輸出版の序文です。初版は昭和23年11月、中央社の刊行ですが、翌年に刊行された海外輸出版の序文を光太郎が書いています。また、その後中央公論社から覆刻された文庫版等にも掲載されています。画像は文庫版です。

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これもあまり長いものではありませんので全文を紹介しましょう。
 
豆ランプの光の下で小倉豊文氏の「絶後の記録」を読みをはつて私は何だか頭の中がきな臭いやうになり、自分がこんな静かな山の中の小屋に住んでゐるのをむしろ夢幻のやうにさへ感じた。翌日の夜また読みかへし、その後また読みなほして、しんから此の実感のあふれた記事の真相に心をゆすぶられた。甚だ素朴な書き方で氏自身の体験が端からつぎつぎと記録されてゆくうちに、此の火薬庫の爆発かと思つたものが、世界に於ける前代未聞の原子爆弾の爆裂である事がわかつて来る物凄さはまつたく私を戦慄させた。所謂原子爆弾症に仆れた夫人の事に筆が及ぶと殆と卒読に堪へない思がした。此の多くの無惨の死者が、若し平和への人類の進みに高く燈をかかげるものとならなかつたら、どう為よう。此の記録を読んだらどんな政治家でも軍人でも、もう実際の戦争をする気はなくなるであらう。今後せめて所謂冷たい戦争程度だけで戦争は終るやうになつてくれなければ此の沢山の日本人は犬死にになる。此本を読んで世界の人々に考へてもらひたい。
   一九四九年二月
 
戦時中には国民を鼓舞する戦争詩を書きまくっていた光太郎にとって、広島の惨状を記録したこの書は、ある意味峻烈な刃となって突きつけられたものです。
 
こうしたものを読むだにつけ、自らの戦争責任への反省の意は強くなったと思われます。
 
本当に地球上から戦争というものが無くなる日が来てほしいものです。