さて、先述の米国人学生とのバトル、「青春の日」「わが生涯」。ともに戦後の回想ですが、戦時中に書かれたものになると、少しニュアンスが異なります。
 
私は二十五、六歳のころ、ニューヨークのある美術研究所の教室で一人の米国人と喧嘩したことがある。彼は実に猛烈な力を揮つて一気に私を慴伏せしめようとした。級友をまはりに見物させて堂々とかかつて来たが、私に腕を握られることを嫌つて、いはゆるメリケンを濫発し、又は逆に私の上半身を抱きすくめようとした。その勢は実に圧倒的であつたが、恐らく彼はボクシングも、レスリングも妙手ではなかつたと見えて、幾度か私のやうなものにも投げつけられた。最後の力を出しきるまで彼は頑強に立上つて向かつて来たが、最後には彼は急に弱くなつた。私がうろおぼえの怪しげな逆手を取つた時、つひに「お前の勝だ」といつた。そして握手した。それ以後彼は現金なほど教室で威張らなくなり私の彫刻にいたづらもしなくなつた。
 
ここまでは、先の二篇とほぼ同じです。しかし、この後、話が意外な方向に進みます。
 
米国人は最大の力をまづ正面に出すのが好きである。いくらやられても出す。最後の力を出しきるまでははでに出す。その代り弱る時は急に弱くなる。米国人に対してはどんなことがあつても、その最後の力を出しきらせるまでやらなければならない。とても駄目だと思ふに至るまでこちらが頑ばると最後に急にへこたれる。
 
やはり戦時中ということで、対米戦争の方に話が進むのです。この文章の題名は「全国民の気合-神性と全能力を発揮せよ-」(昭和19年7月 『高村光太郎全集』第二十巻)。題名だけでも痛々しいと思います。
 
もはや日本軍はマリアナ沖海戦にも負け、サイパン島を失い、敗色は誰の目にも明らかな時期、さらにはこのころから大本営発表に「特攻」の文字が目立つようになります。

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光太郎も題名に「神性」の語を使っていますが、日本全体「今に神風が吹く」という神頼みの状態でした。そして翌昭和20年(1945)には「米国人に対してはどんなことがあつても、その最後の力を出しきらせるまでや」った結果の、広島、長崎への原爆投下。そして敗戦……。
 
来週には広島、長崎の原爆の日、再来週には終戦記念日です。いずれ光太郎と戦争とのからみを載せたいと思っています。