ロンドンオリンピックが開幕しました。日本選手の活躍に期待したいものです。
 
オリンピックと言うことで、光太郎にもオリンピックがらみの発言があったことを思い出しました。
 
昭和16年(1941)1月24日から2月14日にかけ、『読売新聞』の婦人欄に連載された座談会「新女性美の創造」です。

イメージ 1

光太郎や宮本百合子など、出席者は総勢七名。上の画像では左から三人目が光太郎です。
 
この中で昭和11年(1936)に行われたベルリンオリンピックに関する話題が出ています。その部分のみ抜粋してみましょう。
 
高村「僕はこの間の「美の祭典」を非常に喜んで見ました。やはりあゝいふのは僕らの参考になります。さつき体操の話が出ましたがこれも勿論よいものですが、あの飛込みは素晴らしいものだ。第一水泳の人の身体は違ふ。」
吉田「水泳の人は非常に調和の取れた身体ですね。」
高村「前畑さんなどは普通では肥りすぎてゐるやうにいはれるけれども、僕などの立場から見ると実に美しいものですね。」
竹内「前畑さんは丁度理想的な寸法で決して肥りすぎてはをりません。あの人がドイツから帰つて来た日に私、宿舎へ行き、身体測定をしました。すると前畑さんに戦いを挑んだドイツのゲネンゲル女史と同じ格好をしてゐる。寸法でいひますと身長が一六〇糎(センチ)、胸の周りが九〇.二糎、これを身長との割合にすると五六.五になります。それから目方はあの人は五八瓩(キログラム)です。」
 
光太郎が見たという「美の祭典」は、ベルリンオリンピックの模様を記録した映画です。まだテレビがなかった時代、動画でオリンピックの様子を知るには、映画で見るしかなかったのですね。
 
ちなみに当方、昨夜はテレビでBS放送の柔道と地上波の女子サッカーを行ったり来たりしながら観ていました。さしもの光太郎も70年後にこんな便利な時代になっているとは思いもよらないでしょう。
 
「前畑さん」は、「前畑がんばれ!」の連呼で有名な水泳の前畑秀子選手です。昭和7年(1932)のロサンゼルスオリンピック200㍍平泳ぎで銀、4年後のベルリンオリンピックの同じ200㍍平泳ぎで、日本女性初の金メダルを獲得しました。同じ座談会によれば当時の日本女性の平均は身長150センチ、体重53キロだったそうですから、やはりかなり立派な体格だったようです。
 
「ゲネンゲル女史」は、ベルリンで前畑と死闘を演じたマルタ・ゲネンゲルです。
 
この部分の光太郎以外の発言者「吉田」は体育研究所技師・文部省体育官を務めていた吉田章信。「竹内」は竹内茂代。女医です。
 
この「新女性美の創造」、一昨年刊行の『高村光太郎研究(32)』所収の「光太郎遺珠⑥」に掲載しました。
 
オリンピックの歴史をひもとくと、この座談会が開かれた前年の昭和15年(1940)は第二次世界大戦のあおりで東京オリンピックが幻と化し、次の昭和19年(1944)もロンドン大会の予定だったのが中止。戦後になってようやく仕切り直しのロンドン大会が昭和23年(1948)に開かれました。ただし敗戦国である日本の復帰はさらに後、昭和27年(1952)のヘルシンキ大会からでした。
 
明日はその辺りを書こうと思っています。