2日続けて既に他の雑誌等に発表された文章が「転載」されている例を紹介しました。「転載」がらみでは他にも色々なケースがあります。
具体例を挙げましょう。
『高村光太郎全集』第19巻には「ツルゲーネフの再吟味」という短い文章が載っています。これは昭和11年(1936)、六芸社から発行された『ツルゲーネフ全集』新修普及版の内容見本(広告的な冊子)から採録したものです。ところがその後、遡ること2年、昭和9年(1934)に発行された『ツルゲーネフ全集』のオリジナル版の内容見本を発見しました。こちらにも光太郎の「ツルゲーネフの再吟味」が掲載されています。
それだけなら、『高村光太郎全集』の解題を訂正すればいいだけの話です。前回紹介した「天川原の朝」などと同じパターンです。ところが、オリジナル版と新修普及版、それぞれを読み比べてみると、オリジナル版の方が長いのです。つまり新修普及版の内容見本に転載(というか再録)する際に、オリジナル版の内容から一部をカットしているわけです。こうなると、優先されるのはカットされる前のオリジナル版の方ということになります。そこで、平成18年(2006)発行の「光太郎遺珠」②に全文を掲載しました。
こういう例は他にもあります。
昭和28年(1953)6月1日発行の『女性教養』第173号という雑誌をネットで入手しました。光太郎の「炉辺雑感」という長い散文(講演の筆録)が載っており、当方作成のリストに載っていなかったからです。さて、手許に届いて早速読んでみましたところ、読み進めていくうちに、「あれ、これ、読んだことあるぞ」と気づきました。出てくるエピソード-その昔、キリスト教に興味を持ちながらどうしても入信に踏み切れなかった話、花巻の山小屋での農作業の話など-が記憶に残っていました。「ちっ、転載か」と思い、調べてみると、『全集』第10巻所収の『婦人公論』第37巻第6号に載った「美と真実の生活」という題名の講演会筆録と内容がかぶっています。ところがこれも、今回入手した『女性教養』の「炉辺雑感」の方が長いのです。『婦人公論』の「美と真実の生活」は、『女性教養』の「炉辺雑感」を換骨奪胎し、7割程の長さに圧縮してあることが分かりました。不思議なことに、両方とも昭和28年(1953)6月1日発行です。まあ、実際に店頭に並んだのは奥付記載の発行日通りではないかも知れませんが。これなどはちょっと変わったケースです。「炉辺雑感」、来年4月発行予定の『高村光太郎研究34』に所収予定の「光太郎遺珠」⑧に掲載予定です(「予定」ばかりですみません)。
また、「転載」の結果、ほとんど別の作品に変わってしまっている、という例もあります。
よく知られている有名な詩「道程」。たった9行の短い詩ですが、大正3年3月、雑誌『美の廃墟』に発表された段階では102行もある長い詩でした。それが8ヶ月後に詩集『道程』に収められた段階ではばっさりと削られ、たった9行に。こうなるとほとんど別の作品といっていい程の改変です。詩の場合、あまりに変えられたものは『全集』第19巻に「初出・異稿」として改変前のものもまとめて載せられています。散文でもこういうケースがあり、転載された前後で、同じ題名で内容的にも同じ、しかし細かな言い回しを含め、100カ所以上の異同などというものもあります。こうなると、次に『全集』が編纂される際には双方を掲載しなければならないかもしれません。
このように基礎テキストの校訂すらまだまた途上の状態です。しかし、光太郎程の人物が書き残したもの、出来る限り完全に近い形で次の世代へと受けついでいく努力は続けていきたいと思っています。