以前にも書きましたが、当方、千葉県香取市在住です。その中でも平成の大合併で香取市となるまでは佐原市といっていた区域で暮らしています。ここは千葉県の北東部に位置し、成田や銚子にも近い水郷地帯です。
もともとは古代に香取神宮の門前町としてその発展を始めましたが、江戸の昔には利根川の水運、水郷地帯特産の米を利用しての醸造業などを中心に商都として栄え、「小江戸」と称されました。日本で初めて実測による地図を作成したかの伊能忠敬も、佐原で醸造業を営んでいました。
しかし、明治に入り、鉄道網の整備と共に水運が廃れ、佐原の街の発展もかげりを見せます。そのおかげ、というと語弊がありますが、太平洋戦争時には空襲をまぬがれました。銚子には空襲がありましたし、成田では空襲はなかったものの、撃墜されたB29が炎上しての火災があったそうです。そのおかげ(こちらはほんとにそのおかげです)で、旧市街では江戸期から戦前の商家建築が多数残り、平成8年、関東で初めて重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。
それまではさびれた街でしたが、もともと営業していた店は息を吹き返し(幕末に建てられた店がそのまま営業しています)、廃屋になりかけていた古民家もおしゃれなカフェやレストランなどにリニューアル、現在では休日ともなれば都心方面からのバスツアーなど、観光客の皆さんでにぎわっています。昨年の震災で受けた被害からも徐々に復興してきました。ただ、まだ足場を組んで修理中の建物も多いのですが。
余談になりますが、佐原では古い街並みを利用しての映画、テレビなどのロケもよく行われています。後のブログでも書こうと思っていますが、昭和42年公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻主演)のロケも行われたのではないかと思っています(確証がないのですが)。
というわけで、古来から佐原には文人墨客の滞在、来訪が多くありました。近代でも有名どころでは、芥川龍之介にその名もずばり「佐原行」という小品がありますし、与謝野晶子、若山牧水、柳原白蓮、新村出(かの『広辞苑』編者)なども訪れています。あまり有名ではありませんが、光太郎の彫刻のモデルを務めたこともある歌人・今井邦子の夫も佐原にゆかりの人物です。実は佐原、古い街並み保存などの方面には力を入れていますが、文人との関わりなどの方面はまだまだ光を当てていません。
近隣の銚子や成田には光太郎、智恵子の足跡が残されています。しかし佐原と光太郎には、今のところ深い関わりは発見できていません。今後、佐原に住んでいた誰々に宛てた書簡などが出て来る可能性も皆無ではありませんが、おそらくないでしょう。大正元年に光太郎と智恵子は銚子の犬吠埼で「偶然に」出会っていますが、この頃の東京から銚子へのルートとしては佐原経由の成田線がまだ開通しておらず、もう少し南の八日市場・旭経由の総武線で往復し、佐原は通っていないと思われます。
ただ、間接的なつながり-光太郎というより光雲との-はいくつかあります。その一つが来週末に行われる「佐原の大祭・夏祭り」です。先日のブログに書いた佐原の骨董市が行われる八坂神社の祭りです。
佐原の大祭は夏と秋の二回、それぞれ3日間ずつ行われます。夏と秋では異なる地区が担当します。旧市街中心を流れる小野川を境に夏は東岸の「本宿」(旧市街の中でもより古くから発展していた地区)、秋は西岸の「新宿」(旧市街の中では比較的新しく発展した地区)が担当です。基本的には山車(だし)の引き回しをする祭りです。江戸期に繁栄していた頃、佐原の商人達がこぞって豪勢な山車を作らせ、その妍(けん)を競いました。
山車の命は上部に据えられる巨大な人形と、山車全体を覆う木彫です。
まず、木彫の方では、先のブログで紹介した、東京美術学校で光雲の同僚だった石川光明の家系が関わっています。来週末に行われる夏祭りでは本宿地区10台の山車が出ますが、そのうちの4台に石川系の木彫が施されています。それぞれ江戸後期から幕末に作られたもので、「寺宿」「船戸」(本宿の中のさらに細かな町名です。以下同じ)の山車には、光明の先々代、豊光の門人であった石川常次郎の彫刻が、「下新町」の山車(こちらは秋ですが)にはやはり豊光の門人であった石川三之介の彫刻が施されています。また、詳細は不明とのことですが、「仁井宿(にいじゅく)」の山車にも石川系の彫刻が入っているらしいとのことです。佐原の商人達は、当時の江戸の有名な宮彫師(神社仏閣の外装などを手がける職人)であった石川一派に依頼したというわけです。どれも非常に精緻な木彫で、江戸の職人の水準の高さがよくわかります。
残念ながら高村一派の木彫が入った山車はありません。光雲は、自分の地元の駒込林町の祭礼で使う御輿(みこし)の木彫などは手がけていますが、あくまで地元だからであって、やはり御輿や山車の彫刻は仏師としての仕事の範疇から外れるのだと思います。
それから人形。佐原の山車には一部の例外を除き、歴史上の人物や神話の神々などの巨大な人形が据え付けられています。夏祭りで出る山車のうち、「下仲町」の人形・菅原道真(大正十年)、「荒久(あらく)」の人形・経津主神(ふつぬしのかみ=香取神宮の祭神 大正九年)の作者は、三代目安本亀八(かめはち)。これらの人形はとてつもなくリアルな「活人形(いきにんぎょう)」という種類のもので、これは幕末から明治、大正にかけて見世物小屋などで展示されることが多かったということです(一番下のリンクで画像が出ます)。光雲は活人形の祖、松本喜三郎を賞賛する文章を残しており、昭和四年に刊行された『光雲懐古談』に収められています。さて、「下中宿」の菅原道真。町内の人が書いた説明板には光雲がこの人形を見て絶賛した旨の記述があります。ただし、今のところ出典は確認できていません。
いずれ光雲の書き残したもの(多くは談話筆記)も体系的にまとめようと思っていますので、そうした中で調査してみたいと思います。
というような光雲との間接的なつながりのある祭りです。来週末の13日(金)から15日(日)の3日間。重要伝統的建造物群を背景に練り歩く山車を見るだけでもいいものです。タイムスリップしたような感覚も味わえます。十数年前までは、八坂神社に見世物小屋の興業が出ていました。さすがにそれは無くなりましたが、情緒溢れるレトロな雰囲気は昔のままです。といって、静かな祭りではなく、山車をその場でドリフトさせる「「の」の字回し」(平仮名の「の」のような動きということです)などの勇壮な曲引きもあったりしますし、山車に乗る「下座連(げざれん)」の人達の笛や太鼓の演奏も見事なものです。これも音楽史、民俗史的に貴重なもののようです。
是非、お越しください。
以下のサイトを参照させていただきました。
国指定重要無形民俗文化財 佐原の大祭
『生人形師 三代目 安本亀八展~日本人形の極致~』水郷佐原山車会館