6月16日土曜日、二本松に行く途中、三宅坂の国立国会図書館に寄り道しました。以前も書きましたが、当方の居住地から都心まで出るのも一苦労で(高速バスで約1時間30分1,700円、JRの普通列車で約2時間、1,620円)、こういう機会も活用しています。

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このところ、光太郎作詞の歌曲について調査をしています。同時代や後世の作曲家が元々あった光太郎の詩に曲をつけたものではなく(それはそれで重要なのですが)、最初から光太郎が歌の歌詞として詩を作ったものについて主に取り組んでいます。
 
光太郎は歌の作詞にはあまり熱意を持っておらず、このカテゴリーに属するものの数は多くありません。そういう意味では同時代の北原白秋、三木露風、野口雨情等と比べると異質です。また、北川太一先生のご指摘によれば、光太郎には校歌の作詞が一篇もないとのこと。たしかに校歌というもの、名だたる詩人に依頼することが多いものですね。実際、光太郎の日記にも依頼があったことは記されていますが、引き受けたという記述は見あたりません。「おらが村の学校の校歌は光太郎作詞だ」という方がもしいらしたら、大発見です。ご教示下さい。
 
ただ、校歌は作っていない光太郎ですが、岩波書店の「社歌」は作詞しています。これを含め、10曲たらずですが、最初から光太郎が歌の歌詞として詩を作ったものについて調査をしています。作曲者が誰で、レコードや楽譜はいつどこから発行され、レコードなら誰が歌い、ラジオでの放送は、独唱・合唱誰が編曲し、現在手に入るCDは、などなど、こういったことについてまとまった記録がありませんので、すこしずつやっているわけです。誰かがまとめておかないと、こうした事実も歴史の波に埋もれてしまいますから。
 
しかし、これが予想外に難航しています。楽譜やレコードの類は一般の古書籍ほど市場が確立していませんし、図書館等にもあまり所蔵されていません。それでも国会図書館では、当方未知の資料が最近になって館内限定閲覧のデジタル資料に登録されたので、調べに行って参りました。
 
いろいろな書籍やインターネットサイトで調べても脱漏や事実誤認が多く、なかなか全貌を明らかにするのは困難です。平安時代とかではなく、たかだか数十年前の話なんですけどね。
 
調査の結果わかったこと、楽譜などは、当方の発行しています冊子『光太郎資料』に少しずつ掲載しています。『光太郎資料』については、また後ほどこのブログでご紹介いたします。
 
話は変わりますが、またやってしまいました。先程気がついたのですが、昨夜、テレビ東京系の『乃木坂浪漫』で「智恵子抄」の朗読があったとのこと。

先月も同じ番組で「道程」その他の朗読があったのを見逃しました。この番組、yahoo!のテレビ番組の内容検索でひっかからないので、うっかりしていました。後でDVDにでもして発売してほしいものです。