昨日開幕でした。

ニッポンの油絵 近現代美術をかたち作ったもの

期 日 : 2022年11月12日(土)~12月25日(日)
会 場 : 和歌山県立近代美術館 和歌山市吹上1-4-14
時 間 : 9時30分−17時
休 館 : 月曜日
料 金 : 一般520(410)円 大学生300(260)円 ( )内20名以上の団体料金
      高校生以下、65歳以上、障害者、県内に在学中の外国人留学生は無料
*11月19日(土)、20日(日)は「関西文化の日」として入館無料
*11月22日(火)は「和歌山県ふるさと誕生日」として入館無料
*11月26日、12月24日(毎月第4土曜日 ) は「紀陽文化財団の日」として大学生無料
*12月4日(毎月第1日曜日)は入館無料

 「油絵」は、日本の近現代美術史のなかで重要な位置を占めています。近代美術館である当館がコレクションの柱としている「和歌山ゆかりの作家たち」のなかにも、日本で最初期の洋画家となった神中糸子をはじめ、油絵に向き合うことから彫刻を含む自身の創作を始めた保田龍門、油絵を自らの表現方法として選び、生涯描き続けた石垣栄太郎、川口軌外、村井正誠など、重要な作家たちが含まれます。
 いまでは多くの人にとって見慣れた技法になっている油絵ですが、広く普及したのは、明治維新後に殖産興業のための技術として美術学校で教えられ、展覧会などの発表の場が設けられてからです。油絵の多彩な表現は、西洋のものの見方や、新しい思潮に裏打ちされており、それらへの憧れや共感とともに多くの若い画家たちを魅了しました。
 本展ではまず、ひとりひとりの画家が、どのように油絵と出会い、油絵によって学び、表現する者として成長していったかを作品を通して見ていきます。画家たちのまなざしは油絵を生み出した海外の表現に向かい、ひるがえって日本美術とは何であるかを問うことにもなりました。
 また、油絵具の素材としての魅力そのものにも注目したいと思います。油絵具には独特の艶と透明感があり、筆触や盛り上げを残すこともできる強い物質性を持っていることが特徴です。多くの新しい画材が開発された現代でも、絵具の層を重ねて表現する深み、ゆっくりと固まる絵具の性質を生かした表現など、油絵は材料の多様性のなかに埋もれることなく存在感を放っています。
 日本の近代美術の中に油絵がなかったなら、今日の美術表現はずいぶん違ったものになっていたでしょう。本展は、当館のコレクションを中心に、およそ100点で構成します。油絵を通して、日本の近現代美術の魅力を再発見していただく機会ともなれば幸いです。
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001上記はプレスリリースの画像。ここに紹介されていませんが(100点ほどの出品だそうで)、同館所蔵の光太郎の油絵「佐藤春夫像」(大正3年=1914)も出ているとのこと。

同館、当方の把握している限り、何だかんだで2~3年に1度は、この絵を出品して下さっています。一昨年に開催された「コレクションの50年」展、令和元年(2019)で「 時代の転換と美術「大正」とその前後」展、平成28年(2016)には「動き出す!絵画 ペール北山の夢―モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち―」。同展は全国巡回でしたが、巡回先にも貸与して下さっていました。

佐藤春夫は和歌山出身ですので、同館が入手なさったのでしょう。そして、死蔵とせずにこうしていろいろな機会に出して下さるのは有り難い限りです。

現存が確認できている光太郎の油絵は、10点ちょっとしかありません。この機会をお見逃し無く。

【折々のことば・光太郎】

豊周と規君くる、規君写真をとる、弟に研石をたのむ、白ブドウ酒一本もらふ、

昭和29年(1954)12月23日の日記より 光太郎72歳

光太郎に代わって髙村家を嗣いだ実弟の豊周には、研石(砥石)の入手を頼んでいます。まだ木彫をやりたいと思っていたのでしょうか。

豊周子息で、のち写真家となった故・規氏。この年、日本大学芸術学部写真学科に入学していました。この日はカメラを持参し、光太郎を撮影しました。

規氏の回想「写真家の目と駒込林町の家 高村規の語る戦後の写真(2)」(『日本古書通信』第952号 平成20年=2008 11月)より。

002 大学一年だった僕もカメラを持ってついて行った。そのときに撮った写真が、智恵子さんが織った布地で作ったチャンチャンコを着て微笑んでいる光太郎だった。
(略)
 光太郎から「今度出す本(『全詩集大成現代日本詩人全集』昭和三十年三月・創元社)の口絵に使いたいんだけどいいかしら」と電話をもらった。そんな電話にも驚いたし、写真を始めて一年足らずの僕の写真が初めて印刷されることがうれしかった。
(略)

 昭和三十一年四月二日未明、光太郎が亡くなった。(略)相識の写真の相談が始まった。北川太一さんが本棚から最近出た本をいくつかだしてきたらしい。その本の口絵の写真を見ながら、草野心平さんをはじめとした葬儀委員の方々が、「その写真は光太郎さんが気に入ってたからこれがいいのでは、ただ写したのが誰だかわからないね」と話していた。肩越しに覗いたらアトリエで撮った僕の写真だった。「僕のです」と話したら草野さんが「これに決まりだ」と言い出した。