今日10月5日(水)はレモンの日。昭和13年(1938)の今日、智恵子が南品川ゼームス坂病院で、いまわの際に光太郎が持参したレモンをがりりと噛んだことに由来します。
かつて数々の女優さんが演じてきたそのシーン。
昭和32年(1957)、東宝映画「智恵子抄」で、原節子さん。
その10年後、昭和42年(1967)の松竹映画「智恵子抄」では、岩下志麻さん。
テレビでは、平成3年(1991)、NHKさんで放映されたスペシャルドラマ「智恵子と光太郎 極北の愛」で、佐久間良子さん。
テレ東さんでも、平成6年(1994)に「日本名作ドラマ 智恵子抄」。南果歩さんが演じられました。
それから、ドラマではありませんがNHKさんの「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」(平成27年=2015)。再現Vのパートで前田亜希さん。
智恵子役といえば、平成21年(2009)、日テレさん系の深夜ドラマ「妄想姉妹~文學という名のもとに~」 での紺野まひるさんが、個人的には非常にいいと思ったのですが、ドラマの演出上、レモンを噛む智恵子臨終のシーンはありませんでした。
さて、真面目な話も(ここまでが不真面目だったわけではありませんが(笑))。
最近、こんな絵葉書を入手しました。
明治40年(1907)、智恵子の母校・日本女子大学校の同窓会(イベントとしての同窓会ではなく、組織としての)である桜楓会発行のもので、エンボス加工(レリーフのように図柄を盛り上げた印刷)が為されており、カラーですし、当時としては高級なもののようです。
「Souvenir Post Card. The Ofukai Bazar 1907-」「桜楓会バザー記念」の文字。このバザーというのが、日本女子大学校の名物行事の一つでした。その際に来場者にお土産として配付されたものでしょうか。
平成2年(1990)、二本松市教育委員会刊行の『アルバム高村智恵子-その愛と美の軌跡-』(当会顧問であらせられた北川太一先生編)所収の智恵子年譜に拠れば「当時のバザー、学芸会の装飾、背景などは、智恵子によるものが少なくない」とのこと。すると、この絵葉書も原画は智恵子が描いたものなのかもしれません。
傍証は、図柄。書籍が描かれていますが、背の部分に「三つの」という金文字が見えます。どうやらこの書籍は『三つの泉』ではないかと推定出来ます。
『三つの泉』は、明治39年(1906)、日本女子大学校で、皇族等を招いて大々的に開催された「秋期文芸会」(今で言う学園祭的な行事)を記念して、翌年(上記絵葉書と同じ年です)に、やはり桜楓会から刊行されたものです。
こちらはその表紙、中のカット(右上、写真の周りの縁取り)を智恵子が描いたことが既にわかっています。
となると、上記絵葉書もやはり智恵子が原画を描いたと考えるのが妥当なような気がします。花の描き方も、『三つの泉』のカットと共通するような……。
作者のサインがありませんので断言できないのですが……。
これが智恵子の手になるものだということが証明出来る、光太郎智恵子、あるいは周辺人物の回想文や書簡などが出て来ることを望みます。
さて、今日は「レモンの日」。皆様方には、ぜひ智恵子という鮮烈な生き方をした人物を、それぞれの場で偲んでいただきたいものです。
【折々のことば・光太郎】
筑摩書房の人くる、全集用の写真をかし又色紙一枚かく、「いろはにほへと」とかく、
「全集」は『現代日本文学全集』。第24巻が「高村光太郎 萩原朔太郎 宮沢賢治集」でした。「いろはにほへと」の書は、光太郎の部の最初に印刷されています。
かつて数々の女優さんが演じてきたそのシーン。
昭和32年(1957)、東宝映画「智恵子抄」で、原節子さん。
その10年後、昭和42年(1967)の松竹映画「智恵子抄」では、岩下志麻さん。
テレビでは、平成3年(1991)、NHKさんで放映されたスペシャルドラマ「智恵子と光太郎 極北の愛」で、佐久間良子さん。
テレ東さんでも、平成6年(1994)に「日本名作ドラマ 智恵子抄」。南果歩さんが演じられました。
それから、ドラマではありませんがNHKさんの「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」(平成27年=2015)。再現Vのパートで前田亜希さん。
智恵子役といえば、平成21年(2009)、日テレさん系の深夜ドラマ「妄想姉妹~文學という名のもとに~」 での紺野まひるさんが、個人的には非常にいいと思ったのですが、ドラマの演出上、レモンを噛む智恵子臨終のシーンはありませんでした。
さて、真面目な話も(ここまでが不真面目だったわけではありませんが(笑))。
最近、こんな絵葉書を入手しました。
明治40年(1907)、智恵子の母校・日本女子大学校の同窓会(イベントとしての同窓会ではなく、組織としての)である桜楓会発行のもので、エンボス加工(レリーフのように図柄を盛り上げた印刷)が為されており、カラーですし、当時としては高級なもののようです。
「Souvenir Post Card. The Ofukai Bazar 1907-」「桜楓会バザー記念」の文字。このバザーというのが、日本女子大学校の名物行事の一つでした。その際に来場者にお土産として配付されたものでしょうか。
平成2年(1990)、二本松市教育委員会刊行の『アルバム高村智恵子-その愛と美の軌跡-』(当会顧問であらせられた北川太一先生編)所収の智恵子年譜に拠れば「当時のバザー、学芸会の装飾、背景などは、智恵子によるものが少なくない」とのこと。すると、この絵葉書も原画は智恵子が描いたものなのかもしれません。
傍証は、図柄。書籍が描かれていますが、背の部分に「三つの」という金文字が見えます。どうやらこの書籍は『三つの泉』ではないかと推定出来ます。
『三つの泉』は、明治39年(1906)、日本女子大学校で、皇族等を招いて大々的に開催された「秋期文芸会」(今で言う学園祭的な行事)を記念して、翌年(上記絵葉書と同じ年です)に、やはり桜楓会から刊行されたものです。
こちらはその表紙、中のカット(右上、写真の周りの縁取り)を智恵子が描いたことが既にわかっています。
となると、上記絵葉書もやはり智恵子が原画を描いたと考えるのが妥当なような気がします。花の描き方も、『三つの泉』のカットと共通するような……。
作者のサインがありませんので断言できないのですが……。
これが智恵子の手になるものだということが証明出来る、光太郎智恵子、あるいは周辺人物の回想文や書簡などが出て来ることを望みます。
さて、今日は「レモンの日」。皆様方には、ぜひ智恵子という鮮烈な生き方をした人物を、それぞれの場で偲んでいただきたいものです。
【折々のことば・光太郎】
筑摩書房の人くる、全集用の写真をかし又色紙一枚かく、「いろはにほへと」とかく、
昭和29年(1954)4月23日の日記より 光太郎72歳
「全集」は『現代日本文学全集』。第24巻が「高村光太郎 萩原朔太郎 宮沢賢治集」でした。「いろはにほへと」の書は、光太郎の部の最初に印刷されています。