新刊、といっても1ヶ月近く経ってしまいましたが……。
光太郎をはじめ、あまたの文学者たちが、十五年戦争下でどのような作品を書き、その裏側にはどんな思いがあったのかを考えることで、この時代を生きる一助とすべし、というコンセプト。
「悪」が、過去の一点に留まっている限りは、「声」は冷厳であることができる。それに近づくよう、学生たちに示唆することができる。その「悪」というものを注視するように、と。けれども、「悪」が、いまも生まれつつあるとしたら? それが、克服すべき「過去」であるというより、たえず、自分たちの身体からにじみ出す膿のようなものだとしたら、どうすればいい? 「たえず攻め寄せる影の力」と戦うためには、彼らは、いや、ぼくたちはどうすればいいのだろうか。
(第1章 戦争の教科書)
そのためには「ことば」に注意することが必要だと、高橋氏。
「大きなことば」は、「民主主義」とか「天皇」とか「神」といったことばだ。そのことばだけで、数百万、数千万の人たちを一瞬のうちにあやつることができるようなことばだ。そういったことばは「強い」。そして「強い」ことばは、人を支配することができる。
それに対して「小さなことば」あある。それは、個人的な経験を、「大きなことば」を使わずに書き記したときに現れる。だから、多くの人たちに興味を持たれないことも多い。気づかれないことだってある。たいしたものだとも思われない。
ヒットラーのような独裁者は「大きなことば」を使うのが好きだ。その「大きなことば」の中には、民俗や歴史に関する「大きな記憶」も出てくる。「戦争」を産み出し、継続させ、そこに人々を動員してゆくのは、こういった「大きなことば」だ。
(略)
個人が個人的なことを書いて伝えるのが「小さなことば」だ。それに対して、人びとを「大きな目標」に駆り立てるために、使われるのが「大きなことば」だ。
(第2章 「大きなことば」と「小さなことば」)
「ウクライナをネオナチから解放する」などは、「大きなことば」の典型例ですね。少し前にほざかれていた「美しい国、日本」「一億総活躍社会」なども。
高橋氏、この「大きなことば」と「小さなことば」の例として、光太郎作品を挙げています。智恵子の臨終を謳った絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)は「小さなことば」、逆にステレオタイプの「大きなことば」として、光太郎が序文を書いたアンソロジー『詩集 大東亜』(昭和19年=1944)の、その光太郎による序文。
ただ是れ利のゆゑに吾が神国を窘(たしな)めんとする米英等醜(しこ)のともがらを悉く打ち祓ひ、吾が神ながらの道と力と徳とによつて世界をすすぎ清めんとする此の聖戦のみ旨を、われら臣民一人として知らざるはない。(略)願はくはわれら皇国の詩人が心をこめた此の一巻のささげものに、われらが神と人との善きいつくしびあらんことを。
馬鹿馬鹿しくて全文を引用する気になれませんが、この三倍ほどの分量です。それこそAIでも書けるような(笑)。
なぜ『智恵子抄』の詩人が、こんな「大きなことば」を振りかざす軍部のメガフォンと化してしまったのか……。余談になりますが、当方、今年の12月、日本詩人クラブさんの12月例会で、このあたりを根幹とする講演をさせていただくことになっております。
閑話休題。高橋氏、『詩集 大東亜』に収められた諸詩人の作を引きつつ、一刀両断。その中には光太郎詩「軍人精神」も含まれます。
高村さんの詩には、高村さんがいない感じがする。そういうと、変に聞こえるかもしれない。これは、確かに、高村さんが書いた詩じゃないか、って。
いや、ぼくがいいたいのは、そういうことじゃない。
高村さんという個人、きちんと、なんでも自分の責任で考えることができる、主体をもっていることを、個人というのなら、高村さんという詩人は、ここにはいない。
詩を書くのが上手で、有名な詩人で、日本の詩人オールスターズの代表格で、『智恵子抄』の作者で、そういう高村さんはいて、その高村さんは、詩を書いた。
その高村さんが書いた詩は、空っぽな感じがする。空っぽ、というのはm心ここにあらず、という状態で書いている感じがする、ということだ。
きちんと考えたら、あんな詩、書かないでしょう。
このあたり、今年8月15日(月)にオンエアされたNHKラジオ第1さんの「高橋源一郎と読む「戦争の向こう側」2022」でも、同様の試みをなさっていました。
『詩集 大東亜』、当方も持っていますが、あまりに馬鹿馬鹿しくて全篇は読んでいません。今回、『ぼくらの戦争なんだぜ』を読んで、「こんな詩も載っていたのか」と思った詩も載っていた次第です。特にひどいと思ったのは、光太郎とも親しかった堀口大学の「あとひと息だ」という詩。
国運賭けたみいくさに/しこのみ楯と戦つて/命ささげた増荒男の/不滅のてがら忘れまい//東亜を興す大使命/いまの痛みは生みの苦だ/鬼畜米英ないあとは/民十億の楽園だ//敵もさるものさればとて/邪は正に勝ちがたい/勝つときまつたみいくさだ/あとひと息だ頑張らう
高橋氏曰く、
それにしても、この詩を、堀口さんは、「本気」で書いたのだろうか。現実の戦争で連戦連敗、国内では、連日の空襲に、食べるものにも事欠く日々。それなのに、「敵もさるものさればとて 邪は正に勝ちがたい 勝つときまつたみいくさだ あとひと息だ頑張らう」って、めちゃくちゃじゃないだろうか。こんな詩を読んだら、まともな人は、「もうダメだ、やっぱり負けるんだな」と思うはずなんだけど。けれども、堀口さんは、平気でこんな詩を書き、みんなは、平気で読んだのだ。大丈夫か、昭和十九年のニッポンの詩人たち、読者たち。
激しく同意します。もっとも、堀口には堀口の事情があったのかもしれませんが……。
『詩集 大東亜』に作品を寄せた多くの有名詩人たちは、ほぼみんなこんな感じでした。他にも同様のアンソロジーは数多く存在し(手許に40冊ばかりあります)、また、アンソロジー以外でも新聞雑誌はこぞってこうした愚にもつかない翼賛詩を掲載し続けました。
『詩集 大東亜』収録作ではありませんが、こんな詩もありました。
ビルマ独立をうたふ
アジヤは一つの家族。
いたいけな妹ビルマは
永らく別れて他人の家で
つらい 悲しい日を送つた。
待ち焦れた晴れの日、
独立の日がビルマにも来た。
燦たる孔雀の旗が
瑠璃の空を飛翔する日が。
ビルマの娘たちは、茴香(ういきやう)や
睡蓮の花をつんで捧げる。
みほとけの前に、又、たよる肉親
ををしい日本の兄の胸に。
「ビルマ」は現・ミャンマー。イギリス統治下にあったため、日本軍が進攻、昭和18年(1943)に名ばかりの「独立」を宣言しました(実体は日本軍の傀儡政権)。その「独立」を言祝ぐ詩ですが、作者は金子光晴です。この年10月の雑誌『日本少女』第23巻第7号に掲載されました。
一般に、金子光晴というと、翼賛詩を書かなかった抵抗の詩人と言われています。『ぼくらの戦争なんだぜ』でも、高橋氏、「ニッポン中の詩人たちが「戦争」に向かって雪崩(なだ)れ落ちていった中で、たとえば、たくさんの詩人が『詩集 大東亜』に参加していった中で、金子は、戦争詩を書かず、息子を戦地に送らぬためにあらゆる智恵をふりしぼった」としています。ちなみに「あらゆる智恵」は、息子を部屋に閉じこめて松葉を燃やして燻し、肺炎にかからせて徴兵を免れさせたことなどを指します。それはともかく、残念でした。書いてますから。
金子の翼賛詩は他にも。「抒情小曲 湾」(『文芸』昭和12年=1937)から。
戦はねばならない 必然のために、 勝たねばならない 信念のために、 一そよぎの草も 動員されねばならないのだ。 ここにある時間も 刻々の対峙なのだ。 なんといふそれは すさまじい壮観!
散文でも。昭和17年(1942)11月の『日本学芸新聞』、「大東亜文学者大会号」から。
大東亜文学者大会に就て
大東亜の文学者を一堂に聚(あつ)めるといふ日本文学報国会の企ては、政治的意義をのぞいても、糧を与へるといふ本質的な意義がのこることになるとおもふ。少なくともこの挙を機会に、大東亜の国々の文学者は、日本に糧をえやうとして大きな期待を持つだらう。
(略)
今日、我々は糧を与へねばならない幼弱な国々を周囲に持つことになつた。
(略)
殆ど最初の経験としての日本の文学者は、与へるべき糧について慎重に考へて欲しい。与へる方法にも相当技術を必要とするやうに思ふ。衝にあたる日本の文学者は、先づ共栄圏内の他民族を出来うる限り知つてほしい。あくまでもその客観性に基づいて、ほんたうの糧となるものを考へてほしい。
(略)
何という「上から目線」でしょうか。金子をディスるのが目的ではありませんので、この辺りで止めますが。まさに高橋氏曰くの「大きなことば」ですね。
この後、高橋氏の筆は、「小さなことば」で書かれた兵士の詩作品などに及んでいきます。が、長くなりましたので、続きは明日。
【折々のことば・光太郎】
雪ふる、一寸余つもる、 終日人来ず、 揮毫(奥平さんの帖)、銀粉で地に雨をかき、リンゴの詩を書く、
東京には珍しい雪。おかげで来訪者もなく、集中して揮毫に取り組めました。「奥平さんの帖」は「有機無機帖」。交流のあった美術史家・奥平英雄のために書いた書画帖です。
ぼくらの戦争なんだぜ
2022年8月30日 高橋源一郎著 朝日新聞出版(朝日新書) 定価1,200円+税◯戦場なんか知らなくても、ぼくたちはほんとうの「戦争」にふれられる。そう思って、この本を書いた。
◯教科書を読む。「戦争小説」を読む。戦争詩を読む。すると、考えたこともなかった景色が見えてくる。人びとを戦争に駆り立てることばの正体が見えてくる。
◯古いニッポンの教科書、世界の教科書を読み、戦争文学の極北『野火』、林芙美子の従軍記を読む。 太宰治が作品に埋めこんだ、秘密のサインを読む。戦意高揚のための国策詩集と、市井の兵士の手づくりの詩集、その超えられない断絶に橋をかける。「彼らの戦争」ではなく「ぼくらの戦争」にふれるために。
目次
まえがき
第1章 戦争の教科書
1・ニッポンの教科書
あたらしいこくご 教科書なんかつまらないとずっと思っていた
教科書の中にある、もうひとつのことば、戦争のことば
ぼくたちの父や祖父は、子どもの頃、こんな教科書を読んでいた
2・ドイツの教科書、フランスの教科書
人の心を萎えさせるような、断固とした「声」 歴史をためらいがちに語る「声」
教科書の中にある、もうひとつのことば、戦争のことば
ぼくたちの父や祖父は、子どもの頃、こんな教科書を読んでいた
2・ドイツの教科書、フランスの教科書
人の心を萎えさせるような、断固とした「声」 歴史をためらいがちに語る「声」
3・その壁を越える日
植民地からの「声」 ぼくたちがたどり着く場所
植民地からの「声」 ぼくたちがたどり着く場所
第2章 「大きなことば」と「小さなことば」
戦争と記憶、庶民の戦争 『この世界の片隅に』の語り方 戦争なんか知らない
「大きなことば」と「小さなことば」 「大東亜」なことば 「ひとすぢのもの」
「小松菜つむ指の露深き黒土に濡れ」 「こつこつと歩いて行く」
ぼくたちは戦場へ行った 幻の詩集 加藤さんのことば 西村さんのことば
長島さんのことば 佐川さんのことば 風木さんのことば
最後に、山本さんのことば
「大きなことば」と「小さなことば」 「大東亜」なことば 「ひとすぢのもの」
「小松菜つむ指の露深き黒土に濡れ」 「こつこつと歩いて行く」
ぼくたちは戦場へ行った 幻の詩集 加藤さんのことば 西村さんのことば
長島さんのことば 佐川さんのことば 風木さんのことば
最後に、山本さんのことば
第3章 ほんとうの戦争の話をしよう
1・正しい戦争の描き方
ほんとうの戦争の話をしよう 死の国にて
2・彼らの戦争なんだぜ
「遠い」ということ 統合失調症とされた作家たちのことば すべてが「遠い」小説
『野火』がたどり着いた場所
ほんとうの戦争の話をしよう 死の国にて
2・彼らの戦争なんだぜ
「遠い」ということ 統合失調症とされた作家たちのことば すべてが「遠い」小説
『野火』がたどり着いた場所
第4章 ぼくらの戦争なんだぜ
その1・ごはんなんか食べてる場合じゃない
その2・女たちも戦争に行った
「平時」の思想 彼女は戦争に行った
その3・ぼくたちが仮に「戦場」に行ったとして、最後まで「正常」でいるためには
「私」は撃たない
その4・戦場から遠く離れて
ふたつの「国」と「ことば」の間に生まれて 夢の世界をさまよって
その2・女たちも戦争に行った
「平時」の思想 彼女は戦争に行った
その3・ぼくたちが仮に「戦場」に行ったとして、最後まで「正常」でいるためには
「私」は撃たない
その4・戦場から遠く離れて
ふたつの「国」と「ことば」の間に生まれて 夢の世界をさまよって
第5章 「戦争小説家」太宰治
加害の国の作家 ずっと戦争だった 小さな二つの小説 「真の闇」の中を歩く
文学のために死んでください 純情多感の一清国留学生「周さん」のこと
加害の国の作家 ずっと戦争だった 小さな二つの小説 「真の闇」の中を歩く
文学のために死んでください 純情多感の一清国留学生「周さん」のこと
あとがき
光太郎をはじめ、あまたの文学者たちが、十五年戦争下でどのような作品を書き、その裏側にはどんな思いがあったのかを考えることで、この時代を生きる一助とすべし、というコンセプト。
「悪」が、過去の一点に留まっている限りは、「声」は冷厳であることができる。それに近づくよう、学生たちに示唆することができる。その「悪」というものを注視するように、と。けれども、「悪」が、いまも生まれつつあるとしたら? それが、克服すべき「過去」であるというより、たえず、自分たちの身体からにじみ出す膿のようなものだとしたら、どうすればいい? 「たえず攻め寄せる影の力」と戦うためには、彼らは、いや、ぼくたちはどうすればいいのだろうか。
(第1章 戦争の教科書)
そのためには「ことば」に注意することが必要だと、高橋氏。
「大きなことば」は、「民主主義」とか「天皇」とか「神」といったことばだ。そのことばだけで、数百万、数千万の人たちを一瞬のうちにあやつることができるようなことばだ。そういったことばは「強い」。そして「強い」ことばは、人を支配することができる。
それに対して「小さなことば」あある。それは、個人的な経験を、「大きなことば」を使わずに書き記したときに現れる。だから、多くの人たちに興味を持たれないことも多い。気づかれないことだってある。たいしたものだとも思われない。
ヒットラーのような独裁者は「大きなことば」を使うのが好きだ。その「大きなことば」の中には、民俗や歴史に関する「大きな記憶」も出てくる。「戦争」を産み出し、継続させ、そこに人々を動員してゆくのは、こういった「大きなことば」だ。
(略)
個人が個人的なことを書いて伝えるのが「小さなことば」だ。それに対して、人びとを「大きな目標」に駆り立てるために、使われるのが「大きなことば」だ。
(第2章 「大きなことば」と「小さなことば」)
「ウクライナをネオナチから解放する」などは、「大きなことば」の典型例ですね。少し前にほざかれていた「美しい国、日本」「一億総活躍社会」なども。
高橋氏、この「大きなことば」と「小さなことば」の例として、光太郎作品を挙げています。智恵子の臨終を謳った絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)は「小さなことば」、逆にステレオタイプの「大きなことば」として、光太郎が序文を書いたアンソロジー『詩集 大東亜』(昭和19年=1944)の、その光太郎による序文。
ただ是れ利のゆゑに吾が神国を窘(たしな)めんとする米英等醜(しこ)のともがらを悉く打ち祓ひ、吾が神ながらの道と力と徳とによつて世界をすすぎ清めんとする此の聖戦のみ旨を、われら臣民一人として知らざるはない。(略)願はくはわれら皇国の詩人が心をこめた此の一巻のささげものに、われらが神と人との善きいつくしびあらんことを。
馬鹿馬鹿しくて全文を引用する気になれませんが、この三倍ほどの分量です。それこそAIでも書けるような(笑)。
なぜ『智恵子抄』の詩人が、こんな「大きなことば」を振りかざす軍部のメガフォンと化してしまったのか……。余談になりますが、当方、今年の12月、日本詩人クラブさんの12月例会で、このあたりを根幹とする講演をさせていただくことになっております。
閑話休題。高橋氏、『詩集 大東亜』に収められた諸詩人の作を引きつつ、一刀両断。その中には光太郎詩「軍人精神」も含まれます。
高村さんの詩には、高村さんがいない感じがする。そういうと、変に聞こえるかもしれない。これは、確かに、高村さんが書いた詩じゃないか、って。
いや、ぼくがいいたいのは、そういうことじゃない。
高村さんという個人、きちんと、なんでも自分の責任で考えることができる、主体をもっていることを、個人というのなら、高村さんという詩人は、ここにはいない。
詩を書くのが上手で、有名な詩人で、日本の詩人オールスターズの代表格で、『智恵子抄』の作者で、そういう高村さんはいて、その高村さんは、詩を書いた。
その高村さんが書いた詩は、空っぽな感じがする。空っぽ、というのはm心ここにあらず、という状態で書いている感じがする、ということだ。
きちんと考えたら、あんな詩、書かないでしょう。
このあたり、今年8月15日(月)にオンエアされたNHKラジオ第1さんの「高橋源一郎と読む「戦争の向こう側」2022」でも、同様の試みをなさっていました。
『詩集 大東亜』、当方も持っていますが、あまりに馬鹿馬鹿しくて全篇は読んでいません。今回、『ぼくらの戦争なんだぜ』を読んで、「こんな詩も載っていたのか」と思った詩も載っていた次第です。特にひどいと思ったのは、光太郎とも親しかった堀口大学の「あとひと息だ」という詩。
国運賭けたみいくさに/しこのみ楯と戦つて/命ささげた増荒男の/不滅のてがら忘れまい//東亜を興す大使命/いまの痛みは生みの苦だ/鬼畜米英ないあとは/民十億の楽園だ//敵もさるものさればとて/邪は正に勝ちがたい/勝つときまつたみいくさだ/あとひと息だ頑張らう
高橋氏曰く、
それにしても、この詩を、堀口さんは、「本気」で書いたのだろうか。現実の戦争で連戦連敗、国内では、連日の空襲に、食べるものにも事欠く日々。それなのに、「敵もさるものさればとて 邪は正に勝ちがたい 勝つときまつたみいくさだ あとひと息だ頑張らう」って、めちゃくちゃじゃないだろうか。こんな詩を読んだら、まともな人は、「もうダメだ、やっぱり負けるんだな」と思うはずなんだけど。けれども、堀口さんは、平気でこんな詩を書き、みんなは、平気で読んだのだ。大丈夫か、昭和十九年のニッポンの詩人たち、読者たち。
激しく同意します。もっとも、堀口には堀口の事情があったのかもしれませんが……。
『詩集 大東亜』に作品を寄せた多くの有名詩人たちは、ほぼみんなこんな感じでした。他にも同様のアンソロジーは数多く存在し(手許に40冊ばかりあります)、また、アンソロジー以外でも新聞雑誌はこぞってこうした愚にもつかない翼賛詩を掲載し続けました。
『詩集 大東亜』収録作ではありませんが、こんな詩もありました。
ビルマ独立をうたふ
アジヤは一つの家族。
いたいけな妹ビルマは
永らく別れて他人の家で
つらい 悲しい日を送つた。
待ち焦れた晴れの日、
独立の日がビルマにも来た。
燦たる孔雀の旗が
瑠璃の空を飛翔する日が。
ビルマの娘たちは、茴香(ういきやう)や
睡蓮の花をつんで捧げる。
みほとけの前に、又、たよる肉親
ををしい日本の兄の胸に。
「ビルマ」は現・ミャンマー。イギリス統治下にあったため、日本軍が進攻、昭和18年(1943)に名ばかりの「独立」を宣言しました(実体は日本軍の傀儡政権)。その「独立」を言祝ぐ詩ですが、作者は金子光晴です。この年10月の雑誌『日本少女』第23巻第7号に掲載されました。
一般に、金子光晴というと、翼賛詩を書かなかった抵抗の詩人と言われています。『ぼくらの戦争なんだぜ』でも、高橋氏、「ニッポン中の詩人たちが「戦争」に向かって雪崩(なだ)れ落ちていった中で、たとえば、たくさんの詩人が『詩集 大東亜』に参加していった中で、金子は、戦争詩を書かず、息子を戦地に送らぬためにあらゆる智恵をふりしぼった」としています。ちなみに「あらゆる智恵」は、息子を部屋に閉じこめて松葉を燃やして燻し、肺炎にかからせて徴兵を免れさせたことなどを指します。それはともかく、残念でした。書いてますから。
金子の翼賛詩は他にも。「抒情小曲 湾」(『文芸』昭和12年=1937)から。
戦はねばならない 必然のために、 勝たねばならない 信念のために、 一そよぎの草も 動員されねばならないのだ。 ここにある時間も 刻々の対峙なのだ。 なんといふそれは すさまじい壮観!
散文でも。昭和17年(1942)11月の『日本学芸新聞』、「大東亜文学者大会号」から。
大東亜文学者大会に就て
大東亜の文学者を一堂に聚(あつ)めるといふ日本文学報国会の企ては、政治的意義をのぞいても、糧を与へるといふ本質的な意義がのこることになるとおもふ。少なくともこの挙を機会に、大東亜の国々の文学者は、日本に糧をえやうとして大きな期待を持つだらう。
(略)
今日、我々は糧を与へねばならない幼弱な国々を周囲に持つことになつた。
(略)
殆ど最初の経験としての日本の文学者は、与へるべき糧について慎重に考へて欲しい。与へる方法にも相当技術を必要とするやうに思ふ。衝にあたる日本の文学者は、先づ共栄圏内の他民族を出来うる限り知つてほしい。あくまでもその客観性に基づいて、ほんたうの糧となるものを考へてほしい。
(略)
何という「上から目線」でしょうか。金子をディスるのが目的ではありませんので、この辺りで止めますが。まさに高橋氏曰くの「大きなことば」ですね。
この後、高橋氏の筆は、「小さなことば」で書かれた兵士の詩作品などに及んでいきます。が、長くなりましたので、続きは明日。
【折々のことば・光太郎】
雪ふる、一寸余つもる、 終日人来ず、 揮毫(奥平さんの帖)、銀粉で地に雨をかき、リンゴの詩を書く、
昭和29年(1954)2月14日の日記より 光太郎72歳
東京には珍しい雪。おかげで来訪者もなく、集中して揮毫に取り組めました。「奥平さんの帖」は「有機無機帖」。交流のあった美術史家・奥平英雄のために書いた書画帖です。