社会教育系イベント、対象が花巻市民等限定ですが……。
山の駅 昭和の学校さんにも行かれるのですね。さらには道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんにも。
地元の方々が対象ですが、以外と地元民が地元のことを詳しくは知らないというケースは往々にしてありますね。当方もそうです。ここにこんなものがあると知らなかったとか、存在は知っていてもどんな背景があるのか、細かな見どころ等々。もう3年前になりますが、当方が講師を務めさせていただき、花巻市、それから隣接する北上市をバスで廻った「岩手花巻高村光太郎記念館講座 詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」の際にも、参加者の皆様からそうした声が聞かれました。
残暑も一段落という感じで、ただ、台風等が心配ですが、実りあるツアーとなるよう祈念いたしております。
各地自治体さんの社会教育担当の方々、ご参考までに。
【折々のことば・光太郎】
晴れる、 春子さん子供二人つれてくる、モチ ワカサギをもらふ、 NHKの人くる、一月三日詩朗読の由(石黒達也) 「新潮」の野平氏くる、原稿に書き足して渡す(13枚)、 便 創元社の林氏くる、ウエルハーラン詩集出来、三冊持参、印税はマカベ氏宛のことをたのむ、 〈豊周夫妻くる〉
たまたまでしょうが、千客万来(笑)。ただ、この頃、この日ほどではなくとも、起居していた中野の貸しアトリエにはほぼ毎日、誰かしらが訪れていました。
「春子さん」は、智恵子の最期を看取った智恵子の姪。「詩朗読」はラジオ放送。俳優の「石黒達也」はたびたび光太郎詩の朗読を担当していました。「原稿」は翌年2月の『新潮』に載った散文「日本芸術院のことについて-アトリエにて1-」。「ウエルハーラン詩集」は、濁点が脱落していまして、『ヴェルハアラン詩集』。戦前に光太郎が訳した、ベルギー詩人・ヴェルハーレンの詩――さまざまな雑誌等に寄稿したもの――を、山形出身の詩人・真壁仁(「マカベ氏」)が編集しました。光太郎、あまり出版に乗り気でなく、印税もいらない、真壁にやってくれ、と、まぁ何とも気前のいいことで(笑)。そして実弟の豊周夫妻も。おそらく豊周が仲介した「倉田雲平胸像」がらみの用件と思われます。
新花巻発見探訪ツアー「太田・湯口地区」
コミュニティ会議の地域振興部会が主催する「新花巻発見探訪ツアー」の参加者を募集します。この事業は花巻市内各地の史跡・名勝や施設等を訪れ、私たちが暮らす花巻の郷土史や風土を学びます。
今回の訪問地は、高村光太郎が山居7年を過ごした高村山荘や日本三清水と言われる清水寺がある太田地区と、仏教学者として知られる多田等観ゆかりの円万寺がある湯口地区を巡ります。
○期 日 9 月 22 日(木) 小雨決行
○訪問先 花巻市太田、湯口地区
○対象者
花南地区に在住もしくは勤務する市民で、史跡・名勝に関心があり学ぶ意欲がある方
花南地区に在住もしくは勤務する市民で、史跡・名勝に関心があり学ぶ意欲がある方
○集 合 08:30 花南振興センター(受付、体調チェック票提出)
○日 程
08:45 花南振興センター出発
09:00 高村光太郎記念館
高村山荘、智恵子展望台、雪白く積めり詩碑を見学
11:00 清水寺
観音堂、山門、千体薬師堂、慈眼水堂を見学
12:30 花巻市自然休暇村広場(昼食)
13:30 円万寺
観音堂、八坂神社、一燈庵を見学
14:15 山の駅 昭和の学校(施設見学)
15:20 道の駅 はなまき西南(休憩)
16:00 花南振興センター到着予定
※天候や現地の状況によって日程を変更する場合があります。
○服 装 動きやすい服装、履きなれた靴、帽子
○持ち物 マスク、昼食、飲み物、おやつ、雨具、タオル、敷き物、筆記用具など
○参加料 1,200 円(入館料 3 館分、保険代)
※貸切バス代はコミュニティ会議が負担します。
○定 員 25 人(先着順)
○受 付 8 月 22 日(月)午前 9 時から受付開始。花南振興センター窓口へ直接
もしくは花南地区コミュニティ会議(電話 24-4415、平日の 9 時~17 時)
へお申込み願います。
へお申込み願います。
なお、感染症の拡大状況によっては事業を延期もしくは中止することが
ありますので予めご了承ください。
ありますので予めご了承ください。
光太郎ゆかりの地を巡る史跡探訪ツアー。
まずは昭和20年(1945)秋から丸七年間、光太郎が蟄居生活を送った旧太田村の山小屋(高村山荘)と、隣接する髙村光太郎記念館さん及びその周辺。
続く清水寺さんは、光太郎が何度か足を運んだ寺院です。円万寺さんは、光太郎と交流のあった僧侶にしてチベット仏教学者の多田等観が堂守を務めていたところ。長い急坂を上った先にありますが、光太郎も上りました。
まずは昭和20年(1945)秋から丸七年間、光太郎が蟄居生活を送った旧太田村の山小屋(高村山荘)と、隣接する髙村光太郎記念館さん及びその周辺。
続く清水寺さんは、光太郎が何度か足を運んだ寺院です。円万寺さんは、光太郎と交流のあった僧侶にしてチベット仏教学者の多田等観が堂守を務めていたところ。長い急坂を上った先にありますが、光太郎も上りました。
山の駅 昭和の学校さんにも行かれるのですね。さらには道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんにも。
地元の方々が対象ですが、以外と地元民が地元のことを詳しくは知らないというケースは往々にしてありますね。当方もそうです。ここにこんなものがあると知らなかったとか、存在は知っていてもどんな背景があるのか、細かな見どころ等々。もう3年前になりますが、当方が講師を務めさせていただき、花巻市、それから隣接する北上市をバスで廻った「岩手花巻高村光太郎記念館講座 詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」の際にも、参加者の皆様からそうした声が聞かれました。
残暑も一段落という感じで、ただ、台風等が心配ですが、実りあるツアーとなるよう祈念いたしております。
各地自治体さんの社会教育担当の方々、ご参考までに。
【折々のことば・光太郎】
晴れる、 春子さん子供二人つれてくる、モチ ワカサギをもらふ、 NHKの人くる、一月三日詩朗読の由(石黒達也) 「新潮」の野平氏くる、原稿に書き足して渡す(13枚)、 便 創元社の林氏くる、ウエルハーラン詩集出来、三冊持参、印税はマカベ氏宛のことをたのむ、 〈豊周夫妻くる〉
昭和28年(1953)12月26日の日記より 光太郎71歳
「春子さん」は、智恵子の最期を看取った智恵子の姪。「詩朗読」はラジオ放送。俳優の「石黒達也」はたびたび光太郎詩の朗読を担当していました。「原稿」は翌年2月の『新潮』に載った散文「日本芸術院のことについて-アトリエにて1-」。「ウエルハーラン詩集」は、濁点が脱落していまして、『ヴェルハアラン詩集』。戦前に光太郎が訳した、ベルギー詩人・ヴェルハーレンの詩――さまざまな雑誌等に寄稿したもの――を、山形出身の詩人・真壁仁(「マカベ氏」)が編集しました。光太郎、あまり出版に乗り気でなく、印税もいらない、真壁にやってくれ、と、まぁ何とも気前のいいことで(笑)。そして実弟の豊周夫妻も。おそらく豊周が仲介した「倉田雲平胸像」がらみの用件と思われます。