新刊、というより稀覯書の覆刻、さらに2ヶ月ほど経ってしまっていますが……。
石川善助詩集『亜寒帯』復刻版
2022年6月27日 石川善助著 モリナカヒデキ編 あるきみ屋 定価990円(税込み)詩集『亜寒帯』は1936年に刊行された石川善助の唯一の詩集であり遺稿詩集です。編纂は逸見猶吉、草野心平、宍戸儀一。装幀は亀山巖。1970年に名著刊行会から再刊されて以来、52年ぶりに北海道の小さな版元から復刻されました。
石川善助は1901年仙台市国分町の生まれ。さまざまな職業に就きながら詩作や民話研究に励んだ後、27歳の時に上京しました。小森 盛、高村光太郎、草野心平、尾形亀之助、佐藤惣之助ら多くの詩人と知り合い、とくに草野心平とは自宅に居候するほど親交がありました。また、宮沢賢治とはお互いに才能を認め合う仲で、善助の死後、追慕を綴った賢治の手紙が残されています。
善助は1932年に酒に酔った帰り道に誤って線路脇の側溝に転落し、31歳の若さで生涯をとじました。生前に詩集は刊行されませんでしたが、友人たちによって没後4年目に詩集『亜寒帯』が刊行されました。序文は高村光太郎。
<彼は徹頭徹尾北方人であり、北方の持つ峭厲と皓旰と、規矩と結晶性と、海中火山のやうな晦冥と三貫島のやうな孤僻とを具備してゐた。〜詩集『亜寒帯』序文より〜>
本書は北海道根室市のあるきみ屋によって原本に近い形で、2022年、善助の命日である6月27日に復刻されました。合わせて、宮沢賢治「石川善助に」、「宮沢賢治と児童文学」編者執筆、郡山弘史「亜寒帯の詩人」、「石川善助と草野心平」編者執筆を収録。さらに別冊で詩集「亜寒帯」用語の手引きと、石川善助作・童話「海豹と市長」が付いています。
仙台市太白区の愛宕神社の山門脇には詩碑「化石を拾ふ」が広瀬川を見下ろすように今も立っています。
石川善助(明34=1901~昭7=1932)。当方は光太郎との絡みで存じていましたが、一般にはほとんど忘れられつつある名ではないかと存じます。
光太郎が序文を書き、没後に刊行された唯一の詩集『亜寒帯』が覆刻されました。おそらく商業ベースでは採算が取れるかどうかと云う出版と存じますが、敢行なさった版元の英断には敬意を表します。
死後、地元の友人が編集・発行した随筆集『 鴉射亭随筆 』に寄稿された宮沢賢治の「石川善助に」を収録、さらに編者・モリナカヒデキ氏による、石川と賢治や当会の祖・草野心平との関係に触れた解説つきだそうです。
また、附録として石川の童話「海豹と市長」、用語解説集が付いているとのこと。
ぜひお買い求めを。
光太郎が序文を書き、没後に刊行された唯一の詩集『亜寒帯』が覆刻されました。おそらく商業ベースでは採算が取れるかどうかと云う出版と存じますが、敢行なさった版元の英断には敬意を表します。
死後、地元の友人が編集・発行した随筆集『 鴉射亭随筆 』に寄稿された宮沢賢治の「石川善助に」を収録、さらに編者・モリナカヒデキ氏による、石川と賢治や当会の祖・草野心平との関係に触れた解説つきだそうです。
また、附録として石川の童話「海豹と市長」、用語解説集が付いているとのこと。
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【折々のことば・光太郎】
午前九時35分常盤線花巻行、 みちのく号、草野君、難波田君同車、食堂にてビール、 夕方七時花巻着、清六さん等出迎にゐる、
昭和28年(1953)11月25日の日記より 光太郎71歳
生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京して以来、およそ1年2ヶ月ぶりに岩手に帰りました。このあと、12月5日まで滞在します。
当初の構想では、冬期には東京中野の貸しアトリエで過ごし、気候のいい時期には花巻郊外旧太田村の山小屋と、二重生活を目論んでいたようです。