一昨日、8月10日は「道の日」だったそうで。
地方紙『佐賀新聞』さんから。
古今の「道」を扱った名言等を紹介する中で、光太郎詩「道程」(大正3年=1914)に触れて下さいました。多謝。くれぐれも道路工事の詩ではありませんのでよろしく(笑)。
あえて付け加えるなら、アントニオ猪木さんの座右の銘、僧侶にして宗教学者の清沢哲夫が昭和26年(1951)に発表した「道」でしょうか。
あるいは中学校3年生の国語教科書定番、魯迅の「故郷」(大正10年=1921)の末尾。
其实地上本没有路、走的人多了、也便成了路(もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ)。
魯迅は明治末に日本への留学経験があり、帰国後、何らかのつてで光太郎の「道程」を読んだ可能性も否定できないなと思っています。情報をお持ちの方は御教示いただければ幸いです。
「有明抄」では、先頃亡くなったオリビア・ニュートン・ジョンさんにも触れています。彼女の代表作の一つが「カントリー・ロード」(昭和49年=1974)ということで。
地方紙『佐賀新聞』さんから。
有明抄「道」への思い入れ
誰が言ったか定かでないが、聞き覚えのある言葉は多い。例えば「子ども叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」。この言葉には続きがある。「来た道行く道二人旅 これから通る今日の道 通り直しのできぬ道」。なかなか含蓄がある◆きょう8月10日は、国土交通省が制定した「道の日」。普段利用する実際の「道路」も大切だが、私たち人類は生き方や目標への過程を「道」と捉え、特別な思い入れを持つ◆中学校で習った好きな英語の言葉は「Where there is a will,there is a way」。意志あるところに道はできる、という意味。仏教詩人坂村真民さんの「念ずれば花開く」に通じる気がする。詩人高村光太郎さんの「道程」も好き。「僕の前に道はない」の表現が印象的だ◆アニメ映画「耳をすませば」の主題歌は「カントリーロード」。主人公の少女が日本語に訳した歌詞は、夢を追う前途への不安と、夢をかなえていつか故郷にという希望が交錯する◆1970年代に「カントリーロード」をカバーし、日本でもヒットしたオリビア・ニュートン・ジョンさんの訃報に接した。歌手で女優。この30年はがんと闘いながら早期発見の啓発活動も続け、昨秋の叙勲で旭日小綬章を受章した。享年73。その死を悼みながら、負けないように目の前の「道」を進もうと思う。古今の「道」を扱った名言等を紹介する中で、光太郎詩「道程」(大正3年=1914)に触れて下さいました。多謝。くれぐれも道路工事の詩ではありませんのでよろしく(笑)。
あえて付け加えるなら、アントニオ猪木さんの座右の銘、僧侶にして宗教学者の清沢哲夫が昭和26年(1951)に発表した「道」でしょうか。
この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ
あるいは中学校3年生の国語教科書定番、魯迅の「故郷」(大正10年=1921)の末尾。
其实地上本没有路、走的人多了、也便成了路(もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ)。
魯迅は明治末に日本への留学経験があり、帰国後、何らかのつてで光太郎の「道程」を読んだ可能性も否定できないなと思っています。情報をお持ちの方は御教示いただければ幸いです。
Country roads, take me home/To the place I belong/West Virginia, Mountain Mamma/Take me home, country road.
原曲はジョン・デンバーさんで昭和46年(1971)。オリビアさんの歌唱がカバーだというのをご存じない方が多いように感じます。また、同曲、ジブリ映画「耳をすませば」(平成7年=1995)で、本名陽子さんによる日本語歌詞バージョンが有名になりましたので、若い人たちの中には日本の歌だと思っている皆さんもいらっしゃるようで(笑)。
ちなみに当方、オリビアさんが1枚、ジョン・デンバーさんは2枚、LPレコード(CDではありません(笑))を持っています。「カントリー・ロード」は収録されていないものばかりですが。
ジョン・デンバーさんも、すでに平成9年(1997)、鬼籍に入られています。
「その死を悼みながら、負けないように目の前の「道」を進もうと思う。」そのとおりですね。
【折々のことば・光太郎】
ひる近く車で奥入瀬の佐藤春夫氏詩碑の除幕式、式終りて雨もよひ、
生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式当日、午前中には奥入瀬渓流の銚子大滝付近で、光太郎と青森県を仲介した佐藤春夫の詩碑の除幕式も行われました。
午後の「乙女の像」除幕式と併せ、青森県に動画が残っていました。
春夫はこの時数え62歳。急斜面で手を引いてやっているのは、当会の祖・草野心平です。心平、グッジョブ(笑)。春夫のスピーチ。残念ながら動画はサイレントです。
光太郎の姿も。
この後、十和田湖畔に一同で移動して、「乙女の像」除幕式となります。
原曲はジョン・デンバーさんで昭和46年(1971)。オリビアさんの歌唱がカバーだというのをご存じない方が多いように感じます。また、同曲、ジブリ映画「耳をすませば」(平成7年=1995)で、本名陽子さんによる日本語歌詞バージョンが有名になりましたので、若い人たちの中には日本の歌だと思っている皆さんもいらっしゃるようで(笑)。
ちなみに当方、オリビアさんが1枚、ジョン・デンバーさんは2枚、LPレコード(CDではありません(笑))を持っています。「カントリー・ロード」は収録されていないものばかりですが。
ジョン・デンバーさんも、すでに平成9年(1997)、鬼籍に入られています。
「その死を悼みながら、負けないように目の前の「道」を進もうと思う。」そのとおりですね。
【折々のことば・光太郎】
ひる近く車で奥入瀬の佐藤春夫氏詩碑の除幕式、式終りて雨もよひ、
昭和28年(1953)10月21日の日記より 光太郎71歳
生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式当日、午前中には奥入瀬渓流の銚子大滝付近で、光太郎と青森県を仲介した佐藤春夫の詩碑の除幕式も行われました。
午後の「乙女の像」除幕式と併せ、青森県に動画が残っていました。
春夫はこの時数え62歳。急斜面で手を引いてやっているのは、当会の祖・草野心平です。心平、グッジョブ(笑)。春夫のスピーチ。残念ながら動画はサイレントです。
光太郎の姿も。
この後、十和田湖畔に一同で移動して、「乙女の像」除幕式となります。