本日も新刊紹介です。

言葉に出会う現在

2022年7月17日 宮野真生子著 奥田太郎編 ナカニシヤ出版 定価3,000円+税

九鬼周造を出発点にオリジナルに深化した、恋愛論、押韻論、共食論等、切れ味鋭い11の論考に加え、書評・エッセイも多数収録。
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目次
 【エッセイ】恋とはどういうものかしら?
 第一章 道具・身体・自然――宗悦と宗理――
  1 近代化と生活する身体
  2 柳宗悦における風土的身体――フィクションとしての自然――
  3 柳宗理における風土的身体――別な自然への視線――
 【書評】伊藤徹編『作ることの日本近代―一九一〇― 四〇年代の精神史』
     世界思想社、二〇一〇年
 第二章 押韻という夢――ロゴスからメロスへ――
  序
  1 『日本詩の押韻』という試み
  2 呼びかけとしての押韻
  結
 【書評】佐藤康邦・清水正之・田中久文編『甦る和辻哲郎――人文科学の再生に向けて』
     ナカニシヤ出版、一九九九年
 第三章 恋愛・いき・ニヒリズム
  序
  1 「いき」をめぐる諸言説
  2 「恋愛」を求めて――透谷・泡鳴・有島の試行錯誤――
  3 「恋愛」と「他者」をめぐる問題
  結 
 【エッセイ】ここにいることの不思議
 第四章 死と実存協同――無常を超えて偶然を生きる――
  はじめに
  1 「無常」を語る危険性
  2 「メメントモリ」
  3 「愛」としての「死者からのはたらきかけ」
  4 偶然性における実存協同
  おわりに
 【書評】佐藤啓介『死者と苦しみの宗教哲学――宗教哲学の現代的可能性』
     晃洋書房、二〇一七年
 第五章 恋愛という「宿痾」を生きる
  1 問題の所在
  2 北村透谷の「恋愛」 
  3 「コケットリー」とは何か
  4 「賭け」の先にあるもの
  5 「いき」とは何か
  6 「コケットリー」と「いき」
  7 「いき」の魅力
  8 さいごに
 【エッセイ】愛
 第六章 近代日本における「愛」の受容
  1 「愛」をめぐる問題状況
  2 「愛」という言葉は何を意味しているのか
  3 「色」から「ラブ」へ
  4 恋愛としての「ラブ」に託されたもの
  5 恋愛としてのラブの危険性
  6 「愛」があれば、どうなるのか
  7 「一つになる」愛の果てに
  8 さいごに
 【エッセイ】性
 第七章 母性と幸福――自己として、女性として生きる――
  はじめに
  1 母と子の関係をめぐる変化
  2 子どもへの違和感
  3 「自己」として生きること
  4 平塚らいてうの「自己」と「自然」
  5 「母性」への転回
  6 母性という桎梏、その別の可能性
  さいごに
 【エッセイ】家族
 第八章 「いき」な印象とは何か――「いき」をめぐる知と型の問題――
  はじめに  
  1 印象とは何か  
  2 「いき」という美意識  
  3 「いき」の「意味体験」とは  
  4 印象を成立させる動性  
  5 「二次元動的可能性」としての自己と他者  
  おわりに  
 【書評】谷口功一・スナック研究会編『日本の夜の公共圏――スナック研究序説』
     白水社、二〇一七年
 第九章 カウンターというつながり――『深夜食堂』から考える――
  はじめに  
  1 『深夜食堂』以前
  2 『深夜食堂』の紹介
  3 居酒屋とサードプレイス
  4 カウンターという空間
  5 『深夜食堂』における食の機能
  6 「サードプレイス」の「やわらかな公共性」
  さいごに――ふたたび『深夜食堂』――
 【エッセイ】カウンターには何があるのか?
 第十章 食の空間とつながりの変容
  はじめに  
  1 どのように共食するか  
  2 共食に何が託されてきたか  
  3 どこで食事をするのか  
  4 「家事」という大問題  
  5 戦後の「共食」のあり方と現代の「食」  
 【書評】伊藤邦武『九鬼周造と輪廻のメタフィジックス』ぷねうま舎、二〇一四年
 第十一章 言葉に出会う現在――永遠の本質を解放する――
  はじめに  
  1 偶然性における「永遠の現在の鼓動」  
  2 回帰的時間における「永遠の今」  
  3 詩の時間性  
  4 押韻と偶然性  
  おわりに  
 編集後記(奥田太郎)
 初出一覧  

著者紹介
宮野真生子(みやの・まきこ)
1977年大阪府に生まれ、その後和歌山県で育つ。京都大学大学院文学研究科博士課程(後期)単位取得退学ののち、福岡大学人文学部准教授。2019年、大阪大学より博士(人間科学)。著書に、『なぜ、私たちは恋をして生きるのか――「出会い」と「恋愛」の近代日本精神史』(ナカニシヤ出版,2014 年)、『出逢いのあわい――九鬼周造における存在論理学と邂逅の倫理』(堀之内出版,2019年)、『急に具合が悪くなる』〔共著〕(晶文社,2019年)など。2019年逝去。

福岡大学さんの准教授であらせられた宮野真生子氏という方の、遺稿集的な評論集です。宮野氏、令和元年(2019)、42歳の若さで乳ガンにより亡くなっています。亡くなったというのは存じませんでした。遅ればせながら謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

「第六章 近代日本における「愛」の受容」中の「7 「一つになる」愛の果てに」9ページで光太郎智恵子を扱っています。上記目次には載せませんでしたが、さらに細かい章立てが「⑴ 高村光太郎・智恵子夫妻の悲劇」「⑵ 二人が目指した理想の結婚」「⑶ 「一つになること」の真相」「⑷ 不可能な理想と化した「愛」」「さいごに」

実はこの章、同じナカニシヤ出版さんから平成28年(2016)に出た、宮野氏と藤田尚志氏の共編になる『愛・性・家族の哲学① 愛 結婚は愛のあかし?』に、まるまる掲載されていました。光太郎智恵子に関しては特に新しい事実の紹介や解釈があるわけではありませんが、中国語の「愛」、キリスト教の「love」、それらと近代日本に於ける「恋愛」という概念との比較、文学作品では『智恵子抄』以外に漱石の『行人』、坪内逍遙の『当世書生気質』などにも触れられ、「なるほど」と思わせられる論が展開されています。

その他の章も、非常に読み応えのあるものでした。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

晴、 朝八時前出かける、九時過の汽車特2にて浅蟲まで、東奥館に夜十一時頃つく、

昭和28年(1953)10月19日の日記より 光太郎71歳

2日後に開催される、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式のため青森入りしました。当時は15時間もかかったのですね。

前年6月の下見の際にも泊まった浅虫温泉東奥館に宿泊。残念ながら東奥館の建物は現存しません。下記は当方手持ちの古絵葉書です。
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