エンタメ作家・夢枕獏氏によるエッセイ集です。
仰天・俳句噺
2022年6月30日 夢枕獏著 文藝春秋刊 定価1,600円+税ガンの病床で作ったのも、俳句でした。
俳句の話から、縄文、仏教、懐かしのプロレス話にあの人との逸話まで――縦横無尽に綴った仰天エッセイ!
リンパがんのステージⅢと診断され、ほとんどの連載もお休みに。そんな中で綴ったのは、長年秘かに続けていた俳句について。「俳句の季語は縄文である」と語る夢枕獏が、ずっと考えてきたこと、今書いておきたいことを詰め込んだ“夢枕節”炸裂の闘病×俳句(⁉)エッセイ。
【目次】
第一回 真壁雲斎が歳下になっちゃった
第二回 尻の毛まで見せる
第三回 オレ、ガンだからって、ズルくね
第四回 「おおかみに螢が一つ――」考
第五回 翁の周辺には古代の神々が棲む
第六回 すみません、寂聴さん書いちゃいました
最終回 幻句のことをようやく
補遺 野田さん
あとがき 言葉の力・そしてあれこれ
一言で言うと、俳句を軸とした交友録・文学論(さらには文明論)といったところでしょうか。
『陰陽師』などの大長編シリーズで有名な夢枕氏、それら長篇小説の対極ともいえる短詩系文学にも興味を持たれ、短歌には割と早くから取り組まれていたそうです。長編小説の世界観を、わずか三十一文字に落とし込む、という挑戦です。しかし、更に短い十七音の俳句でそれができるのか、というわけで、逡巡していらしたそうですが、やがてどっぷりとその魅力にはまり……。
さらにガンでの入院という経験が、俳句への指向をさらに高める要因となったともおっしゃっています。ご自作の句はあまり多く紹介されていませんが、
点滴てんてん花冷えの夜
赤き点滴赤き小便不思議といふほどのこともなく
喉にゐる蛇八千匹なり月朧
万巻の書読み残しておれガンになっちゃって
点滴の窓に桜ラジオから昇太
など、唸らされます。脱帽です。同じ立場に立たされた時、自分に詠めるか? いや、詠めはしない(「ましかば……まし」状態)です。
極めつけは……
黒き窓に翁いてなんだおれか
光太郎のエッセイ「珈琲店より」(明治43年=1910)の一節を想起しました。欧米留学でのフランス滞在中、パリジェンヌと一夜を過ごした翌朝の一コマです。
単なる人種的劣等感にとどまらず、芸術文化の部分などで、薄っぺらな日本人の自分は巨大な「西洋」に対抗出来ないという絶望が表されています。
夢枕氏、光太郎ファンでもあらせられ、おそらくこの一節を念頭においていたのでは、と思いました。違ったらごめんなさい。
交友の部分では、帯にも登場されている俳人の夏井いつき氏、故・瀬戸内寂聴氏、立川志らく氏、故・中上健次氏、嵐山光三郎氏、故・野坂昭如氏、南伸坊氏、阿川佐和子氏などなど。
そして文学論。「第四回 「おおかみに螢が一つ――」考」で、故・金子兜太氏、そして夢枕氏が傾倒なさる宮沢賢治と光太郎について、かなり長く語られています。「おれの文芸的な血と肉の中には、確実に賢治と光太郎が溶け込んでいるな」だそうで。また、夢枕氏二十代の作で、光太郎オマージュの長詩「イーハトーヴのひと」も掲載されています。いかに光太郎愛に溢れているかがわかります。
ただ、「イーハトーヴのひと」中、さらに地の文でも、一つ気になる記述が。光太郎が戦後の七年間蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋に、生前の智恵子が作って置いた梅酒を持ち込んでいた、というのです。当方、そういう話は初めて目にしました。他の文献等で、そういう記述がここにある、という情報をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。
夢枕氏、平成28年(2016)には、雑誌『サライ』さんで、賢治実弟の、光太郎とも仲の良かった清六の令孫であらせられる宮沢和樹氏と、花巻で対談をなさっています。
その中では、光太郎に関する内容も。さらに、夢枕さん、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋内部に潜入。
この時以外にも、何度も訪れられているそうで、ありがたいかぎりです。
また、夢枕さんには、『智恵子抄』をこよなく愛する巨漢の豪傑が、淫祠邪教のカルト教団(その教祖は中原中也ファン(笑))との壮絶な闘いを繰り広げる『怪男児』という小説もあります。コミック化も為されています(途中までですが)。
併せてぜひお読み下さい。
ところで、賢治も光太郎も、それぞれに独特な俳句をかなり遺しています。夢枕氏には、今後、賢治の句、光太郎の句にも言及していただきたいものです。
【折々のことば・光太郎】
ひる頃、角川書店の人くる、写真一枚かす、色紙一枚「うゐのおくやま」書き渡す、
翌月刊行された『昭和文学全集第二十二巻 高村光太郎集 萩原朔太郎集』の関係です。貸した写真及び「うゐのおくやま」と書いた色紙は同書の口絵として使われました。
さらに書の方は、この年から翌年にかけて全国を巡回した「角川文庫祭記念 現代文豪筆墨展」に出品されました。
『陰陽師』などの大長編シリーズで有名な夢枕氏、それら長篇小説の対極ともいえる短詩系文学にも興味を持たれ、短歌には割と早くから取り組まれていたそうです。長編小説の世界観を、わずか三十一文字に落とし込む、という挑戦です。しかし、更に短い十七音の俳句でそれができるのか、というわけで、逡巡していらしたそうですが、やがてどっぷりとその魅力にはまり……。
さらにガンでの入院という経験が、俳句への指向をさらに高める要因となったともおっしゃっています。ご自作の句はあまり多く紹介されていませんが、
点滴てんてん花冷えの夜
赤き点滴赤き小便不思議といふほどのこともなく
喉にゐる蛇八千匹なり月朧
万巻の書読み残しておれガンになっちゃって
点滴の窓に桜ラジオから昇太
など、唸らされます。脱帽です。同じ立場に立たされた時、自分に詠めるか? いや、詠めはしない(「ましかば……まし」状態)です。
極めつけは……
黒き窓に翁いてなんだおれか
光太郎のエッセイ「珈琲店より」(明治43年=1910)の一節を想起しました。欧米留学でのフランス滞在中、パリジェンヌと一夜を過ごした翌朝の一コマです。
熱湯の蛇口をねぢる時、図らず、さうだ、はからずだ。上を見ると見慣れぬ黒い男が寝衣(ねまき)のままで立つてゐる。非常な不愉快と不安と驚愕とが一しよになつて僕を襲つた。尚ほよく見ると、鏡であつた。鏡の中に僕が居るのであつた。
「ああ、僕はやつぱり日本人だ。JAPONAIS だ。MONGOL だ。LE JAUNE だ。」と頭の中で弾機(ばね)の外れた様な声がした。
単なる人種的劣等感にとどまらず、芸術文化の部分などで、薄っぺらな日本人の自分は巨大な「西洋」に対抗出来ないという絶望が表されています。
夢枕氏、光太郎ファンでもあらせられ、おそらくこの一節を念頭においていたのでは、と思いました。違ったらごめんなさい。
交友の部分では、帯にも登場されている俳人の夏井いつき氏、故・瀬戸内寂聴氏、立川志らく氏、故・中上健次氏、嵐山光三郎氏、故・野坂昭如氏、南伸坊氏、阿川佐和子氏などなど。
そして文学論。「第四回 「おおかみに螢が一つ――」考」で、故・金子兜太氏、そして夢枕氏が傾倒なさる宮沢賢治と光太郎について、かなり長く語られています。「おれの文芸的な血と肉の中には、確実に賢治と光太郎が溶け込んでいるな」だそうで。また、夢枕氏二十代の作で、光太郎オマージュの長詩「イーハトーヴのひと」も掲載されています。いかに光太郎愛に溢れているかがわかります。
ただ、「イーハトーヴのひと」中、さらに地の文でも、一つ気になる記述が。光太郎が戦後の七年間蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋に、生前の智恵子が作って置いた梅酒を持ち込んでいた、というのです。当方、そういう話は初めて目にしました。他の文献等で、そういう記述がここにある、という情報をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。
夢枕氏、平成28年(2016)には、雑誌『サライ』さんで、賢治実弟の、光太郎とも仲の良かった清六の令孫であらせられる宮沢和樹氏と、花巻で対談をなさっています。
その中では、光太郎に関する内容も。さらに、夢枕さん、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋内部に潜入。
この時以外にも、何度も訪れられているそうで、ありがたいかぎりです。
また、夢枕さんには、『智恵子抄』をこよなく愛する巨漢の豪傑が、淫祠邪教のカルト教団(その教祖は中原中也ファン(笑))との壮絶な闘いを繰り広げる『怪男児』という小説もあります。コミック化も為されています(途中までですが)。
併せてぜひお読み下さい。
ところで、賢治も光太郎も、それぞれに独特な俳句をかなり遺しています。夢枕氏には、今後、賢治の句、光太郎の句にも言及していただきたいものです。
【折々のことば・光太郎】
ひる頃、角川書店の人くる、写真一枚かす、色紙一枚「うゐのおくやま」書き渡す、
昭和28年(1953)9月10日の日記より 光太郎71歳
翌月刊行された『昭和文学全集第二十二巻 高村光太郎集 萩原朔太郎集』の関係です。貸した写真及び「うゐのおくやま」と書いた色紙は同書の口絵として使われました。
さらに書の方は、この年から翌年にかけて全国を巡回した「角川文庫祭記念 現代文豪筆墨展」に出品されました。