昨日はデジタルアーカイヴサイトについてご紹介いたしました。同様にネット上でこんな動画も公開されているよ、ということで。公開は昨年だったのですが、最近のネタ不足を補う意味で、このタイミングでご紹介させていただきます。

2本ご紹介しますが、どちらも竹橋の国立近代美術館さん制作で、光太郎のブロンズ代表作「手」についてのものです。

まずは10月に公開された「高村光太郎《手》1918年頃|キュレータートーク|所蔵品解説006」。



7分余りの尺ですが、その中で、学芸員さんが「手」の魅力等につき、語られています。
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これは以前から指摘され続けてきたことですが、作品の制作背景として、ロダンの影響、それから仏像からのインスパイアがある、と。ただ、それが見る角度によって西洋的要素と東洋的印象とが変わる、という指摘には、なるほどそういう風に考えたことはなかったな、と思わされました。
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そのあたり、武蔵野美術大学美術館さんで平成27年(2015)に開催された「近代日本彫刻展」で、こちらの「手」と、朝倉彫塑館さん所蔵の「手」と、2点(どちらも光太郎の生前鋳造、台座の木彫部分も光太郎作)を同時に並べた際の発見だそうで。
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そして、最も驚いたのが……。
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動画で5:00頃からですが、何とブロンズの部分と、台座を分離。

当方、画像では見たことがありましたが、動画では初めて見ました。もちろん実際に見たこともありません。
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この作品を元々所有していた有島武郎の名が記されていることは存じていましたが、自殺した有島から受け継いだ秋田雨雀、さらにその後の所有者名も記されているとのこと。それは存じませんでした。
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ここまで公開するとは、実に素晴らしいと思いました。

ちなみに同じシリーズでは光太郎の親友・碌山荻原守衛の「女」篇などもありました。

もう1本、こちらの方が先にアップされたもので、「ガイドスタッフが選ぶイチオシ作品|#29 高村光太郎《手》」。こちらもなかなかのものです。


「手」を見た子供たちの声が紹介されていまして、笑ったり、感心したりでした。
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こういう取り組みも、一種のアーカイヴと言えましょう(特に台座を紹介した方など)。そして、実際に作品を見に行ってみよう、という契機にもなるのでは、と思います。そうした意味で、こういう取り組み、全国の美術館さん、文学館さん等で、もっともっと広がってほしいものだとも思います。

【折々のことば・光太郎】

中原綾子さんくる、夜食に東中野モナミといふフランス料理の御馳走になる、有島生馬氏に偶然あふ、

昭和28年(1953)4月4日の日記より 光太郎71歳

中原綾子」は歌人。昭和初期、光太郎が中原に宛て、智恵子の心の病の症状を詳細に記した書簡を複数送ったことで有名です。「有島生馬」は画家で、武郎実弟。光太郎とは留学仲間でした。

東中野モナミ」は、かつて存在したレストラン兼結婚式場。建物はフランク・ロイド・ライトの設計だったそうです。文化人の交流の場ともなり、主に光太郎より1~2世代下の岡本太郎、椎名鱗三、埴谷雄高、梅崎春生、野間宏、安部公房らが集っていました。

また、上記の秋田雨雀、小説「智恵子飛ぶ」を書かれた津村節子氏なども。