以前から書いておりますが、当方のライフワークの一つは、光太郎の書き残したものの集成です。
晩年の光太郎に親炙し、その没後、『高村光太郎全集』編纂をなさった故・北川太一先生曰く「高村さんという壮大な実験者、誠実な生活者の実験記録、高村さんがこの世に残したほどのものは、何一つ散逸させまい」(『高村光太郎』あとがき 昭和40年 明治書院)。
その北川先生のお手伝いをさせていただく中で、『高村光太郎全集』完結(平成10年=1998)後も、それまで知られていなかった様々な光太郎文筆作品等が見つかりました。平成18年(2006)には光太郎歿後50年記念を兼ね、『光太郎遺珠 2006.4.2』をハードカバーの厚冊として、北川先生と当方の共編で出させていただきました。さらにその後は見つかり続ける作品を、現在は高村光太郎研究会さんの機関誌『高村光太郎研究』に、「光太郎遺珠」の題で紹介させていただいております。
それらの調査は、インターネットの発展に伴い、全国の文学館さんや図書館さんの蔵書検索等が居ながらにしてできるようになって、飛躍的に進みました。「これは」と思うものがヒットすると、コピーを送っていただいたり、現地まで行って拝見したり、そういう作業は今も続いています。
それと同時に、資料そのものがネット上で公開されている、いわゆる「デジタルアーカイヴ」。
国会図書館さんでは10数年前に始められ、これにもだいぶ助けられました。以前は国会図書館さん内か、提携している公共図書館さんなどに行かなければ資料の閲覧が出来ませんでしたが、この春から自宅兼事務所でも閲覧可能となりました(利用者登録が必要ですが)。登録数も徐々にに増えています。ただ、あまりにヒットする情報が多く、その中から必要なものを探すのが大変ですが。
この手のデジタルアーカイヴが、他館や他組織で広がりを見せていまして、そんな中で新発見もありました。
まず、台東区立図書館さんのデジタルアーカイブ。こちらに最晩年の光太郎葉書が掲載されており、『全集』未収録のものでした。生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため移り住んだ中野桃園町の貸しアトリエから、美術評論家・硲真次郎に宛てたものです。硲と光太郎は大正期から交流がありました。
硲が訪ねてきた際、床に臥せっていて会えなかった(光太郎が歿する4ヶ月前でした)お詫びと、硲から清酒「花霞」の引札を贈られた礼状です。日記にも同様の記述がありました。
清酒「花霞」。福島二本松の智恵子の実家・長沼酒造の銘酒で、大正12年(1923)の関東大震災後、東京ではとにかく物が不足していたことから、光太郎が東京に取り寄せ、自ら荷車を引いて売り歩いたとのこと。ラベルや引札も木版で作りました。引札は二本松の智恵子記念館さんに展示されています。その懐かしい次作の引札を硲が届けてくれたというわけです。
ところで台東区立図書館さんのデジタルアーカイブ。もう1件、光太郎の書簡なるものが登録されているのですが、残念ながらこちらは光太郎ではなく、実弟にして鋳金の人間国宝となった豊周のものでした。差し出し人名が「高村」としか書かれていませんので、仕方がないのかも知れませんが……。
この手のアーカイヴのリンク集的なサイトもいろいろありまして、少しずつ調査をしておりますが、なかなかはかどりません。やはりあまりにヒットする情報が多く(ほとんど既知の情報で)、必要なものを探すのが大変だというのが原因です。
国立公文書館アジア歴史資料センター
東京文化財研究所
スタンフォード大学 Hoji Shinbun Digital Collection
Cultural Japan
「このアーカイヴで光太郎智恵子、光雲に関する珍しい資料が掲載されている」という情報をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。
【折々のことば・光太郎】
夜新宿地球座、巴里の空の下、セールスマンの死、 うな丼をくひ、タキシでかへる、
「地球座」は現・新宿ジョイシネマさん。「巴里の空の下」は「巴里の空の下セーヌは流れる」。ブリジット・オーベール主演のフランス映画です。「セールスマンの死」はフレデリック・マーチ主演のアメリカ映画。どうも光太郎、邦画はほぼ見なかったようです。
晩年の光太郎に親炙し、その没後、『高村光太郎全集』編纂をなさった故・北川太一先生曰く「高村さんという壮大な実験者、誠実な生活者の実験記録、高村さんがこの世に残したほどのものは、何一つ散逸させまい」(『高村光太郎』あとがき 昭和40年 明治書院)。
その北川先生のお手伝いをさせていただく中で、『高村光太郎全集』完結(平成10年=1998)後も、それまで知られていなかった様々な光太郎文筆作品等が見つかりました。平成18年(2006)には光太郎歿後50年記念を兼ね、『光太郎遺珠 2006.4.2』をハードカバーの厚冊として、北川先生と当方の共編で出させていただきました。さらにその後は見つかり続ける作品を、現在は高村光太郎研究会さんの機関誌『高村光太郎研究』に、「光太郎遺珠」の題で紹介させていただいております。
それらの調査は、インターネットの発展に伴い、全国の文学館さんや図書館さんの蔵書検索等が居ながらにしてできるようになって、飛躍的に進みました。「これは」と思うものがヒットすると、コピーを送っていただいたり、現地まで行って拝見したり、そういう作業は今も続いています。
それと同時に、資料そのものがネット上で公開されている、いわゆる「デジタルアーカイヴ」。
国会図書館さんでは10数年前に始められ、これにもだいぶ助けられました。以前は国会図書館さん内か、提携している公共図書館さんなどに行かなければ資料の閲覧が出来ませんでしたが、この春から自宅兼事務所でも閲覧可能となりました(利用者登録が必要ですが)。登録数も徐々にに増えています。ただ、あまりにヒットする情報が多く、その中から必要なものを探すのが大変ですが。
この手のデジタルアーカイヴが、他館や他組織で広がりを見せていまして、そんな中で新発見もありました。
まず、台東区立図書館さんのデジタルアーカイブ。こちらに最晩年の光太郎葉書が掲載されており、『全集』未収録のものでした。生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため移り住んだ中野桃園町の貸しアトリエから、美術評論家・硲真次郎に宛てたものです。硲と光太郎は大正期から交流がありました。
硲が訪ねてきた際、床に臥せっていて会えなかった(光太郎が歿する4ヶ月前でした)お詫びと、硲から清酒「花霞」の引札を贈られた礼状です。日記にも同様の記述がありました。
清酒「花霞」。福島二本松の智恵子の実家・長沼酒造の銘酒で、大正12年(1923)の関東大震災後、東京ではとにかく物が不足していたことから、光太郎が東京に取り寄せ、自ら荷車を引いて売り歩いたとのこと。ラベルや引札も木版で作りました。引札は二本松の智恵子記念館さんに展示されています。その懐かしい次作の引札を硲が届けてくれたというわけです。
ところで台東区立図書館さんのデジタルアーカイブ。もう1件、光太郎の書簡なるものが登録されているのですが、残念ながらこちらは光太郎ではなく、実弟にして鋳金の人間国宝となった豊周のものでした。差し出し人名が「高村」としか書かれていませんので、仕方がないのかも知れませんが……。
この手のアーカイヴのリンク集的なサイトもいろいろありまして、少しずつ調査をしておりますが、なかなかはかどりません。やはりあまりにヒットする情報が多く(ほとんど既知の情報で)、必要なものを探すのが大変だというのが原因です。
国立公文書館アジア歴史資料センター
東京文化財研究所
スタンフォード大学 Hoji Shinbun Digital Collection
Cultural Japan
「このアーカイヴで光太郎智恵子、光雲に関する珍しい資料が掲載されている」という情報をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。
【折々のことば・光太郎】
夜新宿地球座、巴里の空の下、セールスマンの死、 うな丼をくひ、タキシでかへる、
昭和28年(1953)4月2日の日記より 光太郎71歳
「地球座」は現・新宿ジョイシネマさん。「巴里の空の下」は「巴里の空の下セーヌは流れる」。ブリジット・オーベール主演のフランス映画です。「セールスマンの死」はフレデリック・マーチ主演のアメリカ映画。どうも光太郎、邦画はほぼ見なかったようです。