6月13日(月)に初回放映のあった番組の再放送があります。

再 徳永ゆうきの一期一会はなうた旅 #12

BSJapanext 2022年6月20日(月) 02:30~04:30/12:30~14:30

実力派演歌歌手の徳永ゆうきが北海道・東北地方の7道県をおさんぽ! その土地にゆかりのある方と一緒に北国の絶景やグルメ・工芸品等を巡ります。旅先を訪れる際にはその場所にまつわる”はなうた”を歌いながら、別れ際にはお世話になった方々へ歌をお届けします♪ みるだけでなく、聞いても楽しい旅番組です!

今回は二本松市を徳永ゆうきがを旅します。絶景!二本松城から眺める安達太良山。名菓「玉羊羹」の製造工程を見学。世界が認める日本酒に大興奮!

出演者 徳永ゆうき 箭内夢菜

初回放映を拝見いたしました。
056
まずは二本松城(霞ヶ城)址。光太郎の父・光雲の孫弟子にあたる故・橋本堅太郎氏作の二本松少年隊像前から始まりました。
058
ご出演は、まず番組の冠になっている演歌歌手・徳永ゆうきさん。
061
ゲストにして案内役は、郡山ご出身の女優・箭内夢菜さん。
057
天守台へと上って行かれました。
062
ただ、この日は曇天だったようで、安達太良山は見えず。そこで資料映像的な。
063
続いてお二人が向かったのは、城址からほど近い市街地の玉嶋屋さん。羊羹の老舗です。
064
羊羹作りの工程をご覧になったり、名物の玉羊羹を賞味されたり。
065
最近はハート型の玉羊羹も販売されているそうで、これは存じませんでした。
066
そして、智恵子生家/智恵子記念館に近い、道の駅「安達」智恵子の里
067
最初は「道の駅安達」としか紹介されず、「おいおい、「智恵子の里」はどうした?」と思っていたら、演出的に引っ張っていたのでした。
069
070
施設内に入ってから、「智恵子の里」と、明かされました。

そして、レモン。
071
レモン系の商品等、いろいろ紹介されました。
072
それ以外に、郷土料理「ざくざく」系も。下記は「ざくざくカレー」。
059
この番組、タイトルに「はなうた旅」とあるとおり、徳永さんが行った先々で歌をご披露。ご自分の歌だったり、他の方の曲のカバーだったり。道の駅では、「もしかすると二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」か?」と思ったところ……。
073
「れもんコロッケ」を召し上がりつつ、まさかの米津玄師さん「Lemon」、演歌風(笑)。

この後は、同じ道の駅「安達」智恵子の里の和紙伝承館さんで、紙漉き体験。
060
残念ながら、智恵子の生家/智恵子記念館には立ち寄られませんでしたが、さらに二本松市内のおすすめスポットへ。

岳温泉さん。
074
075
003
奥の松酒造さん。
076
尺が2時間の番組ですので、各所、詳しく紹介されていました。

次回放映は盛岡編だそうですが、今後また、光太郎智恵子がらみの場所等、レポートしていただきたいものです。

もう1件、初回放映がもう今夜なのですが、昨日になってネットに情報が出たもので……。

アプリで生判定!地域創生プレゼンバトル #10

BSJapanext 2022年6月17日(金) 19:00~20:00 
再放送 6月24日(金) 02:30~03:30/12:30~13:30


絶景、グルメ、伝統工芸など、日本全国、地域の魅力を東西に分かれて熱烈プレゼン! MCを関根勤と小堺一機が交代で担当。魅力たっぷりの映像と、熱のこもったプレゼンで、これまで知らなかった地域の魅力をトコトンお伝えします。プレゼンの勝敗を決めるのは、アプリを使った視聴者投票!家族みんなで奮ってご参加ください!!

今回の対決は…
▼絶景対決
 二本松城(福島)VS日御碕灯台(島根)
▼工芸品対決
 上川崎和紙(福島)VS薩摩切子(鹿児島)▼極上グルメ対決
 温泉ワインうなぎ(山梨)VS薩摩牛・極(鹿児島)

出演者 判定人:関根勤 プレゼンター西日本:みかん 東日本:たきうえ(流れ星☆)
進行:山中秀樹
005
「徳永ゆうきの……」と同じ、BSJapanextさん(今春開局・全番組無料放映)の番組です。

併せてご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

迎により車で一時頃中山太陽堂の講堂行、満員、井上女史ゐる、談話を2時間はかり、

昭和28年(1953)2月28日の日記より 光太郎71歳

はかり」は「ばかり」。光太郎、時々濁点の省略が見られます。

中山太陽堂」は、現・クラブコスメチックス。老舗の化粧品メーカーです。「井上女史」は、智恵子の母校・本女子大学校の第四代校長を務めた井上秀。この日は井上も一枚からんでいた「中山文化研究所婦人文化講座」の一環として、井上が旧知の光太郎の講演をお膳立てしました。前年までの花巻郊外旧太田村での山小屋生活、制作中の生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」などについて語られています。

講演の筆録は、「美と真実の生活」の題で、この年発行の雑誌『婦人公論』第37巻第6号に載り、さらに古谷綱武編『暮しの美しさ』(講談社 昭和29年=1954)に再録されました。それをテキストに『高村光太郎全集』第10巻に収められています。

ところが、そちらは講演全体の7割程度の部分のみの筆録でした。全文は雑誌『女性教養』第173号(昭和28年=1953 6月)に「炉辺雑感」の題で収録されています。どうも何かしらの「大人の事情」があったようで、『婦人公論』等では、井上の名が出て来る部分がスパッとカットされています。当方編集の「光太郎遺珠⑧」(『髙村光太郎研究』第34号 平成25年=2013 髙村光太郎研究会)に全文を載せました。国会図書館さん、日本近代文学館さん等に所蔵されています。

また、『婦人公論』所収の際に生じた誤植が、そのまま『高村光太郎全集』に踏襲されてしまいました。農作物の種蒔きに関しての部分で、『婦人公論』では「今日は都合が悪いから明日まこうでは、決していい物をつくることができない。そんなずれは許されない。」となっていますが、本来は「今日は都合が悪いから明日まこうでは、決していゝ物をつくることが出来ない。そんなズルは許されない。」となっていました。「ずれ」と「ズル」では、かなりニュアンスが異なりますね。

こういうこともあるので、この世界、なかなか大変です。

また、やはり『婦人公論』でカットされている部分に、実に興味深い一節がありました。

 昔は詩の月評というのがあつて、僕の創つた詩なんか、そこで毎月といつていゝ程必ずやつつけられたものだ。こんなのは詩じやない、てんで詩になつていないといわれる。あんまりいわれるので、俺のはそんなに詩になつていないのかなあとふさぎ込んでしまう。考えてみる。と、やつぱり詩になつている。また書く。またやられる。書いてはやられ、やられては書く。こつちはそれよりほかどうしようもない、絶体絶命なんだから、そして人間はとにかく生きてゆく権利があるのだから、俺は俺のことをやるしかない。俺の道を行くしかないというんで、二年程続けていたら、向こうでも根負けしたのか、馬鹿は相手に出来ないとでも思つたのか、パツタリやめてしまつた。

詩の月評」というのがどういうものなのか、よくわからないのですが、「句会」や「歌会」のような催しだったのでしょうか、それとも投稿雑誌等に詩を投稿していたということなのでしょうか。いずれにしてもきちんと詩人としてデビューする前の話と思われます。後者であれば、「二年程」の間、知られざる光太郎詩がなにがしかの雑誌に載ったということになりますが、そうした作品群の存在が確認出来ていません。情報をお持ちの方、コメント欄等から御教示いただければ幸いです。