平成31年(2019)に刊行されたソフトカバー単行本の文庫化です。

すごい言い訳!―漱石の冷や汗、太宰の大ウソ―

2022年5月1日 中川越著 新潮社(新潮文庫) 定価693円

原稿が書けない。生活費が底をついた。追い詰められた文豪たちが記す、弁明の書簡集。

言い訳――窮地を脱するための説明で、自分をよく見せようとする心理が働くので、大方軽蔑の対象になる。しかし文豪たちにかかれば浅ましい言い訳も味わい深いものとなる。二股疑惑をかけられ必死に否定した芥川龍之介。手紙の失礼を体調のせいにしてお茶を濁した太宰治。納税額を誤魔化そうとした夏目漱石。浮気をなかった事にする林芙美子等、苦しく図々しい、その言い訳の奥義を学ぶ。
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目次

 はじめに
 第一章 男と女の恋の言い訳
  フィアンセに二股疑惑をかけられ命がけで否定した 芥川龍之介
  禁じられた恋人にメルヘンチックに連絡した 北原白秋
  下心アリアリのデートの誘いをスマートに断った言い訳の巨匠 樋口一葉
  悲惨な環境にあえぐ恋人を励ますしかなかった無力な 小林多喜二
  自虐的な結婚通知で祝福を勝ち取った 織田作之助
  本妻への送金が滞り愛人との絶縁を誓った罰当たり 直木三十五
  恋人を親友に奪われ精一杯やせ我慢した 寺山修司
  歌の指導にかこつけて若い女性の再訪を願った 萩原朔太郎
  奇妙な謝罪プレーに勤しんだマニア 谷崎潤一郎
  へんな理由を根拠に恋人の写真を欲しがった 八木重吉
  二心を隠して夫に潔白を証明しようとした恋のモンスター 林芙美子

 第二章 お金にまつわる苦しい言い訳
  借金を申し込むときもわがままだった 武者小路実篤
  ギャラの交渉に苦心惨憺した生真面目な 佐藤春夫
  脅迫しながら学費の援助を求めたしたたかな 若山牧水
  ビッグマウスで留学の援助を申し出た愉快な 菊池寛
  作り話で親友に借金を申し込んだ嘘つき 石川啄木
  相手の不安を小さくするキーワードを使って前借りを頼んだ 太宰治
  父親に遊学の費用をおねだりした甘えん坊 宮沢賢治

 第三章 手紙の無作法を詫びる言い訳
  それほど失礼ではない手紙をていねいに詫びた律儀な 吉川英治
  親友に返信できなかった訳をツールのせいにした 中原中也
  手紙の失礼を体調のせいにしてお茶を濁した 太宰治
  譲れないこだわりを反省の言葉にこめた 室生犀星
  先輩作家への擦り寄り疑惑を執拗に否定した 横光利一
  親バカな招待状を親バカを自覚して書いた 福沢諭吉
  手紙の無作法を先回りして詫びた用心深い 芥川龍之介

 第四章 依頼を断るときの上手い言い訳
  裁判所からの出頭要請を痛快に断った無頼派 坂口安吾
  序文を頼まれその必要性を否定した 高村光太郎
  弟からの結婚相談に困り果てた気の毒な兄 谷崎潤一郎
  もてはやされることを遠慮した慎重居士 藤沢周平
  独自の偲び方を盾に追悼文の依頼を断った 島崎藤村
  意外に書が弱点で揮毫を断った文武の傑物 森鴎外

 第五章 やらかした失礼・失態を乗り切る言い訳
  共犯者をかばうつもりが逆効果になった粗忽者 山田風太郎
  息子の粗相を半分近所の子供のせいにした親バカ 阿川弘之
  先輩の逆鱗に触れ反省に反論を潜ませた 新美南吉
  深酒で失言して言い訳の横綱を利用した 北原白秋
  友人の絵を無断で美術展に応募して巧みに詫びた 有島武郎
  酒で親友に迷惑をかけてトリッキーに詫びた 中原中也
  無沙汰の理由を開き直って説明した憎めない怠け者 若山牧水
  物心の支援者への無沙汰を斬新に詫びた 石川啄木
  礼状が催促のサインと思われないか心配した 尾崎紅葉
  怒れる友人に自分の非を認め詫びた素直な 太宰治
  批判はブーメランと気づいて釈明を準備した 寺田寅彦

 第六章 「文豪あるある」の言い訳
  原稿を催促され詩的に恐縮し怠惰を詫びた 川端康成
  原稿を催促され美文で説き伏せた 泉鏡花
  カンペキな理由で原稿が書けないと言い逃れた大御所 志賀直哉
  川端康成に序文をもらいお礼する際に失礼を犯した 三島由紀夫
  遠慮深く挑発し論争を仕掛けた万年書生 江戸川乱歩
  深刻な状況なのに滑稽な前置きで同情を買うことに成功した 正岡子規
  信と疑の間で悩み原稿の送付をためらった 太宰治
  不十分な原稿と認めながらも一ミリも悪びれない 徳冨蘆花
  友人に原稿の持ち込みを頼まれ注意深く引き受けた 北杜夫
  紹介した知人の人品を見誤っていたと猛省した 志賀直哉
  先輩に面会を願うために自殺まで仄めかした物騒な 小林秀雄
  謝りたいけど謝る理由を忘れたと書いたシュールな 中勘助

 第七章 エクスキューズの達人・夏目漱石の言い訳
  納税を誤魔化そうと企んで叱られシュンとした 夏目漱石
  返済計画と完済期限を勝手に決めた偉そうな債務者 夏目漱石
  妻に文句を言うときいつになく優しかった病床の 夏目漱石
  未知の人の面会依頼をへっぴり腰で受け入れた 夏目漱石
  失礼な詫び方で信愛を表現したテクニシャン 夏目漱石
  宛名の誤記の失礼を別の失礼でうまく隠したズルい 夏目漱石
  預かった手紙を盗まれ反省の範囲を面白く限定した 夏目漱石
  句会から投稿を催促され神様を持ち出したズルい 夏目漱石
  不当な苦情に対して巧みに猛烈な反駁を盛り込んだ 夏目漱石

 おわりに
 参考・引用文献一覧

 解説 郷原宏

平成31年(2019)に刊行されたソフトカバー単行本は、『すごい言い訳!―二股疑惑をかけられた龍之介、税を誤魔化そうとした漱石―』。サブタイトルが変更されていますが、内容的には同一のようです。文庫化に当たり、郷原宏氏の解説が新たに添えられましたが。

われらが光太郎については、「序文を頼まれその必要性を否定した 高村光太郎」という項を設けて下さいました。読んでその通りの内容で、菊池正という詩人からの序文を書いてくれ、という依頼に対して送られた断りの書簡を根幹としています。

光太郎曰く「ところで序文といふ事をもう一度考へませう。一体序文などいるでせうか。何だか蛇足のやうに思へます。」「他の人の序をつけるのは東洋の風習でせうが、再考してもよくはないでせうか。序文とは結局何でせう。

著者・中川氏によれば、

 これは一つのいい方法です。頼み事を断りたいときには、光太郎のように、頼み事自体が不要なのではと、疑問を投げかけます。もし相手がなるほど不要かもと納得すれば儲けものです。依頼事は消滅し、罪悪感を覚える必要も消えます。自己責任を回避するための完璧な言い訳の完成です。結構いろいろと使えそうです。

なるほど。

ただ、以前にも書きましたが、光太郎はこれより前に菊池の詩集に序文を書いてやっていますし、当会の祖・草野心平はじめ、確認できている限り60篇ほどの序跋文を様々な人物の著書に寄せています。その意味ではちょっと説得力に欠ける「言い訳」かもしれません(笑)。

ところで光太郎の「序文」。注意が必要です。光太郎歿後に刊行された、ある詩人の詩集(それも二種類、まったく別の人物のもの)に付されている光太郎署名の「序文」で、どうも怪しいものがあります。筑摩書房さんの『高村光太郎全集』には収録されていません。『全集』編纂にあたられた当会顧問であらせられた故・北川太一先生が、その二人の詩人に「草稿を見せて欲しい」と言ったところ、「ない」との返答。さらに、「どういうやりとりがあって書いてもらったのか」との問いにも、まともに答えられず。光太郎が確かにその「序文」を書いたという裏付けになる書簡等も存在せず。文体も光太郎の文体っぽくない部分が目につきます。こういう例は、他の作家にもあるのでしょうか?

閑話休題。『すごい言い訳!―漱石の冷や汗、太宰の大ウソ―』、他の作家達の「言い訳」も、それぞれに笑えたり、参考になったりと、有益な書物です。ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

電話871番は既に誰かが横取りせし事わかる、24年の由、


昭和27年(1952)11月22日の日記より 光太郎70歳

871番」は、戦前から戦時中にかけ、焼失した駒込林町のアトリエ兼住居にひかれていた電話の番号です。戦時中の葉書などには、この番号が入ったゴム印が使われていました。
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固定電話の加入権というのは、一つの財産といった意味合いがあり、それを担保にしての借金というのも、比較的近年まで行われていたようです。

ところが戦後のドサクサで、光太郎が持っていた権利が横取りされてしまっていたらしいそうで(笑)。これより前、花巻郊外旧太田村で蟄居生活を送っていた頃も、この加入権について実弟の豊周に問い合わせたりしていましたが、不明だったようです。

土地などに関しても、そういうことがけっこうあったようですね。焦土と化した場所に杭を打ち、「ここは自分の土地だった」と言ってしまった者勝ち、のような。