昨夜、無料放送のBS松竹東急さんで放映された松竹映画「智恵子抄」昭和42年=1967)を、11年ぶりに拝見しました。2度目の拝見ということで、いろいろ冷静に分析しつつ見られました。

冒頭は、智恵子の顔を持つ、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。
056
これまで気づいていませんでしたが、タイトル題字揮毫は、昨年亡くなった篠田桃紅さんでした。公式パンフレットにも記述があったのですが、見落としていました。

智恵子役の岩下志麻さん、光太郎役の丹波哲郎さん、共に実にいい感じでした。

岩下さんは、智恵子が心を病む前と後、そして病みつつある葛藤の時期と、それそれにしっかりと演じ分けられ、尺的には意外と早い段階で心を病む構成で、それだけに鬼気迫る演技の連続となり、さぞ大変だったろうと思いましたが、見事に演じきられていました。

磐梯山でのシーン。
062
063
その後の九十九里浜。
064
066
南品川ゼームス坂病院での臨終の場面。
068
丹波さんも、苦悩の連続となった光太郎そのもの、という感じでした。

脇を固める皆さんも、それぞれに。

前回拝見した時には気づかなかったのですが、光太郎詩の朗読を複数回なさっている寺田農さんもご出演なさっていました。当時の寺田さんはまだ大部屋だったようで、公式パンフレットにはクレジットがありませんでした。役柄はちょい役でしたが、美に取り憑かれ、心を病んで自殺してしまう画学生という設定。ただ、のちの智恵子の悲劇を暗示するという意味では重要な役どころでした。
067
ところで、だいぶ以前にも書きましたが、当方自宅兼事務所のある、千葉県香取市佐原地区でもロケが行われていました。ただ、公式パンフレットでは「佐原」が「佐倉」と誤植されています。
071
冒頭の「パンの会」のシーン。
059
それから後半になって、智恵子が心を病んだことに自責の念を感じる光太郎を、「パンの会」での友人だった石井柏亭(平幹二朗さん)が慰めるシーン。
060
それぞれ夜間の撮影でわかりにくいのですが、この二つのシーンは、香取市佐原地区の中央を流れる小野川沿いで撮影されています。佐倉にはこういう場所はありません。

九十九里浜、そして前半部では犬吠埼でのロケもありましたので、そのあたりと同時期にロケツアーが行われたのでしょう。
065
閑話休題。

ラストは智恵子が歿してから、年老いた光太郎が戦後に蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋という設定。ここで光太郎が智恵子の像を作っているところでジ・エンドです。
069
070
これは史実と異なりますし、冒頭部分で「乙女の像」を使っているので、岩手の山小屋ではなく、終焉の地となった中野の貸しアトリエで「乙女の像」を作っているシーンにすればよかったのに、と思いました。

それでも非常に見応えのある作品です。明後日、5月1日(日)の12:00~14:30、やはりBS松竹東急さんで再放送がありますので、ご覧になっていない方、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

立太子の日、 モデル来る、ひるまでスケッチ 着衣1、


昭和27年(1952)11月10日の日記より 光太郎70歳

1ヶ月前に花巻郊外旧太田村の山小屋から帰京した光太郎、ついに「乙女の像」制作にかかりました。

「立太子」は、現・上皇陛下が正式に皇太子になられた「立太子の礼」が執り行われたことを表します。