明治44年(1911)、智恵子がその創刊号表紙絵を描いた雑誌『青鞜』。その生みの親であり、日本女子大学校で智恵子の一級上の先輩だったらいてう平塚明子関連で2件。

まずは平成13年(2001)制作の映画「元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」が上映されます。

NFAJコレクション 2022 春

期 日 : 2022年5月6日(金)~5月22日(日)の金・土・日
会 場 : 国立映画アーカイブ 東京都中央区京橋 3-7-6
料 金 : 一般:520円/高校・大学生・65歳以上:310円/小・中学生:100円
      チケットは前売指定席券のみです。

週末、映画に会いに行く。――ようこそフィルムの世界へ。
 昨年度からスタートした上映企画「NFAJコレクション」は、所蔵コレクションから多彩な映画の面白さを詰め合わせてご紹介する企画です。宝探しのように未知の映画に出会う醍醐味も交えて、改めてスクリーンで見たい名作や個性的な作品などを堪能していただけます。
 今回は、80,000本の国立映画アーカイブ所蔵コレクションから厳選した9プログラム(計15本)を上映します。週末に、フィルム上映をお楽しみください。
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作品リスト
 1.野球プログラム (計89分)
 2.なつかしの顔 (34分・1941・東宝京都・監・原・脚:成瀨巳喜男)
  熱情の翼 (72分・1940・新興東京・監:小石榮一)
 3.日本産業地理大系 第一篇 國立公園 伊勢志摩いせしま
(19分・1949・東宝教育映画・監・脚:本多猪四郎)
  南国の肌 (93分・1952・木曜プロ・監・脚:本多猪四郎)
 4.妻と女記者 ―若い愛の危機― (91分・1950・藤本プロ=新東宝・監:千葉泰樹)
 5.江戸の花和尚 人斬り数え唄[『ちゃんばら手帖』改題]
(77分・1953・宝プロ=東映京都・監:河野壽一)
 6.非情都市 (89分・1960・東宝・監:鈴木英夫)
 7.水の中の八月(1997年作品) (90分・1997・NHK・監:高橋陽一郎)
 8.元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯 (140分・2002・自由工房・監:羽田澄子)
 9.こほろぎ嬢 (95分・2006・旦々舎・監:浜野佐知)
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「元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」は、「平塚らいてうの記録映画をつくる会」制作のドキュメンタリー。監督は羽田澄子氏、プロデューサーはらいてう、智恵子らの母校・日本女子大学さんの学長であらせられた故・青木生子氏でした。

「らいてうの一人称の語りとスチル写真によって,彼女を突き動かした時代の姿を再構築」だそうで、智恵子の写ったそれも含まれているのでは、と思われます。
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上の画像で、左は青木氏、右に故・瀬戸内寂聴さんのお姿も。

続いて、テレビ番組。

にっぽん!歴史鑑定▼元始、女性は太陽だった!婦人運動家・平塚らいてう

BS-TBS 2022年5月2日(月) 22:00~22:54

東大出の青年との心中未遂!人生を変えた騒動の顛末は?▽初の女性による文芸雑誌を創刊、お金をどう工面!?▽母性保護をめぐる歌人・与謝野晶子との大論争、その真相は?

2021年のジェンダーギャップ指数で156か国中120位、先進国の中では最低レベルという日本。国を挙げて女性の活躍、ジェンダー平等の取り組みを進めているが、100年も前に同じ思いを持って女性解放運動の先駆けとなったのが平塚らいてうであった。東大出の青年との心中未遂、初の女性による女性のための文芸雑誌「青鞜」の創刊、歌人・与謝野晶子との母性保護論争。単に女性の幸福だけでなく社会全体の幸福を真摯に考えて活動し続けたらいてう、明治・大正・昭和にわたる85歳の波乱の生涯に迫る。


出演 【歴史鑑定人】田辺誠一【ナレーション】鈴木順
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光太郎の姉貴分、与謝野晶子にも触れられます。

こちらもぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

タキシで上野まで、 朝九時50分上野発で友部まで、取手より宮崎氏同乗、友部へ孟彦来てゐる、 ダツトサンで鯉渕学園まで、園長らにあふ、講演一時間半、

昭和27年(1952)11月8日の日記より 光太郎70歳

友部」は常磐線の友部駅。現在の茨城県笠間市です。「宮崎氏」は宮崎稔。取手在住の詩人で、智恵子の最期を看取った姪の春子と結婚し、光太郎姻戚となっていました。

孟彦」は光雲四男にして光太郎実弟、藤岡家に養子に入った藤岡孟彦です。植物学を修め、戦後には茨城県の鯉淵学園(現在も公益財団法人農民教育協会鯉淵学園農業栄養専門学校として続いています)に赴任。現在、花巻高村光太郎記念館さんで展示されている光雲作の「鈿女命」は、光雲没後に孟彦が形見分けに貰ったものです。

この日、孟彦の依頼により、光太郎の講演が実現しました。その筆録は翌年1月発行の『農業茨城』第5巻第1号に「芸術と農業」の題で掲載され、筑摩書房刊『高村光太郎全集』第19巻に収録されています。
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