長野レポートの2回目です。

4月23日(土)、宿泊した長野駅近くのビジネスホテルをチェックアウトし、再び善光寺さんへ。まだ朝のうちでしたが、御開帳期間ということで、結構な人出でした。ただ、人山の黒だかりとまでは行っていませんでしたが。
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まずは前夜、ライトアップを拝見した仁王門をもう一度拝観。
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光太郎の父・光雲とその高弟・米原雲海の手になる仁王像、阿形。
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同じく吽形。
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仁王門をくぐった先にそびえる山門。
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そして本堂。
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前立本尊と巻かれた布でつながった回向柱。これに触れることで、前立本尊に触れるのと同じご利益だということで、そうさせていただきました。
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その後、本堂裏手の忠霊殿内にある善光寺史料館へ。普段こちらで展示されている、仁王像や三宝荒神像、三面大黒天像の雛形は、現在、長野県立美術館さんに出張中ですので、この日はパスしようと思っていたのですが、空いたスペースを使って、現代アート作家の小松美羽さんの作品が展示されているというので、行きました。
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小松さん、平成28年(2016)には、現代アートの「福島ビエンナーレ」の一環として、二本松の智恵子生家を会場にインスタレーションをなさった方です。その後も各地でご活躍中。
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今回もがっつり小松ワールドが展開されていました。
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史料館の通路に掲げられた説明パネル。仁王門、仁王像について。
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なるほど、という感じでした。

その後、隣接する長野県立美術館さんへ。
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こちらでは「善光寺御開帳記念 善光寺さんと高村光雲 未来へつなぐ東京藝術大学の調査研究から」展が開催中です。
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東京藝術大学による善光寺の仏像の保存修復に関わる研究について、様々な角度から紹介する展覧会」という触れ込みで、善光寺史料館さんから仁王像、三宝荒神像、三面大黒天像の雛形を移し、関連資料等と共に展示、さらに詳細な説明パネル、映像、光雲令曾孫・髙村達氏撮影の写真等で構成されていました。
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ただ、全体の出品点数は多くなく、そのためか図録は刊行されておらず、少し残念でした。特に説明パネルに書かれていた内容、ぜひ公刊していただたきたいと思いました。雛形は5センチ角のパーツを木寄せで組んであること、仁王像はそれを4倍、三宝荒神と三面大黒天は3倍に拡大し、その際には伝統的な寄せ木造りの技術と、星取りの技法を組み合わせていること等々。制作に先立って、千葉県松戸市の萬満寺さんの仁王像を視察した件などにも触れられていました。

それからAR技術を駆使し、スマートフォンなどでQRコードを読み取ると仁王像の3D画像データが見られるようになっているということで、試してみましたが、当方のスマホ、というか、インストールされているGoogle Chromeあたりのバージョンが古いためか、うまく起動しませんでした。

ただ、会場内でプロジェクタを使って流されていた映像が、それに近いものだろうと思われ、そちらを拝見。仁王像の背面など、通常では見られない部分について、特に興味深く拝見しました。背部の衣の裾にあたる部分に、光雲と雲海の銘が入っているというのも初めて知りました。やはりこのあたりの画像を含む書籍等、公刊していただきたいものです。概要的なものがweb上に出てはいますが。

関連資料として展示されている光雲の制作日誌、星取り機などの道具類、髙村達氏撮影の写真などは、東京藝術大学さんで昨年開催された「髙村光雲・光太郎・豊周の制作資料」展とかぶるものが多かったのですが、藝大さん所蔵の光雲が講義で使ったという木寄せ模型など、初見のものもありました。

会期は6月26日(日)まで。ぜひ足をお運び下さい。

その後、長野駅方面へ歩きました。

土産物屋さんで購入したピンバッヂ。
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参道沿いにある老舗旅館・藤屋さん。
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公式サイトには、光雲も宿泊した旨、記述があります。おそらく仁王像開眼の大正8年(1919)頃でしょう。現在の建物はその後の大正14年(1925)竣工だそうですが。それでも古建築好きにはたまりません(笑)。

というわけで、充実した1泊2日の長野行でした。以上、長野レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

午后一時半主婦之友より迎へ、紀尾井町福田家、川島四郎博士、竹内てるよさんと座談会、七時頃かへる、


昭和27年(1952)10月27日の日記より 光太郎70歳

紀尾井町福田家」は、老舗の料亭。まったくの偶然だったようですが、これ以前の光太郎の花巻郊外旧太田村の山小屋での蟄居生活中、女将・福田マチが、光太郎の暮らしぶりを報道で知り、さまざまな食料などを送ってくれました。当会の祖・草野心平ら知り合いが食料等を贈ることはあっても、未知の人物からの援助は珍しい例でした。

この日行われた元陸軍少尉にして栄養学者の川島四郎、詩人の竹内てるよとの座談会「高村光太郎先生に簡素生活と健康の体験を聞く」は、翌年1月の『主婦之友』に掲載されました。