本日も光太郎の父・髙村光雲作品の出る展覧会情報です。

まず、神奈川県から。

市制90周年記念 リアル(写実)のゆくえ 現代の作家たち 生きること、写すこと

期 日 : 2022年4月9日(土)~6月5日(日)
会 場 : 平塚市美術館 神奈川県平塚市西八幡1-3-3
時 間 : 9時30分 ~17時
休 館 : 月曜日
料 金 : 一般900円/高大生500円

幕末から明治初めに流行った生人形の迫真の技は、当時の日本人はもとより、来日した西洋人にも大きな衝撃を与えました。明治20年代に滞日した人類学者シュトラッツは「解剖学の知識もなしに強い迫真性をもって模写することができる」生人形師の力量に感嘆しました。また、彼は、生人形が理想化も図式化もされず、ありのままの姿であることにも着目しています。

高村光雲も幼い時に松本喜三郎の生人形の見世物を見ています。後年、彼は西洋由来ではない写実を気付かせた存在として、松本喜三郎をはじめとする生人形師を敬慕しています。

ここで重要なのは、写実表現はそもそもこの国にあったということです。遡れば江戸期の自在置物、さらには鎌倉時代の仏像に行きつきます。写実は洋の東西を問わず追求されてきたと見るべきでしょう。日本は近代化する過程において西洋由来の新たな写実表現を受容しました。これは既存の写実の方法や感性を新たに上書きする、もしくは書き替える作業であったことと思われます。

今また写実ブームが到来しています。現代の作家が手がけた作品にも先祖返り的な要素が見受けられます。これは旧来の伝統的な写実が息づいている証です。連綿と続く写実の流れが、いわば間欠泉の様に、息吹となって彼らの作品を介して噴出しているのです。また、彼らの作品の中には近代的なものと土着的なものが拮抗し、新たな写実を模索している姿勢も見出せます。このような傾向は、高橋由一まで遡ることができます。

本展は、松本喜三郎らの生人形、高橋由一の油彩画を導入部として、現代の絵画と彫刻における写実表現を検証するものです。西洋の文脈のみではとらえきれない日本の「写実」が如何なるものなのか、またどのように生まれたのか、その手がかりを探ります。

出品作家作品
【序章】松本喜三郎、安本亀八、高橋由一、室江吉兵衛、室江宗智、高村光雲、関義平、須賀松園(初代)、平櫛田中
【彫刻】佐藤洋二、前原冬樹、若宮隆志、小谷元彦、橋本雅也、満田晴穂、中谷ミチコ、本郷真也、上原浩子、七搦綾乃
【絵画】本田健、深堀隆介、水野暁、安藤正子、秋山泉、牧田愛、横山奈美
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近代の巨匠たちから現代作家の皆さんの作まで、幅広く展示するようです。メインはフライヤーにも使われている、生(いき)人形。

フライヤーの作品は安本亀八ですが、喜八と並ぶ松本喜三郎(喜三郎作も複数展示されます)について、案内文に「高村光雲も幼い時に松本喜三郎の生人形の見世物を見ています。後年、彼は西洋由来ではない写実を気付かせた存在として、松本喜三郎をはじめとする生人形師を敬慕しています。」とあります。出典は『光雲懐古談』(昭和4年=1929)。まず、安政年間、江戸で初めて喜三郎の生人形が見世物小屋に出た際のことが語られています。喜三郎は肥後の出身でした。

曰く「江戸の人形師は申すに不及(およばず)、彫刻師でも惣(すべ)て製作品として多少関係のある人が見て皆驚いた。どうして斯(こ)んなものが出来るだらうと云つた位。」「それが評判なことは湯や髪結床(かみどこ)のやうな人の集る所で、此人形の噂の無い所は無い。どうだ見たかといふやうなもので、見て驚いて迚(とて)も叶はぬといふのが一般の評でありました。

何がそれほど凄いのかというと、「其時分人形の困難なのは裸体である。人形は多くは手頭を拵へて人形の胴組をして着物を被(き)せる、足に足袋を穿かせるといふことで余程迯(に)げが出来る。裸体のものは継目が無い。全身作らねばならぬ。余程困難だ。其の困難な製作を意地にやつたので、皮肉に人のやらぬことをやつた。」というわけです。ご覧になる方、ここが一つのポイントですので、よろしく。

この他にも、その後評判になった喜三郎の作品を数多く紹介し、その手間のかけ方(毛髪を一本ずつ植える、植えた髪を自身で結う、衣服も自分で仕立てて着せる、など)を細かく解説し、「実に見事な出来で、結構過ぎて凄い。」「到底他の工人の及ぶ所では御座いません。」等々、手放しで絶賛しています。

光雲は、喜三郎本人とも面識があり、その思い出も語られています。光雲がまだ修行中だった頃、師匠・髙村東雲の元に、喜三郎が製作の参考にしたいということで、仏像を借りに来ました。すると東雲は、自分の師匠・髙橋鳳雲のさらに師匠・幸慶の十一面観音像を寺院から借りられるよう手配してあげます。そうして出来た張り子の観音像を見て、「さう申すと可笑(をか)しいが、康慶(註・「幸慶」の誤り)さんの十一面様よりも余程是は良い出来だ。」。

そして喜三郎本人を「是丈の作者でありますから定めし立派な人物で、非常な権式で、如何にも先生らしい人と何人も想像いたしませうが、私は面会致し実に案外に思ひました。至つて背の低い田舎風の老人で、着物は綿服、羽織は鉄色の極く短いので、千種色股引を穿き、口数の少ない人で、一見田舎風の老人が江戸の青物市場へ野菜の仕切を集めに来たやうな風俗で御座いました。」と回想しています。

さて、その光雲の作も2点、展示されるそうです。

まず、明治36年(1903)制作の「魚籃観音」。三重県津市教育委員会さんの所蔵です。それから大正13年(1924)制作の「寿老舞」。
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「魚籃観音」は、最近ですと平成30年(2018)から翌年にかけ、全国巡回のあった「華ひらく皇室文化 明治150年記念 明治宮廷を彩る技と美」に展示されましたが、当方が拝見に伺った東京展では出品されず、残念に思っておりました。それ以前に拝見したことはありましたが。

「寿老舞」は「個人蔵」とのこと。上記画像のものではないかも知れません。もし上記画像のものであれば、テノール歌手・秋川雅史さんの所蔵で、平成31年(2019)、テレビ東京さんの「開運! なんでも鑑定団」に出たものです。

再来週に拝見に伺う予定ですので、確かめて参ります。また、巡回があるようなのですが、情報が不足しています。そのあたりも調べてきます。

もう1件、ご紹介いたします(また、このブログで取り上げるべき事項が溜まって来てしまいましたので)。島根県益田市からの情報です。

雪舟等楊 終焉の物語 ~室町から令和へ~

期 日 : 2022年4月16日(土)~6月26日(日)
会 場 : 益田市立雪舟の郷記念館 島根県益田市乙吉町イ1149
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 毎週火曜(5/3㊋㊗は開館)、5月9日(月)、5月11日(水)
料 金 : 一般300(240)円/小中高100(80)円
      ※( )内20名以上団体料金及び各種割引料金

室町時代の画聖・雪舟等楊は、その生涯のうち何度も益田を訪れ、東光寺(現・大喜庵)で終焉を迎えたと伝えられています。雪舟没後から現代に至るまで、時代によって数々の雪舟顕彰活動が行われてきました。本展では、世紀を超えて継承されてきた雪舟に関する絵画、遺跡など幅広く紹介します。

同時開催 特別企画 あの日せっしゅうになった!part2

益田市雪舟顕彰会は昭和 55 年第三次同会結成以来、市内の幼児を対象に「絵の好きな子どもを育てる幼児の絵画展」を開催しています。今回は平成 23 年から令和 2 年までの“雪舟特別賞”受賞作品を展示します。子どもらしい色彩豊かで自由な表現をお楽しみください。
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フライヤーに使われているのが、光雲作の「雪舟禅師像」(大正15年=1926)。市の指定文化財だそうです。こちらは同館で常設展示されているものとばかり思っていましたが、そうなのかも知れませんし、そうでないのかも知れません。
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左上画像は平成12年(2000)、茨城県立近代美術館さん他を巡回した「高村光雲とその時代展」の際のもの、右上は当方手持ちの戦前と思われる古絵葉書です。戦前から地元の宝として珍重されていたことが分かります。

絵画と彫刻、分野は違えど同じ造型作家として、大先輩へのリスペクトが感じられる作ですね。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、それぞれぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

飛田先生清六さんより托されたりとて線香、両関を届けらる、明日の智恵子命日のため、

昭和27年10月4日の日記より 光太郎70歳

「飛田先生」は、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校教員、「清六さん」は賢治実弟の宮沢清六です。

戦後の光太郎、毎年10月には花巻町中心街の松庵寺さんなどで、光雲や母・わか、そして智恵子の法要を行ってもらっていましたが、この年は一週間後に帰京(生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため)を控え、ルーティーンを崩したようです。

それを知った清六が、わざわざ線香と酒を届けてくれました。ありがたいことです。