当会で会報的に発行しております冊子『光太郎資料』の第57集が完成しました。今日あたりから関係各位に順次発送いたします。
元々、当会顧問であらせられた故・北川太一先生が、昭和35年(1960)に筑摩書房さんの『高村光太郎全集』の補遺等を旨として始められ、その後、様々な「資料」を掲載、平成5年(1993)、36集まで不定期に発行されていたものです。平成24年(2012)から名跡を引き継がせていただき、現在は4月2日の光太郎忌日・連翹忌、10月5日の智恵子忌日・レモンの日に合わせて年2回発行しております。
今号の内容は、以下の通りです。
散文 帽子に応用したアイリツシユレース 大正13年4月1日『婦人之友』
座談 現代女性美を語る 各専門家の見た美人の標準 昭和4年8月7日『アサヒグラフ』
朝日新聞社主催で行われたミスコン「女性美代表審査会」の審査員による座談会。
光太郎以外に藤島武二、柳田国男、朝倉文夫、藤懸静也(美術史学者)、
杉田直樹(医学博士)、西成甫(にしせいほ)(解剖学者)、村山知義(劇作家)、
鏑木清方(画家)が審査員でした。
写真審査のみで実施され、最高点を獲得したのはのちに歌人となる齋藤史でした。
書簡 昭和15年(1940)1月12日 資生堂ビル内 花椿社 篠原眞男宛
資生堂さんのPR誌『花椿』に関わる書簡です。
・光太郎回想・訪問記 「雨ニモマケズ」の発見――モナミの賢治追悼会―― 永瀬清子
賢治が歿した翌年の昭和9年(1934)2月16日、光太郎も出席して新宿モナミで開催され、「雨ニモマケズ」が「発見」されたという宮沢賢治追悼会を中心とした回想文です。
・光雲談話筆記集成
高橋鳳雲の話
光雲の師匠・髙村東雲のさらに師匠、髙橋鳳雲について。
・昔の絵葉書で巡る光太郎紀行 第二十一回 那須温泉(栃木県)
大正14年(1925)9月、母・わかを喪った傷心を癒やすために訪れた那須温泉について。
・高村光太郎初出索引(年代順)
現在把握できている公表された光太郎文筆作品、挿画、装幀作品、題字揮毫等を、初出掲載誌によりソート・抽出し掲載しています。 掲載順は発表誌の最も古い号が発行された年月日順によります。以前は掲載紙タイトルの50音順での索引を掲載しましたが、年代順にソートし直して掲載しています。今号では大正4年(1915)から同9年(1920)までに初出があったものを掲載しました。
ご入用の方にはお頒けいたします(37集以降のバックナンバーもご希望があれば)。一金10,000円也をお支払いいただければ、年2回、永続的にお送りいたします(見本的にこの号のみ欲しいという方は、一金500円)。通信欄に「光太郎資料購読料」と明記の上、郵便局備え付けの「払込取扱票」にてお振り込み下さい。ATMから記号番号等の入力でご送金される場合は、漢字でフルネーム、ご住所、電話番号等がわかるよう、ご手配下さい(このブログのコメント欄(非表示可)、当方フェイスブック等からでも)。
元々、当会顧問であらせられた故・北川太一先生が、昭和35年(1960)に筑摩書房さんの『高村光太郎全集』の補遺等を旨として始められ、その後、様々な「資料」を掲載、平成5年(1993)、36集まで不定期に発行されていたものです。平成24年(2012)から名跡を引き継がせていただき、現在は4月2日の光太郎忌日・連翹忌、10月5日の智恵子忌日・レモンの日に合わせて年2回発行しております。
今号の内容は、以下の通りです。
・「光太郎遺珠」から 第二十一回 「婦人」その1
筑摩書房の『高村光太郎全集』完結(平成11年=1999)後、新たに見つかり続けている光太郎文筆作品類を、テーマ、時期別にまとめている項目です。今号では「婦人」をキーワードに、明治から昭和戦前期のものをを集成しました。婦人雑誌に寄せた散文、婦人問題に大きく関わった広岡浅子に関する書簡、ミスコンの審査評座談会等です。
散文 美術家の眼より見たる婦人のスタイル 明治43年2月1日発行『婦人くらぶ』
光太郎の婦人雑誌への、確認出来ている限り最初の寄稿です。
書簡 大正8年(1919)1月16日 小橋三四子宛
雑纂 (日本の婦人の) 大正10年(1921)5月26日『読売新聞』散文 美術家の眼より見たる婦人のスタイル 明治43年2月1日発行『婦人くらぶ』
光太郎の婦人雑誌への、確認出来ている限り最初の寄稿です。
書簡 大正8年(1919)1月16日 小橋三四子宛
散文 帽子に応用したアイリツシユレース 大正13年4月1日『婦人之友』
座談 現代女性美を語る 各専門家の見た美人の標準 昭和4年8月7日『アサヒグラフ』
朝日新聞社主催で行われたミスコン「女性美代表審査会」の審査員による座談会。
光太郎以外に藤島武二、柳田国男、朝倉文夫、藤懸静也(美術史学者)、
杉田直樹(医学博士)、西成甫(にしせいほ)(解剖学者)、村山知義(劇作家)、
鏑木清方(画家)が審査員でした。
写真審査のみで実施され、最高点を獲得したのはのちに歌人となる齋藤史でした。
書簡 昭和15年(1940)1月12日 資生堂ビル内 花椿社 篠原眞男宛
資生堂さんのPR誌『花椿』に関わる書簡です。
・光太郎回想・訪問記 「雨ニモマケズ」の発見――モナミの賢治追悼会―― 永瀬清子
賢治が歿した翌年の昭和9年(1934)2月16日、光太郎も出席して新宿モナミで開催され、「雨ニモマケズ」が「発見」されたという宮沢賢治追悼会を中心とした回想文です。
・光雲談話筆記集成
和合の徳 『太元老僧懐古録』より
現在、花巻高村光太郎記念館さんで展示されている、光雲原型の懐中仏に関わります。高橋鳳雲の話
光雲の師匠・髙村東雲のさらに師匠、髙橋鳳雲について。
・昔の絵葉書で巡る光太郎紀行 第二十一回 那須温泉(栃木県)
大正14年(1925)9月、母・わかを喪った傷心を癒やすために訪れた那須温泉について。
・音楽・レコードに見る光太郎 第二十一回 ぼろぼろな駝鳥 橋本国彦
昭和8年(1933)、光太郎詩「ぼろぼろな駝鳥」に、作曲家の橋本国彦が曲を付けた歌曲について。・高村光太郎初出索引(年代順)
現在把握できている公表された光太郎文筆作品、挿画、装幀作品、題字揮毫等を、初出掲載誌によりソート・抽出し掲載しています。 掲載順は発表誌の最も古い号が発行された年月日順によります。以前は掲載紙タイトルの50音順での索引を掲載しましたが、年代順にソートし直して掲載しています。今号では大正4年(1915)から同9年(1920)までに初出があったものを掲載しました。
ご入用の方にはお頒けいたします(37集以降のバックナンバーもご希望があれば)。一金10,000円也をお支払いいただければ、年2回、永続的にお送りいたします(見本的にこの号のみ欲しいという方は、一金500円)。通信欄に「光太郎資料購読料」と明記の上、郵便局備え付けの「払込取扱票」にてお振り込み下さい。ATMから記号番号等の入力でご送金される場合は、漢字でフルネーム、ご住所、電話番号等がわかるよう、ご手配下さい(このブログのコメント欄(非表示可)、当方フェイスブック等からでも)。
ゆうちょ口座 00100-8-782139 加入者名 小山 弘明
他金融機関からの振り込み用口座番号 〇一九(ゼロイチキュウ)店(019)当座 0782139
よろしくお願い申し上げます。
【折々のことば・光太郎】
朝角川書店主来訪、「昭和文学全集」企画の由、承諾。ひる辞去。
『昭和文学全集』、翌年刊行の第22集が「高村光太郎集/萩原朔太郎集」、さらに昭和29年(1954)刊行の第47集は、100余名の詩を集めたアンソロジー「昭和詩集」で、光太郎が100余名の著作者代表としてクレジットされました。
よろしくお願い申し上げます。
【折々のことば・光太郎】
朝角川書店主来訪、「昭和文学全集」企画の由、承諾。ひる辞去。
昭和27年(1952)9月28日の日記より 光太郎70歳
『昭和文学全集』、翌年刊行の第22集が「高村光太郎集/萩原朔太郎集」、さらに昭和29年(1954)刊行の第47集は、100余名の詩を集めたアンソロジー「昭和詩集」で、光太郎が100余名の著作者代表としてクレジットされました。