昨日は、千葉県佐倉市に行っておりました。自宅兼事務所のある香取市から、車で高速を使って1時間弱、佐倉市立美術館さんがメインの目的地でした。

光太郎智恵子らに直接関わらないので、これまで紹介しませんでしたが、こちらでは、現在、「フランソワ・ポンポン展―動物を愛した彫刻家」が開催中です。同展、昨年から京都、名古屋、群馬と巡回し、こちらで四館め、さらに来月には山梨で開催予定です。

フランソワ・ポンポン展―動物を愛した彫刻家

期 日 : 2022年2月3日(木)~3月29日(火)
会 場 : 佐倉市立美術館 千葉県佐倉市新町210
時 間 : 午前10時~午後6時
休 館 : 月曜日(祝日の場合はその翌日)
料 金 : 一般800(640)円、大学・高校生600円(480)円、中・小学生400(320)円
      ( )内は前売り及び団体料金


19世紀末から20世紀初頭にフランスで活躍した彫刻家フランソワ・ポンポン(1855‐1933)。
ロダンのアトリエなどで下彫り職人として経験を積み、51歳で動物彫刻家に転向し、シンプルな形となめらかな表面をもつ 《シロクマ》や《フクロウ》、《ペリカン》などを生み出しました。
日本初の回顧展となる本展では、最初期の人物から洗練された最晩年の動物彫刻まで、旧ブルゴーニュ地方のディジョン美術館や出身地ソーリューのポンポン美術館、 また国内でポンポンの彫刻と資料を多数所蔵する群馬県立舘林美術館から彫刻、スケッチなど、約90点を出品します。
あわせて、ポンポンに影響を受けたとされる佐倉ゆかりの金工家・津田信夫(つだ・しのぶ 1875‐1946)の当館所蔵品もご紹介します。
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ポンポンは、解説にある通り、ロダンに師事した彫刻家で、ロダンの工房の長も務めた人物です。のちに独立し「アニマリエ」と呼ばれる動物彫刻家として名を馳せました。

光太郎のポンポン評。

 狂信的な「ぢか彫り」運動もやがて此が常識になると騒ぐのが滑稽になつて漸く退潮したが、その中から相当な作家と良い伝統とを残した功があつた。
 フランソワ ポンポン(François Pompon; 1855-)此好々爺は長年サロンに出品してゐたが六十七歳まで人に認められず、「ぢか彫り」運動の気運から一九二一年ベルナアルに推奨されて急に大家となつた動物彫刻家だ。此のブルゴオニユ出の半仙人は此技法を以前から実行して居り、異常な動物愛から鳥獣魚介に人間以上の崇高性と優美性とを与へる。細部を悉く棄てて量(ヴオリウム)だけで表現する。彼の巨大な「白熊」の悠久の美は人を全く新らしい世界に導く。「俺の彫刻は見るよりも撫でてくれ」といつでもいふ。今は光栄に囲まれてゐるが相変らず汚いアトリエでのんきに仕事してゐる。作品は無数。(「現代の彫刻」昭和8年=1933)


 一九三〇年となると、動物彫刻家のポンポンも、曾ての新人オルロフ夫人も、エルナンデエも、もう大家の列に並び、後からはもつと若い、まだ未来の分らない彫刻家が続出しては来るが、あらゆる昨日の尖端的な新運動も時がたつと却つてひどく古くさく、間ぬけになつて来て、今では人がむしろ折衷派に多く活路を見出してゐる状態である。(同)

ぢか彫り」は「ダイレクト・カーヴィング」。星取り機などを使わず、大理石や木といった素材を直接削ったり切ったりしていく制作方法です。西欧では一般的ではありませんでした。第一次大戦前後、急進派と目された一部の若手が、プリミティブなアフリカの民俗彫刻などからヒントを得、塑像技法(モデリング)を全く排除して展開しました。ポンポンもこの系統に連なるということですね。ただし、ポンポンは元々ロダンにモデリングを学びましたし、カーヴィングでなければ駄目、という立場ではありませんでした。実際、展示の中にポンポンの使った道具類の写真がありましたが、星取り機もありました。

また、平成29年(2017)、テレビ東京さん系列で放映された「美の巨人たち」で、代表作「シロクマ」が取り上げられましたが、その際、ポンポンが動物園に足繁く通い、スケッチを描く代わりに粘土を持参し、いわば立体スケッチを行っていたというくだりもありました。

さて、佐倉市立美術館さん。城下町佐倉市の旧市街的な一角にあり、大正時代に建てられた旧川崎銀行佐倉支店(千葉県指定有形文化財)の建物を使っています。いい活用法ですね。
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入ってすぐ、受付カウンターより前のエントランスホール的なところに、ポンポンのアトリエの写真。光太郎が「汚いアトリエ」と書いていた、それでしょうか(笑)。
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キャプションを見て、「ありゃま!」と思いました。
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「カンパーニュ=プルミエール通り3番地」。明治41年(1908)から翌年にかけ、光太郎は同じカンパーニュ=プルミエール通りの17番地にアトリエを構えていましたので、近くですね。ただ、ポンポンがこのアトリエをいつからいつまで使っていたのか、光太郎と同時期だったのか否か、当方、寡聞にして存じません。詳しい方、御教示いただけると幸いです。

昨日は、妻も見てみたいといっていたので連れて行きまして、2人分チケットを購入し、展覧会場へ。出品作品の大半は群馬県立館林美術館さんからの借りうけでした。
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当方、ポンポンの作品は、単体で見たことはあったものの、まとめて目にするのは初めてで(それもそのはず、今回の巡回展が日本初のポンポン展だそうで)、興味深く拝見させていただきました。


初期の人物塑像などもありましたが、やはりポンポンをポンポンたらしめた動物彫刻に、より目が行きました。先述の「美の巨人たち」の影響もありましたし。

特に代表作の「シロクマ」。

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オルセーにあるほぼ実物大のそれではなく、雛形的な小さなものでしたが、それでもいいものだと思いました。

「美の巨人たち」の受け売りですが、上半身は歩いていて方向転換する直前。シロクマは方向を転換する直前は立ち止まって、頭をふっと高く上げる習性があるそうで、その瞬間です。ところが下半身は、立ち止まった際には揃っているはずの後ろ脚をそう作らず、歩いている時の形で前後に開いています。しかし、それが不自然に見えません。ポンポンは、二つの瞬間を一つの彫刻に閉じこめた、というわけで、その方がよりシロクマの本質が表せる、とのこと。

「美の巨人たち」では、ポンポンの師・ロダンの「考える人」も、右の肘を左の膝に置くという、通常ではありえないポージングを採っていることに関連づけて紹介していました。あながち牽強付会とも言えないでしょう。

先述の光太郎評「「白熊」の悠久の美は人を全く新らしい世界に導く」というのもうなずけました。

ポンポンの作品以外に、参考出品という扱いで佐倉出身の鋳金家・津田信夫の作品が4点出ており、再び「ありゃま!」(笑)。津田は、光太郎実弟にして、家督相続を放棄した光太郎に代わって髙村家を嗣ぎ、鋳金分野の人間国宝となった豊周の師です。そして津田はポンポンからも影響を受けていたとのこと。そういえばそうだった、と、この件は忘れていました。

同展拝見後、近くの麻賀多神社さんへ。御朱印マニアの妻のためです(笑)。
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こちらは佐倉藩総鎮守だそうで。

花手水、最近、流行りですね。
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参拝後、妻が御朱印を書いていただいているのを待つ間、境内をぶらぶら。

そこで三たび「ありゃま!」(笑)。こんな石碑と案内板がありました。
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香取秀真。先述の津田信夫と並び、日本の鋳金分野の泰斗です。香取が佐倉に隣接する印西の出身というのは記憶していましたが、この神社の養子になったというのは存じませんでした。

さらに四度目の「ありゃま!」がありました(笑)。

駐めていた車に戻る途中、佐倉市立体育館さんの前に、銅像が。
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「誰だ? これ」と思って見てみると、「西村勝三翁像」。

戦時中に金属供出で失われてしまいましたが、明治39年(1906)、光太郎の父・光雲が、東京向島にあった西村家の別邸に西村の銅像を作っています。
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こちらの像の建立は昭和59年(1984)ということで、現代の作家のものですが、そういえば西村も佐倉出身だったっけ、というわけで「ありゃま!」した。

さて、「フランソワ・ポンポン展―動物を愛した彫刻家」。佐倉では3月29日(火)まで、その後、4月16日(土)から6月12日(日)まで甲府の山梨県立美術館さんに巡回です。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

ひる、照井欣平太氏、ハーモニカの人と同道来訪、立ち話、拓本を見る、

昭和27年(1952)7月6日の日記より 光太郎70歳

照井欣平太氏」は、花巻で椎茸栽培を大規模に行っていた農家。光太郎歿後の昭和35年(1960)には、光太郎からの書簡2通を拡大して刻んだ石碑を自宅農園敷地内に建立しました。当方、30年程前にお邪魔して碑を拝見し、お話を伺いました。

ハーモニカの人」は新井克輔氏。かつて連翹忌にご参加下さり、ハーモニカ演奏を披露いただくのが常でした。

お二人ともご存命なのかどうか……。