ZOOMによるオンライン講座です。

若松ゼミ◆詩の教室 言葉のかたち、かたちであるコトバ――高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』を読む

オンライン会議アプリzoomを使用したリモート講座が新しくできました!

ゼミという名のとおり、若松と参加者とが共に学びを深めて参ります。
名著を取り上げるのはもちろん、若松がどうしても取り上げてみたいマニアックな本、本だけに限らずにテーマ(詩、哲学)なども取り上げて、「読む」こと「書く」ことを深めていく講座です。
中には1年以上かけて、同じ本をじっくり学んでゆくような講座も予定しています。
少人数制の参加型ゼミ講座と、テキストを読み解いたりテーマ毎に講義を受けるグループ講座をご用意しています。
お好きなテーマ、参加スタイルを選んでご参加ください。

オンラインですので、遠方の方や直接教室にこられない方もご参加頂けます。
ご自身のなかにある、うちなる言葉に出会える講座です。
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 高村光太郎訳の『ロダンの言葉』は、ある時期、画家や彫刻家だけでなく、文学、音楽を含む世界においても、ある種の啓示の書として読まれました。彫刻という「かたち」のなかに潜むコトバを語るロダンに美と叡知の地平を指し示す羅針盤のようなものを感じたのです。
 今日、ロダンはすでに不朽の名を歴史に刻んでいますが、彼は多くの誤解と中傷を受けながら、自らの芸術を深化させてきました。この本には、かたちを変えた詩の極意が語られています。
 言葉を超えたコトバとどのような関係をつむぐことができるのか、ロダンの言葉に導かれながら、皆さんと考えてみたいと思います。 (講師:若松英輔)

【講座の種類】グループ講座(連続)
【最低催行人数】10名
【時間数】1時間40分(内休憩10分)
【受講料】4,400円(税込)
【課題】あり(+1,650円)・なしが選べます
【テキスト】高村光太郎訳 高田博厚編『ロダンの言葉抄』(岩波文庫)
【申込み期限】講座の前営業日9:00まで(コンビニ決済の方は、期限までにお支払いまでお済ませ下さい)
001※「読むと書く」会員様のみご参加頂けます。 会員証をお持ちでない方は、事前にアンケート・課題などがございますので、4営業日前までに初めての方はお申し込み下さい。

【日程】
 ■第一回 2022年3月30日(水)19:20-21:00

 ■第二回 2022年4月27日(水)19:20-21:00

 ■第三回 2022年5月25日(水)19:20-21:00


主宰は詩人の若松英輔氏。これまでに、NHKさんのラジオ講座で光太郎に触れてくださったり、評論集『詩と出会う 詩と生きる』(令和元年=2019 NHK出版)、詩集『美しいとき』などで、光太郎に触れてくださっています。

メインで取り上げられるのは、光太郎訳の『ロダンの言葉抄』。光太郎歿後の昭和35年(1960)、それぞれ光太郎に私淑した彫刻家の菊池一雄と高田博厚の共編で、岩波文庫の一冊として刊行されました。現在でも版を重ねているようです。

「抄」ではない元版『ロダンの言葉』は大正5年(1916)に北原白秋の実弟・北原鉄雄の阿蘭陀書房から、『続ロダンの言葉』は同9年(1920)に叢文閣から刊行されました。それぞれ、それまでに『白樺』などの雑誌に断続的に発表していたものをまとめたものです。のちに叢文閣では2冊セットの普及版も刊行しています。

光太郎実弟にして、鋳金分野の人間国宝となった豊周の『定本光太郎回想』から。

 この頃「ロダンの言葉」を訳しはじめたのは、兄にとっても、僕たちにとっても、今考えると全く画期的な大きな仕事だったと思う。
 雑誌にのった時は読まなかったけれど、本になってからは僕も繰返して愛読した。あの訳には実に苦心していて、ロダンの言葉を訳しながら兄の文体が出来上がっているようなところもあるし、芸術に対する考え方も決って来ているところが見え、また採用した訳語も的確で、「動勢」とか「返相」とか兄の造った言葉で今でも使われているものが沢山ある。そんな意味で、あれは兄には本当に大事な本だった。
 それだけに、他の学校は知らないが、上野の美術学校では、みなあの本を持っていて、クリスチャンの学生がバイブルを読むように、学生達に大きな強い感化を与えている。実際、バイブルを持つように若い学生は「ロダンの言葉」を抱えて歩いていた。その感化も表面的、技巧的ではなしに、もっと深いところで、彫刻のみならず、絵でも建築でも、あらゆる芸術に通ずるものの見方、芸術家の生き方の根本で人々の心を動かした。新芸術の洪水で何かを求めながら、もやもやとして掴めなかったものがあの本によって焦点を合わされ、はっきり見えて来て、「ははあ」と肯ずくことが一頁毎にある。ロダンという一人の優れた芸術家の言葉に導かれて、人々は自分の生を考える。そういう点で、あの本は芸術学生を益しただけでなく、深く人生そのものを考え、生きようとする多くの人々を益していると思われる。だからあの本の影響は思いがけないほど広く、まるで分野の違う人が、若い頃にあの本を読んだ感動を語っている。
 この本が、そんなに広く受入れられた原因の一つは、あの本の形式にもあるので、兄の読んだ種種な書物からの集積だから、自然にそうなったのだけれど、文章の区切りが大変短い。どんなに長くても数頁にしか渉らないから、読んでいて疲れないし、理解しやすい。この短かくて頭にはっきり全文が入るような形式が読者の感動をどんなに助けているかわからない。ことに本を読む習慣の少なかった美術学生にとって、これは有難かった。

若い学生」には、佐藤忠良、舟越保武、本郷新といった、光太郎のDNAを受け継ぐ彫刻家も含まれ、実際、彼らもその影響の大きさを語っています。佐藤と舟越の対談から。

佐藤 『ロダンの言葉』というのは君も聖書のようにして読んだし、僕も同じだったね。高村さんにあれだけの翻訳が出来たというのは、当時高村さんがいい仕事をしてたから深く読み、訳せた証拠だと思う。
舟越 そうだろうな。
佐藤 本郷さんも老人の漁夫を作ったり青年を作ったりあたりはいい文章を書いている。君もそうだと思うけど、『ロダンの言葉』を興奮して読んだわけだけど、自分が仕事を積み重ねて幾らかでも成長してから読んでみると、学生の時とはまったく違うところに感動していたりする。学生時代に読み過ごしていたところに本当の意味があった、ということがわかって、そこで、ああ、高村さんはやっぱりいい仕事してた時なんだな、と思えてくる。
(『対談 彫刻家の眼』昭和58年=1983 講談社)


さて、その『ロダンの言葉』を、若松氏がどのように評するのか、興味深いところです。ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

哲夫さんキチジといふ魚持参、ビール1本のむ、


昭和27年(1952)7月24日の日記より 光太郎70歳

哲夫さん」は、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの村人、「キチジ」は主にオホーツク海などで獲れる魚です。調理法が書かれていませんが、刺身、或いは焼き魚にして一杯、というのもいい感じだったでしょう。
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