東日本大震災で甚大な被害を受けた光太郎ゆかりの宮城県女川町に、光太郎文学碑の精神を受け継いで建てられた「いのちの石碑」関連、昨日でいったん終わるつもりでしたが、3.11当日の昨日も関連報道がありまして、予定を変更してそちらをご紹介します。

まず、『新潟日報』さん。

[座標軸]いのちの石碑 千年後のために伝えたい

 波は、こんなに高い場所にまで届くものなのか。
 11年前の東日本大震災で15メートルもの大津波にのまれた宮城県女川町を昨年3月、歩いた。
 震災直後に中学生になった女川町の子どもたちが「千年先の人々の命を守りたい」と発案して募金を集め建立した「女川いのちの石碑」を巡るためだ。
 碑は町内に21ある浜で津波到達地点より上に建てる計画で、訪れた時には20基が設置されていた。
 高台にある碑にはそれぞれ、異なる句が刻んであった。
 〈ただいまと/聞きたい声が/聞こえない〉〈逢いたくて/でも会えなくて/逢いたくて〉
 奪われた命への悲しさ、悔しさを胸に詠んだものなのだろう。
 碑の前で震災の日を頭に描こうとしたが、石碑から臨む海はどこも思っていた以上に遠く、静かで、なかなか像を結ばなかった。
 緊迫したあの日を想起させたのは、全ての碑に共通して刻まれていた避難を迫る一文だ。
 「大きな地震が起きたら、この石碑より上へ逃げてください。逃げない人がいても、無理矢理にでも連れ出してください。家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください」
 計画の最後となる21基目の碑は昨年11月に完成した。そこには、〈夢だけは/壊せなかった/大震災〉と、8年前に設置された1基目の碑と同じ句が刻まれた。
 千年先の命を守る。その夢は、あの日の教訓を永遠に伝え継ぐことで実現させたい。

続いて、兵庫県を放送対象地域とするラジオ関西さん。

《東日本大震災11年》「月のスマイル~夢だけは 壊せなかった 大震災」 手作り絵はがきに込めたぬくもりと愛の書

 東日本大震災から11年。1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災を経験した元教師が、自ら描いた「月のスマイル」の挿絵に書とコラボレーションした絵はがきを作成、その売り上げを被災地の復興支援活動に寄付する。
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 大阪教育大学附属特別支援学校(旧・大阪教育大学附属養護学校)の教諭として31年間勤務した大島昇さん(71・大阪市大正区)は、20年ほど前に書家・川合翠石さん(49・大阪市阿倍野区)と出会う。
 川合さんは書家・榊莫山さんの晩年の弟子。近畿大学文芸学部芸術学科を卒業し、奈良教育大学大学院修士課程を修了。
 川合さんの一筆一筆の癒しの書は、素朴な画にフレーズを添える独自の書の世界を開き、親しみやすさと柔らかい語り口で多くのメディアに登場、「バクザン先生」と親しまれた榊莫山さんを思わせる。
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 「大島さんの月のスマイルには、優しさが一枚一枚にこもっている」と話す川合さんは、その絵に合う素朴な言葉を書で表現している。
 温かみのある絵に文字が加わることで、大きなメッセージになる。時に勇気づけ、時に和ませる。東日本大震災への思いを忘れないためにも、20年近くの親交のある、川合さんに書と絵画のコラボ絵はがきを作ることを提案、快諾を得て作成した。
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 書の世界は、従来の古典的なものから素朴なものまで幅広く、このようなスタイルは公募展ならば規定外、型破りとされるが、川合さんは墨の濃淡も考えながら、一枚一枚に優しさを込めた書を添えた。こうした取り組みは「大島さんとでなければ、出来なかった企画だった」と話す。
 やり直しが効かない直筆でのコラボレーション。楽しみながらコラボは続く。
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 大島さんは阪神・淡路大震災の被災地、兵庫県西宮市内の重度障がい者福祉施設の避難所へ、毎週末にカートやリュックに水や菓子などを詰め込んで届けた。その施設では、大島さんの恩師の小児科ドクターが泊まり込んでいた。そこで「この震災の記憶を決して忘れないようにしないとね」と話していたことが忘れられないという。
 その言葉を胸に、自分自身で何かできることはないかと思いついたのが、「月のスマイル」を描くことだった。鎮魂の祈りを込めて、1日1枚のペースで阪神・淡路大震災の犠牲者の数と同じ6434枚を、10センチ四方の和紙に約10年で描きあげた。
 大島さんが定年退職を控えた2011年3月11日に東日本大震災が起きた。退職後にボランティアの誘いを受けた宮城県石巻市の学校での炊き出しに出向いた。避難所となった施設での炊き出しを通して、被災地で懸命に生きる人々の姿を見て逆にエネルギーをもらったと振り返る。
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 そして阪神・淡路大震災と同様に、東日本大震災も忘れまいと自分の心に留め、「月のスマイル」の絵はがきを描いた。犠牲者、行方不明者(※)を上回る計1万9000人分を描き上げたのが2019年の夏だった。
 しかし、新型コロナウイルスの猛威は被災地と大島さんとの距離を遠ざけた。震災から9年経った2020年以降は、訪れることができなくなり、震災10年を迎えた昨年、宮城県女川町の支援学校や小、中学校、福祉事業所、「つながる図書館」などに、「月のスマイル」の絵はがきすべてを寄贈した。
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 大島さんは「関西から『忘れないよ!』というメッセージを送りたい、この絵と書を見てほっこりしてもらえたら」その一心だった。
 作成にあたり、印刷以外は専門業者を介さず、一からの手作り。絵はがき用に書きあげた百数十枚の作品の中から、川合さんと選んだ。そして昨年秋に1万5000枚(15枚組×1000セット)が完成した。
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 大島さんが震災直後に訪れた宮城県女川町では2013年11月に「女川いのちの石碑プロジェクト」がスタート。その最後となる21基目の石碑除幕式(2021年11月)に合わせて、コラボ絵はがきを届けることができた。
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 絵はがきは大島さん・川合さんらの友人や知人の購入協力で多くのカンパとなり、増刷もできた。ささやかな取り組みが実を結んでゆく。大島さんは「心温かい方々との良き出逢いと協力に、心から感謝するとともに、これからも活動を継続していきたい」と話す。
 震災から11年を迎え、大島さんらは多くの人に「月のスマイル」の絵はがきを手に取ってもらえるようになってもらいたいとの思いから、その売り上げを「頒布協力金」の収益として、「女川いのちの石碑プロジェクト」をはじめ支援学校や福祉事業所などに贈るという。

 ※2021年3月11日の震災10年を前に公表した警察庁の統計では死者1万5899人、行方不明者2526人 計1万8425人
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  【東日本大震災・チャリティー絵はがき「月のスマイル」】

〇金額 1セット15枚組・1500円で頒布(税込み金額 ※送料は別途必要) 
〇申し込み方法 希望セット数と送付先を nobo224@amigo.zaq.jp(大島昇さん)まで。折り返し、ゆうちょ銀行の払込用紙「いのちの石碑プロジェクト応援し隊」振込用紙を送付する。
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中越地震が起こった新潟、阪神・淡路大震災に見舞われた兵庫、やはりそれぞれ大地震の被災地ということで、東日本大震災で大きな被害を受けた地域へのシンパシーが深いのでしょう。他の地域の方々が冷たい、というわけではないのですが。

昨日もご紹介しました通り、今上陛下も高いご関心を寄せられている活動ですが、まだまだ全国的な認知度はそう高くないと思われます。また何か動きがありましたら、ご紹介します。

【折々のことば・光太郎】

快晴、 朝薬師堂に参詣、小杉未醒作の薬師を見る、 蔦沼にゆく。 九時過車にて一同オイラセをさかのほり、子の口に至る、モニユマン建設地点を見る、 宇樽部に来り、東湖館入、 後小憩後舟にて十和田湖を一周、東湖館に帰着、夜談話、 (宇樽部泊)

昭和27年6月17日の日記より 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のための下見です。

子の口」は、十和田湖から奥入瀬川が流れ出す地点。元々、像はここに建設予定でした。その後、横槍が入り、現在の休屋地区に変更になっています。「宇樽部」は、子の口と休屋の中間の集落。「東湖館」についてはこちら。この夜、関係者一同の前で、モニュメント制作を引き受けることを公言、さらにプライベートで「智恵子を作ろう」と呟いたと云います。