一昨日、昨日と1泊2日で、光太郎第二の故郷とも云うべき、岩手花巻に行っておりました。
メインの目的は、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「第二弾・高村光太郎の父・光雲の鈿女命(うずめのみこと) 受け継がれた「形」」の拝見、及び、その関連行事として当初予定されていた当方の講座が、コロナ禍のためリモート配信ということになり、その収録のためでした。
今回は妻を連れて参りました。同居していた妻の母が昨年暮れに亡くなり、それまで数年間、介護で大変だったので、その慰労を兼ねて、ゆっくり温泉に浸かってもらおうということで。
1日目、3月5日(土)。正午近くに東北新幹線新花巻駅に到着。まったく雪もなく、拍子抜けでした。レンタカーを借り、市街地へ。昼食はマルカン大食堂さんでいただきました。マルカンさんの1階で、以前にご紹介した、光太郎にも触れられているという泉沢善雄氏著『わんこそば : その歴史と文化』を販売しているそうなので、そちらにしたわけです。ところが、同書、残念ながら売り切れ。
それなら、と、行ってみた、やはり同書を販売しているという近くの「賢治の広場」さんにも行ってみましたが、そちらでも完売とのこと。すると、驚いたことに、たまたま「賢治の広場」さんに泉沢氏ご本人がいらっしゃり、お話をさせていただきました。元々そんなに売れると思わず、少部数しか作らなかったと言うようなお話、それから、国会図書館さんに納めたとおっしゃるので、そちらで見て欲しい的な。千葉の自宅兼事務所に帰ってから調べましたところ、確かに国会図書館さんに納本されていました。近いうちに拝見に行こうと思います。
その後、御朱印マニアでもある妻のため、2箇所の社寺を廻りました。
まず、在来線東北本線花巻駅近くの花巻神社さん。
つづいて、石神町の身照寺さん。
こちらは宮澤賢治の菩提寺です。
御朱印を書いていただいている間、賢治の墓と、宮沢家のそれとにお参り。気持としては光太郎の代参のつもりで。光太郎を花巻に招いた政次郎(賢治の父)に、「ありがとうございました」的な。
この頃から、雨が降り始めました。宿泊した大沢温泉山水閣さんに着き、そのまま雨か、と思っていたら雪に変わり、翌朝は……。
15㌢ぐらいは積もっていました。
この日、午前中は妻と別行動。
妻は観光タクシー「どんぐりとやまねこ号」(正確に言うと、午前コースの「どんぐり号」)。
通常は、上記動画にあるようなクラシックカーなのですが、この日は大雪のため、ごく普通のワゴン車だったそうです。普段の車輌は積雪が多いと賢治記念館さんへの急な坂が登れないとのことで。勧めた当方としても、ちょっとがっかりでした。
当方は、レンタカーで花巻高村光太郎記念館さんへ。途中、風も強く、ところどころで地吹雪でした。
さらに最近寄贈された、鋳造の懐中仏「准胝(じゅんてい)観音像」。
元々、都内文京区の金龍山大圓寺さんに納められた、光雲とその高弟の山本瑞雲、三木宗策の手になる観音像(戦災で焼失)の胎内仏として作られたものの鋳造コピーで、寄進者や檀家に配られたものです。そのあたりの経緯を記した『仰高』という書籍、焼け残った胎内仏の写真が掲載された『木彫 髙村光雲』(光雲令孫の故・髙村規氏撮影の写真集)をお貸しし、一緒に展示していただきました。
最近寄贈された、光太郎の葉書と関係資料。
それから、光雲の師匠・髙村東雲の孫にして、光雲に手ほどきを受けた晴雲改め三代東雲作の聖観音像。この地で蟄居生活を送っていた光太郎に贈られたものです。
こちらは十数年ぶりに拝見。箱書きは初見でした。
同様に、光雲の系譜ということで、花巻出身で山本瑞雲に師事した佐藤瑞圭などに関するパネル展示。
光太郎も足を運んだ清水寺さんに瑞圭の作が複数納められていて、市の方に調べていただきました。
光雲が主任となり、東京美術学校として制作を請け負った、上野公園の西郷隆盛像、皇居前広場の楠木正成像を描いた錦絵。こちらも当方からの貸与品です。
この展示室内で、リモート配信用の当方の講座を収録しました。約1時間、光雲や東雲、その系譜、光太郎と花巻といった話を思いつくままにだらだらと(笑)。当方、各種市民講座等で場数は踏んでいますので、そうやって喋るのにはあまり抵抗はないのですが、さりとて自信があるという訳でもなく、毎回、あんなのでよかったのかな、と思います(笑)。編集後、花巻市さんの方で配信予定です。
記念館さんに着いた頃はそんなでもなかったのですが、収録終了後、外に出ますと猛吹雪でした。
ホワイトアウトに近い場所もあり、レンタカーを慎重に運転しつつ、新花巻駅へ。「どんぐり号」で高村山荘、光太郎記念館(妻が来た時には当方がべしゃくっていた真っ最中だったそうで)、賢治記念館を廻っていた妻と合流し、昼食を摂って帰途に就きました。
企画展「第二弾・高村光太郎の父・光雲の鈿女命(うずめのみこと) 受け継がれた「形」」、5月15日(日)までと、長めの設定です。コロナ感染には十分お気をつけつつ、ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
花巻駅より大沢温泉行、山水閣に泊る、新緑美しく、温泉浴心地よし、 マツサージ、よく休む、
生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のための下見と云うことで、翌週から5泊6日で十和田湖方面に出かけます。そのための鋭気を養う目的もあったのでしょうか、大沢温泉さんに1泊しました。
メインの目的は、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「第二弾・高村光太郎の父・光雲の鈿女命(うずめのみこと) 受け継がれた「形」」の拝見、及び、その関連行事として当初予定されていた当方の講座が、コロナ禍のためリモート配信ということになり、その収録のためでした。
今回は妻を連れて参りました。同居していた妻の母が昨年暮れに亡くなり、それまで数年間、介護で大変だったので、その慰労を兼ねて、ゆっくり温泉に浸かってもらおうということで。
1日目、3月5日(土)。正午近くに東北新幹線新花巻駅に到着。まったく雪もなく、拍子抜けでした。レンタカーを借り、市街地へ。昼食はマルカン大食堂さんでいただきました。マルカンさんの1階で、以前にご紹介した、光太郎にも触れられているという泉沢善雄氏著『わんこそば : その歴史と文化』を販売しているそうなので、そちらにしたわけです。ところが、同書、残念ながら売り切れ。
それなら、と、行ってみた、やはり同書を販売しているという近くの「賢治の広場」さんにも行ってみましたが、そちらでも完売とのこと。すると、驚いたことに、たまたま「賢治の広場」さんに泉沢氏ご本人がいらっしゃり、お話をさせていただきました。元々そんなに売れると思わず、少部数しか作らなかったと言うようなお話、それから、国会図書館さんに納めたとおっしゃるので、そちらで見て欲しい的な。千葉の自宅兼事務所に帰ってから調べましたところ、確かに国会図書館さんに納本されていました。近いうちに拝見に行こうと思います。
その後、御朱印マニアでもある妻のため、2箇所の社寺を廻りました。
まず、在来線東北本線花巻駅近くの花巻神社さん。
つづいて、石神町の身照寺さん。
こちらは宮澤賢治の菩提寺です。
御朱印を書いていただいている間、賢治の墓と、宮沢家のそれとにお参り。気持としては光太郎の代参のつもりで。光太郎を花巻に招いた政次郎(賢治の父)に、「ありがとうございました」的な。
この頃から、雨が降り始めました。宿泊した大沢温泉山水閣さんに着き、そのまま雨か、と思っていたら雪に変わり、翌朝は……。
15㌢ぐらいは積もっていました。
この日、午前中は妻と別行動。
妻は観光タクシー「どんぐりとやまねこ号」(正確に言うと、午前コースの「どんぐり号」)。
通常は、上記動画にあるようなクラシックカーなのですが、この日は大雪のため、ごく普通のワゴン車だったそうです。普段の車輌は積雪が多いと賢治記念館さんへの急な坂が登れないとのことで。勧めた当方としても、ちょっとがっかりでした。
当方は、レンタカーで花巻高村光太郎記念館さんへ。途中、風も強く、ところどころで地吹雪でした。
隣接する高村山荘。光太郎が戦後の七年間、蟄居生活を送った山小屋です。
光雲四男にして光太郎実弟、藤岡家に養子に行った植物学者・藤岡孟彦が光雲の形見分けとして受け継いだものです。一昨年にも展示されましたが、そちらが短期間だったと言うこともあり、今回、期間を長めに設定しての再展示。ただ、一昨年には展示された光太郎箱書き揮毫の共箱は、今回は出品されていませんでした。さらに最近寄贈された、鋳造の懐中仏「准胝(じゅんてい)観音像」。
元々、都内文京区の金龍山大圓寺さんに納められた、光雲とその高弟の山本瑞雲、三木宗策の手になる観音像(戦災で焼失)の胎内仏として作られたものの鋳造コピーで、寄進者や檀家に配られたものです。そのあたりの経緯を記した『仰高』という書籍、焼け残った胎内仏の写真が掲載された『木彫 髙村光雲』(光雲令孫の故・髙村規氏撮影の写真集)をお貸しし、一緒に展示していただきました。
最近寄贈された、光太郎の葉書と関係資料。
それから、光雲の師匠・髙村東雲の孫にして、光雲に手ほどきを受けた晴雲改め三代東雲作の聖観音像。この地で蟄居生活を送っていた光太郎に贈られたものです。
こちらは十数年ぶりに拝見。箱書きは初見でした。
同様に、光雲の系譜ということで、花巻出身で山本瑞雲に師事した佐藤瑞圭などに関するパネル展示。
光太郎も足を運んだ清水寺さんに瑞圭の作が複数納められていて、市の方に調べていただきました。
光雲が主任となり、東京美術学校として制作を請け負った、上野公園の西郷隆盛像、皇居前広場の楠木正成像を描いた錦絵。こちらも当方からの貸与品です。
この展示室内で、リモート配信用の当方の講座を収録しました。約1時間、光雲や東雲、その系譜、光太郎と花巻といった話を思いつくままにだらだらと(笑)。当方、各種市民講座等で場数は踏んでいますので、そうやって喋るのにはあまり抵抗はないのですが、さりとて自信があるという訳でもなく、毎回、あんなのでよかったのかな、と思います(笑)。編集後、花巻市さんの方で配信予定です。
記念館さんに着いた頃はそんなでもなかったのですが、収録終了後、外に出ますと猛吹雪でした。
ホワイトアウトに近い場所もあり、レンタカーを慎重に運転しつつ、新花巻駅へ。「どんぐり号」で高村山荘、光太郎記念館(妻が来た時には当方がべしゃくっていた真っ最中だったそうで)、賢治記念館を廻っていた妻と合流し、昼食を摂って帰途に就きました。
企画展「第二弾・高村光太郎の父・光雲の鈿女命(うずめのみこと) 受け継がれた「形」」、5月15日(日)までと、長めの設定です。コロナ感染には十分お気をつけつつ、ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
花巻駅より大沢温泉行、山水閣に泊る、新緑美しく、温泉浴心地よし、 マツサージ、よく休む、
昭和27年(1952)6月10日の日記より 光太郎70歳
生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のための下見と云うことで、翌週から5泊6日で十和田湖方面に出かけます。そのための鋭気を養う目的もあったのでしょうか、大沢温泉さんに1泊しました。