山口県で発行されている地方紙『長周新聞』さんに載った、東京大学大学院農学生命科学研究科教授・鈴木宣弘氏の寄稿。

【緊急寄稿】日本は独立国たりえているか―ウクライナ危機が突きつける食料問題

001食料争奪戦を激化させるウクライナ危機
 ウクライナ危機が勃発し、小麦をはじめとする穀物価格、原油価格、化学肥料の原料価格などの高騰が増幅され、最近、顕著になってきた食料やその生産資材の調達への不安に拍車をかけている。
 最近顕著になってきたのは、中国などの新興国の食料需要の想定以上の伸びである。コロナ禍からの中国経済回復による需要増だけではとても説明できない。例えば、中国はすでに大豆を1億300万トン輸入しているが、日本が大豆消費量の94%を輸入しているとはいえ、中国の「端数」の300万トンだ。
 中国がもう少し買うと言えば、輸出国は日本に大豆を売ってくれなくなるかもしれない。今や、中国などのほうが高い価格で大量に買う力がある。現に、輸入大豆価格と国産価格とは接近してきている。コンテナ船も日本経由を敬遠しつつあり、日本に運んでもらうための海上運賃が高騰している。日本はすでに「買い負け」ている。化学肥料原料のリン酸、カリウムが100%輸入依存で、その調達も困難になりつつある。
 一方、「異常」気象が「通常」気象になり、世界的に供給が不安定さを増しており、需給ひっ迫要因が高まって価格が上がりやすくなっている。原油高がその代替品となる穀物のバイオ燃料需要も押し上げ、暴騰を増幅する。国際紛争などの不測の事態は、一気に事態を悪化させるが、ウクライナ危機で今まさにそれが起こってしまった。

輸入前提の「経済安全保障」は危機感の欠如
 お金を出しても買えない事態が現実化している中で、お金で買えることを前提にした「経済安全保障」を議論している場合ではない。貿易自由化を進めて食料は輸入に頼るのが「経済安全保障」かのような議論には、根幹となる長期的・総合的視点が欠落している。
 国内の食料生産を維持することは、短期的には輸入農産物より高コストであっても、「お金を出しても食料が買えない」不測の事態のコストを考慮すれば、実は、国内生産を維持するほうが長期的なコストは低いのである。

日本は独立国と言えるのか
 「食料を自給できない人たちは奴隷である」とホセ・マルティ(キューバの著作家、革命家。1853 – 1895年)は述べ、高村光太郎は「食うものだけは自給したい。個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」と言った。
 はたして、2020年度の食料自給率が37.17%(カロリーベース)と、1965年の統計開始以降の最低を更新した日本は独立国といえるのかが今こそ問われている。不測の事態に国民を守れるかどうかが独立国の使命である。
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すずき・のぶひろ 1958年三重県生まれ。東京大学農学部卒業。農学博士。農林水産省、九州大学教授を経て、2006年より東京大学大学院農学生命科学研究科教授。専門は農業経済学。日韓、日チリ、日モンゴル、日中韓、日コロンビアFTA産官学共同研究会委員などを歴任。『岩盤規制の大義』(農文協)、『悪夢の食卓 TPP批准・農協解体がもたらす未来』(KADOKAWA)、『亡国の漁業権開放 資源・地域・国境の崩壊』(筑波書房ブックレット・暮らしのなかの食と農)、『農業消滅』(平凡社新書)など著書多数。

ロシアによるウクライナ侵攻は、言語道断としか云いようのない蛮行・愚挙ですが、遠い国の出来事と片付ける訳にはいきません。かつてわが国も傀儡国家満州国の建国をはじめ、周辺諸国に同様の行為を行い、「皇民化教育」などとほざいていたのですから。

そして、鈴木教授も指摘するように、じわじわと現在の我々の生活にも影響が及んできています。当方のように自家用車での移動が欠かせない田舎に住んでいますと、このところの原油高は実に困ります。さらにそれが進む可能性もあるわけで……。そして鈴木教授がメインで訴える食糧自給の問題……。不耕貪食の生活を送っている当方には、実に耳の痛い話ですが……。

1011引用されている光太郎の言葉「食うものだけは自給したい。個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」は、最晩年の詩「開拓十周年」(昭和30年=1955)の一節です。全文はこちら

光太郎、この詩を書いた時点ではもはや病床に就いていて、農耕は出来なくなっていましたが、昭和21年(1946)からの7年間は、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋で、狭いながらも畑を耕し、野菜類はほぼ自給していた光太郎の言葉だけに、重みがありますね。

ちなみに鈴木教授、同じ『長周新聞』さんに昨年寄稿なさった「 日本の食と農が危ない!―私たちの未来は守れるのか」という記事でも、同じ一節を引用されています。

ウクライナ問題、原油高や食料輸入のからみだけでなく、人道的に許されざる問題であることは、論を待ちません。一刻も早い、平和裡の解決を望みます。

【折々のことば・光太郎】

今週はじめてカツコーの声、ツツドリの声、セミの声をきく、夜ヨタカの声をきく、

昭和27年(1952)5月24日の日記から 光太郎70歳

当方は今朝、今年初めてウグイスの声を聞きました。鳴き始めの頃はまだうまく「ホーホケキョ」と鳴けず、変な鳴き方になっているのが笑えます。