今年も3.11が近づいて参りました。そこで、仙台に本社を置く『河北新報』さん主催のオンラインイベントです。
「女川いのちの石碑」女川1000年後のいのちを守る会 有志
1000年先の命を津波から守ろうという目的で、震災直後に女川一中(現女川中)に入学した生徒たちが石碑の建立を発案。2013年11月に1基目を設置、2021年11月には目標の21基目を設置完了。津波到達地点より高い場所にあり、地震が来たら石碑より高い所へ逃げるようメッセージが記されている。
当ブログでしばしば取り上げさせていただいている、宮城県女川町の「いのちの石碑」を建て続けてきた「女川1000年後のいのちを守る会」有志の皆さんがご出演。「いのちの石碑」は、東日本大震災の後、当時の中学生たちが考案した、津波到達地点より高い場所のランドマークとして、同じ女川町の光太郎文学碑に倣い、設置費用全額を募金で集め、建てられ続けたものです。昨秋には当初予定の全21基が完成しています。
昨年は10年の節目ということで、3.11関連、メディア等で大きく取り上げられました。今年以降、記憶の風化との戦いとなるかと思いますが、精一杯の抵抗をしていこうではありませんか、と思います。
案内にもありますが、ライブ配信、そして今月後半には編集されたもののアーカイブ配信もあるそうですので、ぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
一時半公民館にて賢治子供の会の童話劇を見る、四時過ぎ終り、写真撮影後タキシにて小屋にかへる、
「賢治子供の会」は、宮沢賢治記念館の初代館長も務められた故・照井謹二郎氏が昭和22年(1947)に立ち上げ、第一回公演は光太郎の山小屋前の野外で行われました。以後、花巻町や太田村で光太郎の指導を仰ぎながら、賢治の童話を上演し続けました。会の命名も光太郎とのこと。
「写真撮影」、下記の写真です。
この年10月、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京する光太郎にとって、最後の「賢治子供の会」観劇でした。
期 日 : 2022年3月11日(金)
時 間 : 19:00~20:30
料 金 : 無料
ライブ配信の視聴方法
当日この特設WEBページに動画配信スペースを設けますので、このページから視聴できます。 時間になりましたら、スマートフォンやパソコン、タブレットなどからこちらのページを表示してください。 こちらのページを表示しやすいように、ブックマークなどにご登録いただくことをおすすめいたします。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、総合的に判断し、今年もオンラインで開催します。どこからでも、どなたでも視聴できますので、皆さまぜひご参加ください!
ライブ配信の視聴方法
当日この特設WEBページに動画配信スペースを設けますので、このページから視聴できます。 時間になりましたら、スマートフォンやパソコン、タブレットなどからこちらのページを表示してください。 こちらのページを表示しやすいように、ブックマークなどにご登録いただくことをおすすめいたします。
3月11日イベント当日に配信した映像を一部編集し、3月後半からアーカイブ配信を実施します。ぜひそちらもご覧ください。
トークイベントホスト
声優 山寺宏一 さん1961年6月17日生まれ。宮城県塩釜市出身。1985年声優デビュー。アニメ、洋画、ラジオ、ナレーションなど声に関するあらゆるジャンルで活躍中。3.11大震災直後から、復興支援や募金活動に参画。例年「3.11メモリアルイベント」に出演。
トークゲスト
トークゲスト
音楽家 かの香織さん
1991年、ソニーミュージックエンタテインメントよりソロデビュー。東日本大震災で被災し統合・閉校となった校歌を高品質のデジタル音源で100年以上先の未来へ伝えるための「校歌復刻保存プロジェクト」を進行中。これまで県内6校歌をデジタル化。
1991年、ソニーミュージックエンタテインメントよりソロデビュー。東日本大震災で被災し統合・閉校となった校歌を高品質のデジタル音源で100年以上先の未来へ伝えるための「校歌復刻保存プロジェクト」を進行中。これまで県内6校歌をデジタル化。
プロレスラー 新崎人生さん
徳島県出身。1993年、みちのくプロレスでデビュー。お遍路さんのスタイルと、リング内外で言葉を発しないという特異なキャラクターで一躍注目を集める。被災地を巡ってプロレス披露やラーメンを振る舞うなど、復興活動に尽力。現在はコロナ禍で苦しむ中小企業などを支援。
徳島県出身。1993年、みちのくプロレスでデビュー。お遍路さんのスタイルと、リング内外で言葉を発しないという特異なキャラクターで一躍注目を集める。被災地を巡ってプロレス披露やラーメンを振る舞うなど、復興活動に尽力。現在はコロナ禍で苦しむ中小企業などを支援。
「女川いのちの石碑」女川1000年後のいのちを守る会 有志
1000年先の命を津波から守ろうという目的で、震災直後に女川一中(現女川中)に入学した生徒たちが石碑の建立を発案。2013年11月に1基目を設置、2021年11月には目標の21基目を設置完了。津波到達地点より高い場所にあり、地震が来たら石碑より高い所へ逃げるようメッセージが記されている。
当ブログでしばしば取り上げさせていただいている、宮城県女川町の「いのちの石碑」を建て続けてきた「女川1000年後のいのちを守る会」有志の皆さんがご出演。「いのちの石碑」は、東日本大震災の後、当時の中学生たちが考案した、津波到達地点より高い場所のランドマークとして、同じ女川町の光太郎文学碑に倣い、設置費用全額を募金で集め、建てられ続けたものです。昨秋には当初予定の全21基が完成しています。
昨年は10年の節目ということで、3.11関連、メディア等で大きく取り上げられました。今年以降、記憶の風化との戦いとなるかと思いますが、精一杯の抵抗をしていこうではありませんか、と思います。
案内にもありますが、ライブ配信、そして今月後半には編集されたもののアーカイブ配信もあるそうですので、ぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
一時半公民館にて賢治子供の会の童話劇を見る、四時過ぎ終り、写真撮影後タキシにて小屋にかへる、
昭和27年(1952)5月24日の日記より 光太郎70歳
「賢治子供の会」は、宮沢賢治記念館の初代館長も務められた故・照井謹二郎氏が昭和22年(1947)に立ち上げ、第一回公演は光太郎の山小屋前の野外で行われました。以後、花巻町や太田村で光太郎の指導を仰ぎながら、賢治の童話を上演し続けました。会の命名も光太郎とのこと。
「写真撮影」、下記の写真です。
この年10月、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京する光太郎にとって、最後の「賢治子供の会」観劇でした。