昨日の『毎日新聞』さんから。
毎日書道顕彰に輝いた前回の個展は「書の美の本質を求めて」がテーマだった。誠に気宇壮大な試みだったが、書への熱い思いは静かに心の中で流れ続けていたようだ。古希を記念した今回展も「書人が書いておかなければならない」言葉に向かっての真正面からのチャレンジとなった。
ベートーベンの第9交響曲「合唱」で歌われるシラーの詩、白居易「長恨歌」、高村光太郎「牛」、李白「望廬山瀑布」、聖徳太子「十七条憲法」、空海「性霊集」、諸葛孔明「出師表」、「魏志倭人伝」……古今東西のよく知られた言葉を大紙面に刻んでいる。篆(てん)・隷・楷・行・草の五体を駆使し、書の魅力をまるごと味わってみようとばかりに体力の限界に向かってギリギリまで書き進めていった作品が並ぶ。渾身(こんしん)の力で筆を動かす書人の姿を連想しながら、豊穣(ほうじょう)な言葉とぜひ、対峙(たいじ)したい。
午前10時~午後6時(最終日は午後4時まで)。入場無料。
北野攝山(きたの・せつざん)氏 1951年、大阪市生まれ。花園大学文学部国文科卒。森本龍石さん、近藤攝南さんに師事。80年、第1回個展(高麗橋画廊)。86年、第38回毎日書道展会長賞。91年、太源書道会を設立、代表理事に就任。2007年、第5回北野攝山書展―書の美の本質を求めて―。08年、毎日書道顕彰(啓蒙<けいもう>部門)。11年、毎日書道会評議員。書団響を結成し理事長就任。14年、毎日書道会総務。22年、古稀 北野攝山書道展。
というわけで、書家の方の個展です。
白居易「長恨歌」。
追記:そして、「牛」。
なるほど、記事にある「篆(てん)・隷・楷・行・草の五体を駆使し」という片鱗がこれだけでも見えますね。
ご興味のある方、コロナ感染には十分お気をつけつつ、ぜひ足をお運びください。。
【折々のことば・光太郎】
盛岡より朗読青年来り、照井栄三についての原稿を求めらる、二枚書き渡す、廿五日が命日の由、
「照井栄三」は「瓔三」とも表記します。盛岡出身の声楽家・朗読家で、戦前、戦時中にはラジオで光太郎詩の朗読にもあたりました。昭和20年(1945)5月の空襲により、東京で亡くなりました。
光太郎は、昭和11年(1936)に照井の著書『詩の朗読』、同17年(1942)には同じく『国民詩と朗読法』の序文を寄稿しています。また、昭和18年(1943)には、座談会「現代詩の再出発」(雑誌『詩と詩人』第5巻第6号所収)で、光太郎と照井が同席しています。
この日書かれた原稿は、25日、盛岡朗読会主催で開催された「照井瓔三追悼 詩と音楽の夕」で代読されました。会場は県商工館ホールでした。
「古稀(こき) 北野攝山書展」(主催・北野攝山書展実行委員会、後援・毎日新聞社、毎日書道会、全日本書道連盟、日本詩文書作家協会、書団響、太源書道会)が3月1~6日、東京都中央区銀座2の東京銀座画廊・美術館(銀座貿易ビル7階)で開かれる。古希を記念した個展は、選び抜いた言葉を大作にぶつけた意欲がほとばしる構成となっている。
毎日書道顕彰に輝いた前回の個展は「書の美の本質を求めて」がテーマだった。誠に気宇壮大な試みだったが、書への熱い思いは静かに心の中で流れ続けていたようだ。古希を記念した今回展も「書人が書いておかなければならない」言葉に向かっての真正面からのチャレンジとなった。
ベートーベンの第9交響曲「合唱」で歌われるシラーの詩、白居易「長恨歌」、高村光太郎「牛」、李白「望廬山瀑布」、聖徳太子「十七条憲法」、空海「性霊集」、諸葛孔明「出師表」、「魏志倭人伝」……古今東西のよく知られた言葉を大紙面に刻んでいる。篆(てん)・隷・楷・行・草の五体を駆使し、書の魅力をまるごと味わってみようとばかりに体力の限界に向かってギリギリまで書き進めていった作品が並ぶ。渾身(こんしん)の力で筆を動かす書人の姿を連想しながら、豊穣(ほうじょう)な言葉とぜひ、対峙(たいじ)したい。
午前10時~午後6時(最終日は午後4時まで)。入場無料。
北野攝山(きたの・せつざん)氏 1951年、大阪市生まれ。花園大学文学部国文科卒。森本龍石さん、近藤攝南さんに師事。80年、第1回個展(高麗橋画廊)。86年、第38回毎日書道展会長賞。91年、太源書道会を設立、代表理事に就任。2007年、第5回北野攝山書展―書の美の本質を求めて―。08年、毎日書道顕彰(啓蒙<けいもう>部門)。11年、毎日書道会評議員。書団響を結成し理事長就任。14年、毎日書道会総務。22年、古稀 北野攝山書道展。
というわけで、書家の方の個展です。
期 日 : 2022年3月1日(火)~3月6日(日)
会 場 : 東京銀座画廊・美術館 東京都中央区銀座2-7-18 銀座貿易ビル
時 間 : 10:00~18:00 最終日は16:00まで
料 金 : 無料
李白「望廬山瀑布」。白居易「長恨歌」。
追記:そして、「牛」。
なるほど、記事にある「篆(てん)・隷・楷・行・草の五体を駆使し」という片鱗がこれだけでも見えますね。
ご興味のある方、コロナ感染には十分お気をつけつつ、ぜひ足をお運びください。。
【折々のことば・光太郎】
盛岡より朗読青年来り、照井栄三についての原稿を求めらる、二枚書き渡す、廿五日が命日の由、
昭和27年(1952)5月21日の日記より 光太郎70歳
「照井栄三」は「瓔三」とも表記します。盛岡出身の声楽家・朗読家で、戦前、戦時中にはラジオで光太郎詩の朗読にもあたりました。昭和20年(1945)5月の空襲により、東京で亡くなりました。
光太郎は、昭和11年(1936)に照井の著書『詩の朗読』、同17年(1942)には同じく『国民詩と朗読法』の序文を寄稿しています。また、昭和18年(1943)には、座談会「現代詩の再出発」(雑誌『詩と詩人』第5巻第6号所収)で、光太郎と照井が同席しています。
この日書かれた原稿は、25日、盛岡朗読会主催で開催された「照井瓔三追悼 詩と音楽の夕」で代読されました。会場は県商工館ホールでした。