「作家が紡いだ言葉が、まさしく食べ物が如ごとく体を構築する感覚を、もっとダイレクトに感じることが出来るイメージティー」だそうで。
YOU+MORE!×フェリシモミュージアム部 日本近現代文学の世界に浸る 文学作品イメージティーの会
心震わす言葉を飲み干して
大正から昭和、近現代日本で生まれた文豪の作品に着想を得て作り上げたイメージティー。本を読んで作品の魅力を知る。その先に進んでみたくて、嗅覚や味覚から作中に登場するモチーフを感じられるのはもちろん、一部は視覚でも楽しめるよう、作品を象徴する色に着目したお茶をご用意しました。
月1セット ¥1,800(+10% ¥1,980) 1セットだけ(1ヵ月だけ)の購入も可能です。
なるほど、いい感じですね。
他のラインナップは〈中島敦著『山月記』× 虎に還るように色が変化するお茶〉〈室生犀星著『蜜のあわれ』× 燃えている金魚のように赤いお茶〉〈江戸川乱歩著『孤島の鬼』× 宝石より魅力的なチョコレートの紅茶〉だそうです。
で、こちらのセットは「パート2」だそうで、既に「パート1」が出ていました。そちらは〈芥川龍之介著「蜘蛛の糸」×蓮が香る紅茶〉〈夏目漱石著「虞美人草」×アイスクリームが香る紅茶〉〈坂口安吾著「桜の森の満開の下」×桜が香る緑茶〉〈宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」×苹果(りんご)が香る紅茶〉だそうです。
ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・光太郎】
白瀧幾之助氏よりヘラ十数本送り来る、
白瀧幾之助は光太郎より10歳上の画家。東京美術学校西洋画科出身で、光太郎の先輩です。遠く明治38年(1905)、ニューヨークに留学。翌年、やはり渡米してきた光太郎を迎え、いろいろ世話を焼いてくれました。さらに光太郎より一足早くロンドンに移り、ここでもあとを追ってきた光太郎の面倒を見てくれました。ロンドンではもう一人、画家の南薫造を交え、3人でつるんでいたそうです。禿頭で大男の白瀧は「入道」、小柄な南は「アンファン(仏語「enfant」=「子供」)」と呼ばれていました。光太郎はどんなあだ名だったか不明ですが。
その後、白瀧はパリへ。当方、その頃、ロンドンの光太郎からパリの白瀧へ送ったハガキをたまたま入手しました。
そして、またまた光太郎も白瀧に続いてパリ入りします。ただ、帰国は光太郎の方が早く、白瀧は明治44年(1911)までパリにとどまっていました。
しばらく途絶えていた二人の交流が、戦後のこの時期になって突如、復活。さらに光太郎帰京後の昭和29年(1954)には、白瀧が光太郎のアトリエを訪問しています。
月1セット ¥1,800(+10% ¥1,980) 1セットだけ(1ヵ月だけ)の購入も可能です。
■セット内容 / 1gまたは2g入りテトラティーバッグ17個、箱
■サイズ / 箱:縦約15cm、横約10.5cm、厚さ約3.5cm
※この商品は書籍ではありません。 ※箱に直接食品を入れないでください。 ※写真は作品をより楽しむための調理例です。
●毎月1回、4種類の中から、1種類ずつお届けします。(全種類届くと、以降はストップします)
(原産国名:ドイツまたは日本〔原料原産地名(茶葉):中国〕)
※2022年4月分(2022年3月下旬~2022年4月下旬)からのお届けになります。2022年3月分でお申し込みの場合、2022年4月分のご予約として承ります。
※各種キャンペーン・送料計算の対象はお届け月分になります。ご注意ください。
※各種W便・追加便などのお申し込みはできません。
※この商品は特性上、不良品・お届け間違い以外の交換・返品はお受けできません。不良品・お届け間違いの交換・返品は、期限内(商品到着後10日以内)にご返送ください。
■ マークの数字の回数だけ届くと、自動的にお届けが終了します。
■ 掲載画像の中から、毎月1種類をお届けします。
■ お届けする順番はフェリシモにおまかせください。
■ 1回だけのご注文も可能です。
ストップする場合は、お届け後にストップの連絡が必要です。
〈高村光太郎著『智恵子抄』× 天のものなるレモンの紅茶〉
私はあなたの愛に値しないと思ふけれど
あなたの愛は一切を無視して私をつつむ 「智恵子抄」より
高村光太郎著の詩集『智恵子抄』に綴られた一編・レモン哀歌よりイメージした、「わたしの手からとったひとつのレモン」をモチーフにした紅茶です。表紙側には高村光太郎の妻・智恵子が恋焦がれた、彼女の故郷にある「阿多多羅山」と、その上に広がる「ほんとの空」を。また、トパアズの香りを漂わせるレモンをデザインに取り入れ、思わずはっと目が覚めるような爽やかな色合いにまとめました。
裏表紙側は病床の智恵子が作った「切り絵」をテーマに、二人の出会いを象徴する花・グロキシニヤで飾りました。光太郎のアトリエを訪ねる際に、智恵子がグロキシニヤの大鉢を持ってきたと光太郎は書き残しています。
《作品をもっと楽しむために…》
香りがはじけるように立ち上る、新鮮なレモンをトッピングして。まるで自身の半身のようにも思える大事な人と、一緒の時間を過ごしたい。そんな時におすすめなアレンジです。
イメージティーを納めた本型パッケージは文庫本と同じサイズで、本好きのこころをくすぐります。なるほど、いい感じですね。
他のラインナップは〈中島敦著『山月記』× 虎に還るように色が変化するお茶〉〈室生犀星著『蜜のあわれ』× 燃えている金魚のように赤いお茶〉〈江戸川乱歩著『孤島の鬼』× 宝石より魅力的なチョコレートの紅茶〉だそうです。
で、こちらのセットは「パート2」だそうで、既に「パート1」が出ていました。そちらは〈芥川龍之介著「蜘蛛の糸」×蓮が香る紅茶〉〈夏目漱石著「虞美人草」×アイスクリームが香る紅茶〉〈坂口安吾著「桜の森の満開の下」×桜が香る緑茶〉〈宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」×苹果(りんご)が香る紅茶〉だそうです。
ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・光太郎】
白瀧幾之助氏よりヘラ十数本送り来る、
昭和27年(1952)4月10日の日記より 光太郎70歳
白瀧幾之助は光太郎より10歳上の画家。東京美術学校西洋画科出身で、光太郎の先輩です。遠く明治38年(1905)、ニューヨークに留学。翌年、やはり渡米してきた光太郎を迎え、いろいろ世話を焼いてくれました。さらに光太郎より一足早くロンドンに移り、ここでもあとを追ってきた光太郎の面倒を見てくれました。ロンドンではもう一人、画家の南薫造を交え、3人でつるんでいたそうです。禿頭で大男の白瀧は「入道」、小柄な南は「アンファン(仏語「enfant」=「子供」)」と呼ばれていました。光太郎はどんなあだ名だったか不明ですが。
その後、白瀧はパリへ。当方、その頃、ロンドンの光太郎からパリの白瀧へ送ったハガキをたまたま入手しました。
そして、またまた光太郎も白瀧に続いてパリ入りします。ただ、帰国は光太郎の方が早く、白瀧は明治44年(1911)までパリにとどまっていました。
しばらく途絶えていた二人の交流が、戦後のこの時期になって突如、復活。さらに光太郎帰京後の昭和29年(1954)には、白瀧が光太郎のアトリエを訪問しています。