昨日は群馬県に行っておりました。

メインの目的は、高崎市の群馬県立土屋文明記念文学館さんで開催中の第114回企画展「写真で見る近代詩—没後20年伊藤信吉写真展—」の拝見。先月から始まっていたのですが、昨日、関連行事として写真家の小松健一氏のご講演があり、それに合わせて行って参りました。
KIMG5905
KIMG5904
伊藤信吉は、初代同館館長。明治39年(1906)現・前橋市生まれで、戦前から同郷の萩原朔太郎をはじめ、朔太郎つながりで室生犀星、一時期群馬に住んでいた当会の祖・草野心平、そして戦後は光太郎などと深い交流がありました。

そして日本近代詩史に関し、厖大な評論等を残した他、実際に日本全国の近代詩「歌枕」を訪れ、写真を撮影、紀行文も書いています。今回の企画展は、その「写真」をメインに据えたものでした。
KIMG5906 004
展示会場に入ってすぐ正面、伊藤の著書、編著等の書誌が巨大なパネルに。主要なものは書影写真入りで、見応えがありました。光太郎に関するそれも非常に多く、当方もそれらからどれだけ啓示を受けたか知れません。このパネルは今回だけのものではなく、永久保存していただきたいものだと思いました。

入って右手に伊藤の年譜。光太郎との関わりにも言及されていました。

そしてメインの写真系。

前半「伊藤信吉が旅した近代詩の世界」は、写真の他に、光太郎を含む18人の詩人について主要作品の抜粋と、昭和41年(1966)に刊行された『詩のふるさと』、同45年(1970)の『詩をめぐる旅』から、伊藤の紀行文の一節がパネル展示。
002
光太郎に関しては、『詩のふるさと』に書かれた、智恵子の故郷・福島二本松を紹介する「樹下の二人」。
007006
18人中、光太郎を含む8人(他に朔太郎、島崎藤村、室生犀星、中原中也、峠三吉、北原白秋、伊藤自身)のパネルは、図録(500円)にも転載されていました。
005
後半は「カメラを通して語られる伊藤信吉の抒情風景」と題し、写真のみずらっと30葉ほど。
003
このうち№28の「岩手県花巻市にて 餓死供養碑」は、光太郎詩碑も三基ある、花巻市街の松庵寺さんでの撮影で、「ありゃま、松庵寺さんだ」という感じでした。

写真系は壁面を使っての展示でしたが、フロアにはガラスケースに収められ、伊藤の著書、原稿、愛用のカメラ・ニコンF、取り上げられた各詩人の書簡、草稿などが展示されていました。
001
光太郎から伊藤宛の葉書も3通。すべて『高村光太郎全集』所収のものですが、「ほう」という感じでした。

それにしても、伊藤の事蹟をたどることが、イコール日本の近代詩史を俯瞰することにもつながると、改めて実感させられました。

展示を拝見後、関連行事としての、写真家・小松健一氏のご講演を拝聴。小松氏、やはり群馬で育たれ、伊藤とも交流が深く、そうしたご縁などについて語られました。また、伊藤の『詩のふるさと』、『詩をめぐる旅』同様、日本近代詩の「歌枕」をめぐる写真集の決定版的なものもいずれ出版したい、ということでした。既に平成11年(1999)には、『詩人を旅する』という写真集、さらに一昨年には『写真家の心 詩人の眼』という書籍も出されていますが、期待したいところです。
006 008
明日も群馬レポートを続けます。

【折々のことば・光太郎】

厳寒、凍結、0下10度4分 ねてゐるうち黒沢尻の教員斎藤氏及女性来訪、ねてゐて挨拶、そんまま帰る、せんべいもらふ、


昭和27年(1952)1月9日の日記より 光太郎70歳

黒沢尻の教員斎藤氏」は、斎藤充司。斎藤の旧蔵の光太郎写真、書など、智恵子の故郷・二本松の岳温泉にある「あだたらの宿扇や」さんで入手され、展示されています。

斎藤は、ほぼ1年前の昭和26年(1951)1月8日にも光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋を訪ねていますが、この時も「ねてゐうちち黒沢尻より斎藤充司氏他4人の小学教師遊びにくる」ということで、光太郎の寝込みを襲う(笑)常習犯だったようです。光太郎が宵っ張りの朝寝坊だったのかもしれませんが(笑)。