新刊詩集、ご紹介します。
ただ、詩本体では明確に光太郎智恵子の名などは出て来ません。問題は(別に問題でもないのですが(笑))、「あとがき」。今回の詩集のコンセプト、ご自身の詩作態度の根源的なことがらが語られており、その中に光太郎。
若い頃から彫刻を見るのが好きだった。詩を書くようになって発見したのは、詩と彫刻の関係が著しいまでに近いことだった。高村光太郎は、自分はどこまでも彫刻家であり、彫刻を純化するために詩を書くとも述べているが、後世の人は、彼をまず、詩人として記憶し、彫刻もまた、愛するのではないだろうか。
詩とは、言葉によって世に目には見えない、意味の彫刻を生むことである。この詩集を編みながら、そんなことを感じていた。
光太郎に魅せられ、彫刻の道を歩き始めた舟越保武は、彫刻とは石で、何かを表現するというより、石に眠っている何かを彫りだすことであると述べているが、同様の手応えは詩を書いているときにも存在する。言葉を彫琢する、という表現もあるように、書くと彫るという営みには、単に似ているという以上の共振がある。
だからこそ、高村光太郎が訳した『ロダンの言葉』も、彫刻という領域を超え、文学を含めて広く芸術を愛する人たちに、熱く受け入れられたのだろう。
舟越は、石工に弟子入りしたこともある、石彫りの名手だった。粘土から作るブロンズとは違って、石に彫る場合、一度、誤って鑿を入れるだけで、その作品をだめにしてしまうことがある。
奇妙に聞こえるかもしれないが、詩を直しているときにも、同様のことを経験する。不用意に一つの言葉を書いたために、どうあがいても仕上がらない、という場合がある。途中まではこれまでに感じたことのない手応えを覚えていたはずなのに、世に送り出すという地点には至らない。そうした作品が手元に、詩集数冊分ある。
(以下略)
若松氏、「詩とは、言葉によって世に目には見えない、意味の彫刻を生むこと」と定義し、「書くと彫るという営み」に「単に似ているという以上の共振」を感じ、「言葉を彫琢する」ことを目指されているというわけですね。
蓋し、光太郎も似たようなことを感じていたのではないかと思われます。そこで、若松氏がシンパシーを感じ、さらに後世の評者の多くが光太郎詩をして「彫刻的である」としているのではないでしょうか。
ところで若松氏、オンライン会議アプリzoomを使用したリモート講座「若松ゼミ」を主宰されています。その中で、「あとがき」でも触れられている光太郎訳の『ロダンの言葉』も扱われるそうです。また期日が近くなりましたら、詳しくご紹介します。
【折々のことば・光太郎】
仙台から資福寺の坊さんといふ人来訪、五月に晩翠の観音画を石碑にするにつき、余に平和の詩碑を並べて作つてくれとの事、返事を保留す。父の木彫釈迦を本尊とする寺の由、
仙台の資福寺さんについてはこちら。当方、光太郎日記にこの記述があったことを失念したまま訪れていました(笑)。
詩集 美しいとき
2022年2月5日 若松英輔著 亜紀書房 定価1,800円+税悲しみとは 何かを愛した証し
悲しみ、祈り、愛すること。暗闇で手探りするように、一語一語、つむがれた言葉の捧げ物。
著者の詩人・若松氏、これまでも『詩と出会う 詩と生きる』(令和元年=2019 NHK出版)、『NHKカルチャーラジオ 文学の世界 詩と出会う 詩と生きる』(平成30年=2018 同)などで光太郎に触れて下さっていますが、今回は詩集です。ただ、詩本体では明確に光太郎智恵子の名などは出て来ません。問題は(別に問題でもないのですが(笑))、「あとがき」。今回の詩集のコンセプト、ご自身の詩作態度の根源的なことがらが語られており、その中に光太郎。
若い頃から彫刻を見るのが好きだった。詩を書くようになって発見したのは、詩と彫刻の関係が著しいまでに近いことだった。高村光太郎は、自分はどこまでも彫刻家であり、彫刻を純化するために詩を書くとも述べているが、後世の人は、彼をまず、詩人として記憶し、彫刻もまた、愛するのではないだろうか。
詩とは、言葉によって世に目には見えない、意味の彫刻を生むことである。この詩集を編みながら、そんなことを感じていた。
光太郎に魅せられ、彫刻の道を歩き始めた舟越保武は、彫刻とは石で、何かを表現するというより、石に眠っている何かを彫りだすことであると述べているが、同様の手応えは詩を書いているときにも存在する。言葉を彫琢する、という表現もあるように、書くと彫るという営みには、単に似ているという以上の共振がある。
だからこそ、高村光太郎が訳した『ロダンの言葉』も、彫刻という領域を超え、文学を含めて広く芸術を愛する人たちに、熱く受け入れられたのだろう。
舟越は、石工に弟子入りしたこともある、石彫りの名手だった。粘土から作るブロンズとは違って、石に彫る場合、一度、誤って鑿を入れるだけで、その作品をだめにしてしまうことがある。
奇妙に聞こえるかもしれないが、詩を直しているときにも、同様のことを経験する。不用意に一つの言葉を書いたために、どうあがいても仕上がらない、という場合がある。途中まではこれまでに感じたことのない手応えを覚えていたはずなのに、世に送り出すという地点には至らない。そうした作品が手元に、詩集数冊分ある。
(以下略)
若松氏、「詩とは、言葉によって世に目には見えない、意味の彫刻を生むこと」と定義し、「書くと彫るという営み」に「単に似ているという以上の共振」を感じ、「言葉を彫琢する」ことを目指されているというわけですね。
蓋し、光太郎も似たようなことを感じていたのではないかと思われます。そこで、若松氏がシンパシーを感じ、さらに後世の評者の多くが光太郎詩をして「彫刻的である」としているのではないでしょうか。
ところで若松氏、オンライン会議アプリzoomを使用したリモート講座「若松ゼミ」を主宰されています。その中で、「あとがき」でも触れられている光太郎訳の『ロダンの言葉』も扱われるそうです。また期日が近くなりましたら、詳しくご紹介します。
【折々のことば・光太郎】
仙台から資福寺の坊さんといふ人来訪、五月に晩翠の観音画を石碑にするにつき、余に平和の詩碑を並べて作つてくれとの事、返事を保留す。父の木彫釈迦を本尊とする寺の由、
昭和27年(1952)1月4日の日記より 光太郎70歳
仙台の資福寺さんについてはこちら。当方、光太郎日記にこの記述があったことを失念したまま訪れていました(笑)。