長野県松本平地区で発行されている地方紙『市民タイムス』さん、昨日の1面コラムです。
居酒屋・火の車についてはこちら。「心平が28歳で始めた屋台」については、新潮文庫版『智恵子抄』(昭和31年=1956)の解説として心平が書いた「悲しみは光と化す」に記述があります。
新宿の紀伊國屋裏に古びた家があつて、人の住んでゐないやうな大きな門前の石畳のところが空(あ)いてゐた。麻布十番で半年程やつたあと、屋台をそこにひつぱつてきて据ゑおきにした。或る晩、よしず張りののれんの間から鳥打帽がぬうつと出て高村さんが現はれた。続いて智恵子さん。油のしみた紺のごつい前垂れをしめて私はコンロを渋団扇であふいでゐた。高村さんは度々だつたが、智恵子さんはその時が初めてだつた。不意に現はれたので吃驚してゐる私に、智恵子さんはただ微笑んだだけだつた。五六本あがると、無口な智恵子さんとしては珍らしくきつぱりと
「タレを見せて下さい」
といつた。私はカメを斜めにした。智恵子さんはのぞきこむやうにして見てゐたが
「ほう、おいしさう」
と、また感心したやうな声でいつた。
この時が、それまでと変りのない智恵子さんを見た最後だつた。
「北条常久さんが綿密な取材を基に著した心平の伝記『詩友/国境を越えて』」についてはこちら。
さらに「賢治の遺稿を詰めたトランクから手帳が取り出され……」についてはこちら。
それにしても、本当にいつまでコロナ禍が続くのか、と、黯然とした想いにさせられます。このままの感染状況が続けば、今年の連翹忌の集いも中止せざるを得ないような……。もう少し、様子を見てから決めようとは思っていますが……。
【折々のことば・光太郎】
昨夜旧小屋のケーキを野獣がくふ。犬か。
数ある光太郎の笑えるエピソード中、かなり高位にランクされます(笑)。
光太郎の推測通り、犬かもしれませんし、キツネかタヌキかもしれません。熊は冬眠中でしたが。
2022.1.31みすず野
詩人の草野心平は48歳のとき、6畳間ほどの居酒屋〈火の車〉を開いた。狭い店では客同士のけんかが絶えなかったという。稼ぎのほどは分からないが、心平が28歳で始めた屋台の台所事情は本当に火の車だった◆素人商売だから、翌日の酒を仕入れる金が手元に残らない。酒が無い焼き鳥屋に客は来ない。1年で店じまいしている。高村光太郎が屋台の様子を見に来た。心平は詩誌を通して宮沢賢治と手紙のやり取りがあった。彼らの交流は、北条常久さんが綿密な取材を基に著した心平の伝記『詩友/国境を越えて』に詳しい◆火の車だろう。本県にも「まん延防止等重点措置」が適用され、飲食店の苦境が続く。店の存続を見据えて休業したり、酒類の提供を控えたり。現状の施策や、先が見えない状況へのいら立ちが紙面から伝わる。春までには感染が落ち着いてほしい―観光事業者の談話は祈りのよう◆賢治の遺稿を詰めたトランクから手帳が取り出され、心平と光太郎が〈雨ニモマケズ〉に感歎の声を上げる。〈火の車〉は4年で畳まれた。作家の島田雅彦さんは『空想居酒屋』に〈屋号はよくよく考えなければ〉と書いている。居酒屋・火の車についてはこちら。「心平が28歳で始めた屋台」については、新潮文庫版『智恵子抄』(昭和31年=1956)の解説として心平が書いた「悲しみは光と化す」に記述があります。
新宿の紀伊國屋裏に古びた家があつて、人の住んでゐないやうな大きな門前の石畳のところが空(あ)いてゐた。麻布十番で半年程やつたあと、屋台をそこにひつぱつてきて据ゑおきにした。或る晩、よしず張りののれんの間から鳥打帽がぬうつと出て高村さんが現はれた。続いて智恵子さん。油のしみた紺のごつい前垂れをしめて私はコンロを渋団扇であふいでゐた。高村さんは度々だつたが、智恵子さんはその時が初めてだつた。不意に現はれたので吃驚してゐる私に、智恵子さんはただ微笑んだだけだつた。五六本あがると、無口な智恵子さんとしては珍らしくきつぱりと
「タレを見せて下さい」
といつた。私はカメを斜めにした。智恵子さんはのぞきこむやうにして見てゐたが
「ほう、おいしさう」
と、また感心したやうな声でいつた。
この時が、それまでと変りのない智恵子さんを見た最後だつた。
「北条常久さんが綿密な取材を基に著した心平の伝記『詩友/国境を越えて』」についてはこちら。
さらに「賢治の遺稿を詰めたトランクから手帳が取り出され……」についてはこちら。
それにしても、本当にいつまでコロナ禍が続くのか、と、黯然とした想いにさせられます。このままの感染状況が続けば、今年の連翹忌の集いも中止せざるを得ないような……。もう少し、様子を見てから決めようとは思っていますが……。
【折々のことば・光太郎】
昨夜旧小屋のケーキを野獣がくふ。犬か。
昭和26年(1951)12月26日の日記より 光太郎69歳
数ある光太郎の笑えるエピソード中、かなり高位にランクされます(笑)。
光太郎の推測通り、犬かもしれませんし、キツネかタヌキかもしれません。熊は冬眠中でしたが。