もう半月ほど前の話ですが、1月12日(水)、埼玉県東松山市で市民講座の講師をやって参りました。光太郎自身は東松山に足跡を残していませんが、意外と縁の深い土地です。

会場は市立の「きらめき市民大学」さん。
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シニアの方々向けに、各種の講座を行っている生涯教育の施設です。

そもそもの縁は、戦時中から光太郎と交流のあった、故・田口弘氏が永らく教育長を務められていたこと。

田口氏、師範学校生だった昭和18年(1943)、俳人・柳田知常に光太郎を紹介されました。卒論が「高村光太郎研究」だったそうで。翌年、南方に出征する前に、本郷区駒込林町の光太郎アトリエを訪れ、書や詩集『記録』を貰ったそうです。ところが、氏の乗った輸送船がバシー海峡で撃沈され、九死に一生。光太郎から貰った品々は海の藻屑に……。

戦後、復員して中学校教諭となり、昭和22年(1947)と同24年(1949)には、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋を訪問、再び書を貰いました。その後、光太郎に食料、日用品などを送り、光太郎からはやはり書などを贈られるというやりとりが続きました。

昭和25年(1950)には、学生時代に作成した光太郎スクラップブックを当会の祖・草野心平に貸し、それが心平編集の中央公論社版『高村光太郎選集』全六巻の資料として大いに役立ったそうです。

昭和31年(1956)、光太郎が歿すると、その葬儀に参列、以後、忌日の連翹忌の集いには30回ほどもご参加下さいました。

その後、教育長になられた田口氏、昭和58年(1983)、同市に新たに開校した新宿小学校さんの校庭に、光太郎の筆跡を用いた「正直親切」碑を建立。「正直親切」の言葉は、元々、太田村の山口小学校に校訓として贈った言葉で、光太郎母校の荒川区立第一日暮里小学校さん、廃校となった山口小学校跡地にもにも同じ筆跡を使った碑が建立されています。

ちなみにきらめき市民大学さんの担当の方が、小学生だった折に除幕が行われ、児童代表でご挨拶をなさったとのこと。その際の写真を見せていただきました。
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田口氏、おそらく連翹忌の席上で、光太郎との交流から彫刻家となった高田博厚と知り合い、意気投合。同市で高田の個展を開催するのに奔走した他、東武東上線高坂駅前に高田の彫刻をずらっと並べた「彫刻プロムナード」整備にもあたられました。こちらには光太郎胸像も含まれています。

亡くなる前年、平成28年(2016)には、光太郎から贈られた品々などを同市に寄贈、現在は市立図書館さんで「田口弘文庫 高村光太郎資料コーナー」として無料公開されています。

また、高田博厚の鎌倉アトリエにあった品々も、平成29年(2017)に田口氏との縁で同市に寄贈され、同市では毎年、それらを公開する「高田博厚展」を開催しています。

さて、当方の講座、「高村光太郎と東松山」と題し、前半は光太郎の人となり、後半は上記の内容を語らせていただきました。
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こちらでこの話をさせていただくのは、平成31年(2019)に続いて2回目でしたし、市立図書館さんでも2回、同じような話をさせていただいております。

終了後、受講生の方の一部と懇談。その方々が「高田博厚と遊ぼう会」なるグループを結成され、高田についていろいろ調べたり、実際に高田の作品を多数所蔵・展示なさっている長野の豊科近代美術館さんを見に行ったりされているそうです。
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今後は、彫刻プロムナードを地域の有用なコンテンツとして活用することを念頭に、さらに活動の幅を広げたいとのこと。泉下の田口氏も喜ばれていることでしょう。

ちょっと前のものですが、昨年9月に発行された『Earth Signal Tokainaka Journal』という冊子の第9号も頂いて参りました。「埼玉トカイナカエリアの鉱脈発掘魅力発信マガジン」だそうで。
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4ページにわたり、彫刻プロムナードを紹介する記事も載っています。

さらに会の方々と、昼食。指定されたレストランはもろに彫刻プロムナード沿い、しかも光太郎胸像の設置場所すぐ近くでした。店内にも高田の小品が。
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ちなみに、「田口弘文庫 高村光太郎資料コーナー」のある市立図書館さん、「正直親切」碑の立つ新宿小学校さん、高坂彫刻プロムナード、地図に表すと以下の通りです。
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ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

昨夜妓のうたをきき二時にねる、 花巻温泉まで歩き、花巻より盛岡までタキシ(2000円)、よきドライブ。 多賀園にて支那料理をくひ、その間に余は放送局にゆき新年放送年賀の言葉を録音。


昭和26年(1951)12月8日の日記より 光太郎69歳

お供は当会の祖・草野心平。前夜に心平と共に台温泉松田屋旅館に宿泊し、盛岡行でした。