2件ご紹介します。
まず、一昨日の『茨城新聞』さんの一面コラム。
温暖な千葉県に住んでいますと、冬の寒さには弱くなります。1月も半ばとなると、もう冬はいいから、早く春になってくれ、という感じです(笑)。「冬よ/僕に来い、僕に来い」という光太郎の気が知れません(笑)。
しかし、「休眠打破」だそうで、この寒さが植物の生育には欠かせないとのこと。まぁ、それも頭では分かっているのですが……(笑)。
ちなみに「6日に降り積もった雪」とありますが、千葉でも積雪となりました。降り始めた6日の昼頃。
翌朝、裏山の中腹から。ここまで積もったのは数年ぶりでした。
昨年4月に17歳で逝ってしまった愛犬と毎日行っていた公園。
愛犬が生きて元気だったら、転げ回って喜んでいたでしょう。
もう1件、『産経新聞』さんの読書面、1月8日(土)の掲載でした。
詩人の和合亮一氏が、先月刊行された『我が愛する詩人の伝記』(室生犀星 文/濱谷浩 写真 中央公論新社)の書評を寄せられています。さすがに和合氏、的確な評ですね。
これ以外にも、まだ各紙で光太郎の名を出して下さっています。明日のこのブログも、その辺で。
【折々のことば・光太郎】
笹間の猟師が青猪の毛皮を持つてくる、スルガさんに見てもらふやうにいふ。スルガさん毛皮持参、6000円の分を求める事にする。中々よろし。スルガさんに托して背中に着られるやうにしてもらふことをたのむ。
「笹間」は光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の隣村。「青猪」は「あおしし」と読み、カモシカのことです。光太郎の山小屋付近にも時々現れました。
「スルガさん」は、光太郎に山小屋の土地を提供してくれた駿河重次郎、あるいはその子息。猟師から直接買うのではなく、いったん、詳しい地元民に相場等を聞いて購入したのでしょう。
上記画像がおそらくこの時の毛皮です。翌年の詩「山のともだち」に、「角の小さいカモシカは/かわいそうにも毛皮となつて/わたしの背中に冬はのる。」という一節があります。
まず、一昨日の『茨城新聞』さんの一面コラム。
いばらき春秋
連日氷点下の厳しい朝が続く県内。6日に降り積もった雪がなかなか解け切らず、いまだに日陰で残っている所も多いだろう▼下館駅前のビルにある筑西支社からは関東平野の眺めが素晴らしい。快晴の日には冠雪した富士山や日光連山、時には浅間山もよく見え、真冬ならではの景色が楽しめる▼この時季にふさわしいのは高村光太郎の「冬が来た」という詩である。「きつぱりと冬が来た」という勇ましい書き出しで始まり「きりきりともみ込むような冬が来た/人にいやがられる冬/草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た」と厳しさを描く▼草木に背かれ、と詩人は表現しているが、この寒さが春の桜の開花には大事な条件だという。冬に入る前に休眠状態に入った花芽は一定期間低温にさらされることで目を覚まし、開花の準備を始める。それを「休眠打破」と呼ぶのだそうだ▼作品の主人公は前向きだ。「冬よ/僕に来い、僕に来い/僕は冬の力、冬は僕の餌食だ」と力強い。真正面から受け止め、立ち向かう覚悟を示す▼寒さがなければ春は来ない。それは分かっているけれど寝床からなかなか抜け出せない。そんなとき、休眠を打破するために詩の一節をつぶやいてみよう。春はもうすぐだ。(飯)
温暖な千葉県に住んでいますと、冬の寒さには弱くなります。1月も半ばとなると、もう冬はいいから、早く春になってくれ、という感じです(笑)。「冬よ/僕に来い、僕に来い」という光太郎の気が知れません(笑)。
しかし、「休眠打破」だそうで、この寒さが植物の生育には欠かせないとのこと。まぁ、それも頭では分かっているのですが……(笑)。
ちなみに「6日に降り積もった雪」とありますが、千葉でも積雪となりました。降り始めた6日の昼頃。
翌朝、裏山の中腹から。ここまで積もったのは数年ぶりでした。
昨年4月に17歳で逝ってしまった愛犬と毎日行っていた公園。
愛犬が生きて元気だったら、転げ回って喜んでいたでしょう。
もう1件、『産経新聞』さんの読書面、1月8日(土)の掲載でした。
本ナビ+1 詩人・和合亮一 『写文集 我が愛する詩人の伝記』 心突き動かす詩人の「生気」
新しい年に、ふと…。そもそも詩人とは、どんな人間なのだろうと考え込んでしまった(私も一応、詩人ではあるのだが)。それはあらためて、自分自身を知りたいという気持ちと似ている。だからなのかもしれない。この本を手に取ったとき、一瞬にしてこみあがるものを感じた。簡単には言明できない何かを。
本書は北原白秋、高村光太郎、萩原朔太郎、立原道造…。12の詩人をめぐる室生犀星による伝記である。例えば朔太郎は前橋、立原は軽井沢…、故郷や生活した土地とそれぞれの人物のエピソードと、地の風土を鮮明にとらえた濱谷浩の写真が並ぶ。深い親交のあった犀星にしか語れない挿話の数々は、人物をあらゆる角度から、新しく、時には丸裸にしていて面白い。
生々しい逸話に垣間見える横顔にくすりと、そしてほろりとさせられる。伝説の詩人たちもただの人間だったんだなあと呟(つぶや)きたくなる。あとがきに「若(も)し少しでも生気が溜(た)まっていたら嬉(うれ)しい、その生気のみがこの書物のたすけになるからである」と。なるほど。詩人のもたらす「生気」に初めから私は突き動かされたのかもしれない。本の中の息づかいに耳を澄ますようにして読み進めると近代詩と詩人の全景が立体的に見えた気がした。
そして生ばかりではなく死の場面にも触れている。どの詩友よりも生きのびてこれを書いていると語る犀星の切ない姿が随所に見受けられる。
「詩というものは先(ま)ずまねをしなければ伸びない、まねをしていても、まねの屑(くず)を棄(す)てなければならない」という一節に詩作の秘訣(ひけつ)を教えられた思いがした。日本の詩の礎を築いたいわば開拓者たちの言葉と人生をあらためて堂々と真似(まね)てみたいと思った。
詩人の和合亮一氏が、先月刊行された『我が愛する詩人の伝記』(室生犀星 文/濱谷浩 写真 中央公論新社)の書評を寄せられています。さすがに和合氏、的確な評ですね。
これ以外にも、まだ各紙で光太郎の名を出して下さっています。明日のこのブログも、その辺で。
【折々のことば・光太郎】
笹間の猟師が青猪の毛皮を持つてくる、スルガさんに見てもらふやうにいふ。スルガさん毛皮持参、6000円の分を求める事にする。中々よろし。スルガさんに托して背中に着られるやうにしてもらふことをたのむ。
昭和26年(1951)11月10日の日記より 光太郎69歳
「スルガさん」は、光太郎に山小屋の土地を提供してくれた駿河重次郎、あるいはその子息。猟師から直接買うのではなく、いったん、詳しい地元民に相場等を聞いて購入したのでしょう。
上記画像がおそらくこの時の毛皮です。翌年の詩「山のともだち」に、「角の小さいカモシカは/かわいそうにも毛皮となつて/わたしの背中に冬はのる。」という一節があります。