今年のカレンダー、光太郎に関係するものを入手していますのでご紹介します。

まず、光太郎第二の故郷、岩手花巻で光太郎顕彰に当たられている、やつかの森LLCさん発行のものが2種類。いずれもB3判の1枚物で、12ヵ月分です。
008 007
左上は、昨秋刊行された写真集『山からの贈り物 やつかの森の四季』から写真を採ったもので、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋と、その周辺の風景です。
010
右上は、『花巻まち散歩マガジンMachicocoマチココ』さんに連載中の「光太郎レシピ」から。リーフレットもついていました。
001
いずれも「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さんで販売中です。

もう1点。東京都立川市に本店を置く、多摩信用金庫さんのカレンダー。系列のたましん美術館さんの収蔵品をあしらったものです。

A2判で、すべて彫刻が使われています。表紙には中国六朝時代の「東魏二尊仏」、1~3月(初めて見ましたが、3ヵ月で1枚です)が、光太郎の盟友・荻原守衛の「女」(明治43年=1910)。
002 003
4~6月に、光太郎のブロンズ代表作「手」(大正7年=1918)。
004 009
7~9月は、光太郎に影響を受けた中原悌二郎の「若きカフカス人」(大正8年=919)、そして10~12月で、光太郎が敬愛したロダンの「カレーの市民」(明治17年=1884)。
005 006
彫刻フリークにはたまらないと思います(笑)。

当方、ネットオークションで入手しました。今日現在、まだ出品されているようですし、たましんさんでも配付しているかもしれません。

それにしても、光太郎智恵子がらみのカレンダー、毎年のように入手はしていますが、結局、勿体なくて使えません(笑)。今年の3点も大事に保存します。

【折々のことば・光太郎】

山口小学校のため揮毫、「正直親切」と横にかく。


昭和26年(1951)10月25日の日記より 光太郎69歳

「正直親切」。蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近く(といっても1キロメートル弱)の山口小学校に、校訓として贈った言葉です。
011
12月には同校の学芸会に招かれた光太郎、児童たちにこの言葉について、こう語りました。

結局、平凡なことですが、「正直」というのを採りました。正直は一番根本になると思いますし、正直はそのときは損なようでも、永い間には得になるのです。それに「親切」を加えました。そういうわけで、あの書「正直親切」をあげた次第です。

書は、戦後風に左から右に書き、さらに低学年でも読めるようにと新仮名遣いでルビを振っています。

この文字を刻んだ碑は、山口小学校跡、光太郎の母校である東京都荒川区の第一日暮里小学校ん、光太郎と交流のあった田口弘氏が教育長を務められていた埼玉県東松山市立新宿小学校さんにそれぞれ建てられています。

余談ですが、1月12日(水)には、東松山市で生涯学習講座の講師オファーがあり、行って参ります。