今年1年を振り返る企画、7月から9月です。

7月2日(金)・3日(土)
東京古書会館さんに於いて、明治古典会さん主催の古書市「七夕古書大入札会2021」の下見展観が行われ、光太郎自筆の書・書簡等が出品されました。
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7月9日(金)~8月22日(日)
京都国立近代美術館さんで、「モダンクラフトクロニクル―京都国立近代美術館コレクションより―」が開催され、光雲、旭玉山、石川光明、大谷光利、香川勝廣、加納鐡哉、加納夏雄、柴田是真との合作「福禄封侯図飾棚」(明治16年=1883)、光太郎実弟の豊周による「蝋型朧銀筒形花生」(昭和38年=1963)が出品されました。

7月16日(金)~12月18日(土)
花巻市高村光太郎記念館さんで、コロナ禍による中断期間を挟み、企画展「光太郎の三陸廻り」が開催されました。
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7月17日(土)
第23回比較文学研究会が、オンラインで開催されました。中里まき子氏(岩手大学)、エリック・ブノワ氏(ボルドー・モンテーニュ大学)による「高村光太郎『智恵子抄』仏訳(TAKAMURA Kôtarô, Poèmes à Chieko)の刊行をめぐって」が含まれていました。

同日、『朝日新聞』さんの読書面で劇作家・平田オリザ氏による連載「古典百名山+plus 平田オリザが読む」で、光太郎の『智恵子抄』を取り上げて下さいました。題して「高村光太郎『智恵子抄』 妻亡き後の絶望と諦念」。

7月19日(月)
BSフジさんで、「ニッポン美景めぐり 十和田・奥入瀬」が放映され、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が紹介されました。11月7日(日)、11月28日(日) 、そして来年1月3日(月)にも再放送があります。
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7月20日(火)~8月29日(日)
皇室の名宝 ―皇室と九州を結ぶ美―」が、福岡県太宰府市の九州国立博物館さんで開催されました。光雲作の木彫「松樹鷹置物」(大正13年=1924)、そしてブロンズの「萬歳楽置物」(大正5年=1916)が出品されました。
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7月22日(木)~8月22日(日)
東京都台東区の東京藝術大学 大学美術館さんで「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」光雲木彫の「蘭陵王」(明治37年=1904)が展示されました。

7月29日(木)~9月26日(日)
山口市の中原中也記念館さんで、特別企画展「書物の在る処――中也詩集とブックデザイン」が開催され、光太郎装幀・題字揮毫の『山羊の歌』(昭和9年=1934)についても詳しく取り上げられました。
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7月31日(土)~9月20日(月)
二本松市のあだたら高原リゾートで「あだたらイルミネーション」が開催されました。併せて『智恵子抄』で謳われた「ほんとの空」をイメージした「あだたらソーダ」の販売も行われました。
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8月1日(日)
新潮社さんから末盛千枝子氏著『「私」を受け容れて生きる―父と母の娘―』が新潮文庫の一冊として発行されました。平成28年(2016)に同社からハードカバーで刊行されたもので、末盛さんの父君、彫刻家の舟越保武が光太郎に「千枝子」の名をつけてもらったエピソードなどが紹介されています。
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8月3日(火)
論創社さんから『吉本隆明 全質疑応答Ⅰ 1963~1971』が刊行されました。吉本の講演「高村光太郎について―鷗外をめぐる人々 」(昭和41年=1966年4月2日、日比谷図書館)、「詩人としての高村光太郎と夏目漱石」(昭和42年10月24日、東京大学三鷹寮)が収録されています。

8月3日(火)~15日(日)
北海道深川市のアートホール東洲館さんで「第一回 土井伸盈 書の個展 挑戦。――ここから」が開催され、光太郎詩「牛」(大正2年=1913)を書いた書などが展示されました。
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8月7日(土)
立川市のたましんRISURUホールさんで「第29回たちかわ真夏の夜の演劇祭」が開催され、劇団ひなた村さんが4月に初演した「青鞜の女たち」が再演されました。

8月7日(土)~8月13日(金)
宮城県女川町の女川つながる図書館さんで「詩人 光太郎と啄木~東北のゆかりを訪ねて~」展が行われました。
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8月15日(日)
文芸社さんから伊原勇一氏著『明治画鬼草紙』が刊行されました。幕末から明治初年の江戸・東京を舞台とし、奇想の画家・河鍋暁斎を狂言回しとしたもので、若き日の光雲が登場します。

8月17日(火)
当会顧問であらせられた故・北川太一先生が都立向丘高校さんに勤務されていた頃の教え子の方々、北斗会さんの会長を永らく務められ、北川先生のご出版等にご協力を惜しまなかった、小川義夫氏が亡くなりました。ご本業の印刷会社経営のかたわら、演歌歌手としてもご活躍でした。
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8月21日(土)
近代東アジア書壇研究プロジェクトさんの主催で、「国際シンポジウム 近代書壇の誕生―東アジア三地域の比較から―」がZOOMによりオンラインで開催されました。矢野千載氏(盛岡大学教授)の「中村不折と高村光太郎に見る六朝書道」が含まれました。

8月30日(月)
ミネルヴァ書房さんより石川九楊氏著『思想をよむ、人をよむ、時代をよむ。 書ほどやさしいものはない』が刊行されました。「彫刻的筆画」、「やみがたくして道はゆくなり――高村光太郎」の項で光太郎に触れられています。
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8月31日(火)
東京都豊島区の東京芸術劇場さんで「東京混声合唱団特別演奏会~田中信昭と共に~東混オールスターズ」が開催され、西村朗氏作曲「混声合唱とピアノのための組曲『レモン哀歌』」より「レモン哀歌」が演奏されました。
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同日、小学館さんから『小学8年生』10・11月号が発行されました。「文豪探偵の事件簿」という連載小説で「山の中の芸術家」と題し、光太郎が取り上げられました。

9月1日(水)
古美術・骨董愛好家対象の雑誌『小さな蕾』さん、2021年9月号に光雲「聖徳太子像」(大正元年=1912)が紹介されました。古美術研究家・加瀬礼二氏という方のご執筆でした。
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同日、花巻で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさん編で、写真集『山からの贈り物 やつかの森の四季』が刊行されました。光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋周辺を撮影したものです。

9月1日(水)~9月13日(月)
岡山市の 丸善岡山シンフォニービル店ギャラリーで「浜口陽三とパリの芸術家たち展」が開催され、
光太郎の短歌揮毫色紙「天然の湯に入りければ君が身とこゝろとけだし白玉に似む」、明治43年(1910)、鉄幹与謝野寛の歌集『相聞』の挿画として制作された『幼き QLAUAPATRAT』の木版画が展示されました。

全く同じ日程で、東京都港区の国立新美術館さんで「第105回記念 二科展」が開催され、テノール歌手秋川雅史氏が、光雲が主任となって作られた皇居前広場の楠木正成像の模刻作品により、彫刻部門で入選を果たしました。
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9月3日(金)~9月6日(月)
静岡県舞台芸術センターSPACさんの主催で「でんわde名作劇場」が開催されました。電話を使ってのオンライン朗読で、池田真紀子さんによる「◉高村光太郎 作『智恵子抄』より」がプログラムに入っていました。
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9月14日(火)~9月26日(日)
THE EXPO 善光寺2021~甲信越戦国物語~特別展」が、長野市立博物館さんで開催されました。光雲とその高弟・米原雲海の手になる、善光寺さんの仁王像の試作(ひな形)が展示されました。

9月15日(水)~12月5日(日)
東京都新宿区の中村屋サロン美術館さんで「自身への眼差し 自画像展 Self-Portrait」展が開催され、光太郎作の油絵「自画像」(大正2年=1913)も出品されました。 
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9月18日(土)~10月10日(日)
宮内庁三の丸尚蔵館所蔵 皇室の名品展 皇室の美-東北ゆかりの品々」が、仙台市の宮城県美術館さんで開催され、光雲作の「養蚕天女」(大正13年=1924)が出品されました。

9月22日(水)
平凡社さんから同社編でアンソロジー『作家と酒』が刊行されました。光太郎随筆「ビールの味」(昭和11年=1936)が収められています。
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9月25日(土)
東京都江東区の古石場文化センターさんで、「第 43 期江東シネマプラザ」の一環として、昭和32年(1957)に封切られた、原節子さん主演の「智恵子抄」が上映されました。
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9月26日(日)
東京都文京区の旧安田楠雄邸庭園において「語りと講話 高村光太郎作 智恵子抄」が開催されました。朗読が北原久仁香氏(語りと和楽の芸人衆 かたりと)、講話を当方が務めさせていただきました。

同日、青森県弘前市の弘前学院大学さんで「日本語・日本文学科 2021年度第3回オープンキャンパス(来校型)」が開催され、「詩の世界-宮沢賢治・草野心平・高村光太郎について-」という公開講義が行われました。

9月30日(木)
月曜社さんから谷川渥氏著『孤独な窃視者の夢想 日本近代文学のぞきからくり』が刊行されました。「レオナルド・ダ・ヴィンチと日本近代文学」という項で、光太郎に触れられています。
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次回は最終回、10~12月を。

【折々のことば・光太郎】

花巻行。 カーテンの材料、タオルねまき等をかふ、 ビール2本、 高橋精一氏にあふ。理髪、 かなり重いリユツクを背負ひてかへる。


昭和26年(1951)9月25日の日記より 光太郎69歳

カーテンの材料」は、増築された新小屋のためのものでした。しかし光太郎、料理の腕はそれなりでしたが、裁縫は意外と苦手で、結局、11月に来訪した詩人の宮静枝に縫って貰いました。
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