新刊書籍です。

近代文学叢書Ⅲ すぽっとらいと 珈琲

2021年11月22日 なみ編 虹色社(なないろしゃ) 定価2,500円+税

文芸作品と写真を集結
芳醇にして、つややかな闇 ―<珈琲>―
002
【収録作品】
珈琲店より/高村光太郎 甘話休題/古川緑波 あばばばば/芥川龍之介
砂糖/永井荷風 大阪の憂鬱/織田作之助 鼻/ニコライ・ゴーゴリ
失われた半身/豊島与志雄 コーヒー五千円/片山廣子 田巻安里のコーヒー/岸田國士
白い門のある家/小川未明 雪の夜/織田作之助 カフェー/勝本清一郎
コーヒー哲学序説/寺田寅彦 判官三郎の正体/野村胡堂 老人と鳩/小山清
妙な話/芥川龍之介

いわゆるアンソロジー系、テーマは「珈琲」です。

光太郎作品は、明治43年(1910)の雑誌『趣味』に発表されたエッセイ「珈琲店より」。前年まで滞在していた、パリでの苦い思い出が綴られています。

初めにことわっておきますが、どこまでが実体験なのか、全てかもしれませんし、逆に、まったくの妄想かもしれません。または話半分かも……。モンマルトルの繁華街での深夜に、イカした(死語ですね(笑))三人の美女を見かけ、ふらふらと後をつける光太郎。女たちの入ったカフェに自分も入り、女たちと呑み始めます。「珈琲店」には「カフェ」とルビが振られていますが、酒がメインの店です。ひとしきり、女たちと盛り上がった後、そのうちの一人と一夜を過ごし……。

翌朝、コーヒーを飲みながら、目を覚ました女の青い瞳に、さまざまな物を連想します。インド洋の紺青の空、エーゲ海の海の色、ノートルダム・ド・パリのステンドグラス、モネの絵画、サファイア……。

そして自分も起き上がり、洗面台へ。すると……

熱湯の蛇口をねぢる時、図らず、さうだ、はからずだ。上を見ると見慣れぬ黒い男が寝衣(ねまき)のままで立つてゐる。非常な不愉快と不安と驚愕とが一しよになつて僕を襲つた。尚ほよく見ると、鏡であつた。鏡の中に僕が居るのであつた。
「ああ、僕はやつぱり日本人だ。JAPONAIS だ。MONGOL だ。LE JAUNE だ。」と頭の中で弾機(ばね)の外れた様な声がした。

3年半にわたる欧米留学で、最初の一年余を過ごしたニューヨークと較べ、パリでは人種差別的な扱いを受けることはなかったようですが、庶民一人一人の生活にまで「芸術」がしっかり根付いているフランスと、「芸術」を見る眼がまるで進んでいない旧態依然の日本との、目のくらむような格差には日々打ちのめされ続けていました。さりとて、故国を捨て、軸足をフランスに据え、完全にとけ込むことも、光太郎には出来ませんでした。

「珈琲店より」と同じ頃のエッセイ「出さずにしまつた手紙の一束」には、こんな一節も。

僕には又白色人種が解き尽くされない謎である。僕には彼等の手の指の微動をすら了解することは出来ない。相抱き抱擁しながらも僕は石を抱き死骸を擁してゐると思はずにはゐられない。その真白な蝋の様な胸にぐさと小刀(クウトウ)をつつ込んだらばと、思ふ事が度々あるのだ。僕の身の周囲には金網が張つてある。どんな談笑の中団欒の中へ行つても此の金網が邪魔をする。海の魚は河に入る可からず、河の魚は海に入る可からず。駄目だ。早く帰つて心と心をしやりしやりと擦り合せたい。

しかし、そうして帰った日本にも、「目覚めてしまった」光太郎には居場所がなく……。

まぁ、この辺りを論じだしたらきりがありませんし、ここではそれが目的ではありませんので、この辺にしておきます。

他に14人、15篇(芥川の作品が2篇ですので)の、「珈琲」にまつわる珠玉の名文集です。ところどころに挿入されている、「珈琲」がらみのモノクロ写真もいい感じで、シャレオツな一冊となっています。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

夜ビールをのむ。 松雲閣別館、 夜あつし。 午前より談話速記。今泉氏の質問に答へる形。

昭和26年(1951)8月27日の日記より 光太郎69歳

フランスではアブサンなども呑んでいた光太郎でしたが、後半生はビール党でした。「松雲閣別館」は、花巻温泉の高級旅館。建物は現存し、平成30年(2018)には国の登録有形文化財指定を受けました。

今泉氏」は、美術評論家の今泉篤男。この際の談話は、この年10月と11月の『中央公論』に、それぞれ「青春の日」「遍歴の日」の題で掲載されました。「青春の日」中には、やはりパリでの体験等が語られています。